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「迷惑をかけてはいけない」という躾は正しいのか?

人生を決めている要因ってなんでしょうか?

それは、はっきりしています。

「言葉」です。


これまで関わってきた人、あるいは自分の言葉…


例えば、

「私人見知りなんです」って言ってる人。


赤ちゃんの頃から人見知りだったんでしょうか?

「おむつを換えてほしいけど、わたし人見知りだから大人の人におむつ換えてもらうのなんだか悪いから泣くのやめとこう」

なーんて遠慮する赤ちゃんいますか?

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生まれつき人見知りなんて性格はないんです。

自分では全然そんなつもりなかったのに、「この子は人見知りなんです」って、親が勝手に判断して人に言ったり、「あんたは人見知りなんだから、もっとがんばってあいさつするようにしなさい」なんて言葉を聞いて、

「あー、私って人見知りなんだ」

って、認識するんです。


実は大人に暗示をかけられているだけなんですよ。

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ところで、こんなふうにも教えられてきませんでしたか?

「人さまに迷惑をかけてはいけません」

これは、多くの日本人が子どものころから聞かされてきた共通の「言葉」なんじゃないでしょうか。

この暗示の力はものすごくて、僕は日本の文化を創り出すまでになっていると思っています。


それが

遠慮の文化

です。


一見、遠慮する人は奥ゆかしい人…

そんな美意識が日本にはありますよね。


でも、弊害もあると僕は思っています。

それは何かというと、「これやったら誰かの迷惑になるかもしれない」という意識が働くあまり、行動に制約がかかっちゃう…ということです。

すると、やりたくても出来ないということが起きてしまうんです。

あるいは、“やりたい”という意識を持つことよりも、“相手はどう思うか”が、自分の行動の基準になってしまうということなんです。


「他人に迷惑をかける」ことって、そんなにいけないことなんでしょうか?


もちろん、人さまの物を盗んだり、殺したりすることはいけないですよ。

でも、日常的な迷惑って、ほんとに迷惑なんしょうか?


「迷惑」

迷い、惑わす・・・で迷惑


いつかデートに誘いたいけど、忙しい人だから迷惑かもしれない…

帰りにご飯でも奢りたいけど、僕なんかが誘ったら迷惑かもしれない…

ホントは、コピーの仕事頼みたいけど、忙しいから迷惑と思われるかも…

手伝ってほしいけど、迷惑かも…


お願いすると、迷い、惑わしちゃうんですかねぇ…


実はこの「他人に迷惑をかけてはいけません!」という風潮は、世界的にみるとかなり特殊な考え方のようで、日本独特な発想なんだそうです。

ある旅行会社の調査で、飛行機の「窓側席」と「通路側席」の希望を調べたところ、日本人が世界で唯一「通路側」を選ぶ人が過半数を超えた国だったそうです。

トイレに行く時に人を跨いだり、どいてもらったり、寝てる人を起こさなくて済むからという、まさに「他人に迷惑をかけたくない」気持ちのあらわれなんでしょうね。

世界的には、人と人は「迷惑をかけあう」ことで、お互いの距離が縮まるから、積極的に相手に迷惑をかけ、かけられた相手にも寛容になろう…というのが標準の考え方なんだそうです。


あの、くれぐれも言っておきますが、

僕は、迷惑をかける人になろう!と主張したいわけではありません。


この日本の倫理文化のいいところは、不要不急の外出は控えましょう、みんなマスクしましょう、と言ったら罰則があるわけでもないのにちゃんと守るじゃん。

災害時の配給で食べ物の奪い合いなんてしないで、何時間でもちゃんと並ぶじゃん。

そこらへんにゴミを捨てないじゃん。

コンビニのレジでも、ディズニーランドの入場でも順番守るじゃん。

電車は時間通りに来るじゃん。

公園に荷物おいても、一瞬でパクられるなんてことないじゃん。


一部例外を除いて、まあまあ日本人て、外国人よりマナーがいいのよ。治安もいいのよ。


これって、「人に迷惑をかけてはいけません」意識が骨の髄まで染み込んでいるからですよね。


つまり、公共の秩序という点では、日本のこの文化はとてもプラスに働いていると思っています。



でもね、先日、スーパーで子どもが大声ではしゃぎまわってたのを見たんです。

それを母親と婆ちゃんが一緒になって叱ってるんですよ。

「静かにしないと怒られるよ!」

「ほら、みんなが見てるよ!」

「恥ずかしいでしょ。ほら、笑われてるよ!」

「だから静かにしてなさい!」

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なるほど…

そうなるわな。


「他者からの目や評価」を理由に叱ることで、怒られることをしてはいけない…が子どもの行動基準になっていく…

そうやって「他人に迷惑をかけないこと」を刷り込まれてできあがる形が「他人の目を気にする性格」となるわけです。



では、逆に遠慮される側の気持ちを考えてみましょう。

忙しくなると悪いから、仕事ふるのを遠慮する

忙しそうだから誘うのやめとくわ

こんなふうに言われのってどう思いますか?

「私って大事にされてるわ💛」

ってなります?

自分はあなたにとっては必要な人間ではないんだね…

ってなりません?



相手のことを思いやってるつもりかもしれませんが、遠慮されるのって、実は傷つけてるんですよ。


極端な話、大切な人が亡くなったお葬式。

故人の家族から、あなたはお仕事が忙しいでしょうから、お葬式には来ないでくださいってなったら、うれしいですか?

「お別れさせてもらえないの?」ってなりませんか?


親友の結婚式に「お前、仕事忙しいから、来てもらうの悪いから招待状出さないからね。俺からの優しさだと思ってくれ!」ってメールが来たらどう思います?

「さすが親友だな!」って思いますか?



遠慮されるのって、距離を生むんです。

遠慮するのって、自ら相手を遠ざけるんです。


「あなたは迷惑かけたくない!と言うけど、俺は頼ってもらえるほうが嬉しいよ!」って世界もあるってことは認識しておくべきだと思います。


でないと、障害者の人なんか、とても生きづらい世の中になっちゃいますから。



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