「じゃない方」がかわいそうなわけではない
テレビのバラエティ番組だとかワイドショーで街頭インタビューのシーンってよくあるじゃないですか。
あれで昔からやたらと気になっていることがあります。
よく2人組とか3人組の女性グループまたは男性グループをつかまえてインタビューしてるのを見かけます。
「あのー。ちょっとお話いいですか?」
テレビカメラを向けられた女の子たちは、
「えー?ウソ?マジで?」
と大盛り上がり。
「今日はどうしてこられたんですか?」
「ここへはしょっちゅう来るんですか?」
「誰か待ってるんですか?」
「この辺でおススメのお店を教えてください」
「これからどこへ行かれるんですか?」
「彼氏いるんですか?」
そしてたいていの場合、顔面が整っている人がメインで答えるんですよね。
「えー?どうなんだろう。わかんない…きゃははは」
めっちゃかわいくて、照れくさそうに笑いながら隣の友達の肩を叩いたりして…。
いかにもカメラを向けられるのが恥ずかしい感を出しつつ、でも明るく快活な印象を上手に見せられる女の子。
でも、僕は思いますね。
「私、恥ずかしいわ。でもそこがかわいいでしょ」とうまくアピールしてる。
幼い頃から多くの人に話しかけられ、見られることに慣れている。
自分の見せ方を心得ているなぁ…って。
で、さらに僕はもっともっと気になることがあるんです。
それが、隣にいる主導権は明け渡してただただ笑顔だけでメインボーカルの引き立て役をしてる友達です。
完全に脇役。
なんならテレビ画面の端っこで半分見切れちゃっていたりします。
確かに地味、インタビューに中心になって答えているメインボーカルに比べると華がない…
このVTRを一緒に見ている番組のコメンテーターや芸人さんたちも誰もこの人の存在に気づいていない、おそらくテレビの視聴者も気にとめてないであろう、ジミーズさんの存在。
もちろん、男の子グループだとしても同じです。
そのジミーズさんの気持ちってどんなだろう?って。
なんとなく引きつった笑顔で、愛想笑いともとれる相槌を打っているジミーズさん。
いかがです?
街頭インタビューって、だいたいこういうパターンシーンじゃありません?
僕は、このジミーズさんの心情が気になって仕方がないんです。
なんとなく懐かしい感情が走馬灯のようによみがえってくるんです。
中学生のころ、僕は学年でも1・2を誇るモテ男くんと仲が良かったんです。
彼と歩いてると、男も女もみんなが声をかけにきてくれます。
「僕は学年一の人気者とこんなに仲良しなんだぜ!」
となんとなく誇り高き気分になれるんです。
でもある時気づいたんです。
みんなが話しかけてくるのは、すべて彼の方に向かってなんです。
僕はニコニコして横にいるだけ。
まったく会話の輪に入っていない。
誰も僕の顔を見ようともしませんし、誰とも目が合ってないことを。
おっと、勘違いするところだったぜ。
僕も人気者なのかと思うところだったわ。
集団での会話は、いつもカリスマの彼が中心で回していたし、僕はただただ黙って任せていればよかった。それが心地よかったし、自分も輪の一員だと思っていたんです。
でも、よく考えてみるとそこに自分はいてもいなくても一緒なんだ、いなくても何の違和感もなくその場は流れていくことは想像がつきました。
このことに気づいた僕は、別に傷ついたわけではありません。
容易に受け入れることができました。
僕は目立つ存在でいたいか?
と自問してみると…
答えは
NOです。
それで別に心地悪いわけではない…
でも、時に羨ましく思えたり、憧れたり、淋しさを感じたり…
ただ、誰かに「かわいそう」だと思われることだけは、それは屈辱になるんです。
ですから僕は、街頭インタビューを受けてる脇役ジミーズさんの気持ちをとても想像しちゃうんです。
「もうちょっとその子にもなんか聞いてあげてよ」って。
華やかな友人の陰で、ひっそりと文句も言わず、引き立て支え続けているジミーズさん。
僕はあなたの方がステキだと思います。
できればジミーズ同盟をつくりたいなぁ…って。
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