YOSAKOIソーラン祭りの軌跡〜想いを繋ぐ〜柏木真紀子さん

―まずは自己紹介をお願いします。

 江別まっことえぇ&北海道情報大学¹⁾、代表の柏木真紀子です。よろしくお願いします。

1)江別市を拠点に活動しているチーム。

YOSAKOIソーランとの出会い


―柏木さんがよさこいに関わったきっかけは?

 まず、まっことえぇが今年で結成33年目なんですよ。1993年のYOSAKOIソーランが2回目のときからチームが本祭に出場しているんですが、実は1回目の時もチームはできていたんですけど、出場を見送っていたと聞いています。
 私は最初はまっことえぇっていう存在が江別にあるって全然知らなくて、4回目の1995年くらいの時かな、このときに本祭が終わって、江別市役所に江別まっことえぇと平岸天神²⁾が踊るっていう企画があったんですよ。それで平岸天神の名前は知ってたんです。よさこいというもので大賞というか、すごいチームだなって知ってたので、平岸を見に行こうと思って江別市役所に行ったんです。大勢の江別市民が見ている中で平岸が踊って、かっこいいなってただ憧れた気持ちでいたんですよね。そしたら次に江別まっことえぇが踊ったんですけども、すごい平岸に比べたら簡単な踊りだったんですよ。(笑)それで「なんだこれなら私だって踊れるんじゃない」ってちょっと上から目線で思ったりして。それでこんな簡単な踊りだったら、平岸は無理だけど、まっことえぇなら踊れるなと思ってまっことえぇに入ったんですよね。

2)札幌市豊平区平岸を拠点に活動しているチーム。過去大賞11回、準大賞10回の最多受賞チームである。

―チームに加入したのが1995年?

 第4回からですね、はい。ここ(江別市役所での演舞)で見て、その年に入りました。

―第4回から出場しているんですか?

 はい、そこからずっと出場しているんですよ。(笑)生まれてないでしょ?(笑)この時に札幌市長賞というのを頂いたんですよ。それがトロフィーではなくチャンピオンベルトというものをもらって、これが今は笑い話なんですけど学生実行委員会さんが作ったんですって。VOGUE³⁾っていう今は無くなったチームの前中さんっていう人がいるんですけど、前中さんが学生実行委員会⁴⁾の時にこれを作ったって言ってました。これが、私が代表になった時に受け継がれて、我が家にやってきたんですよ。

3)VOGUE038のこと。かつて存在していたYOSAKOIソーランチーム。2014年6月8日をもって解散した。
4)YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会のこと。

―代表になったのはいつですか?

 代表になるまでずっと普通に踊っていたんですけども、結成10年の時にチームの今までの代表さんから「10年になったのでちょっとチームの感じを変えたい」ということで、突然ロイヤルホストに呼ばれて、「あなたが代表に合ってると思うから代表になりませんか」ってホント突然言われたんですよね。私のこと絶対知らないはずなのにどうしてかなぁって思ったりしました。でもその時に、「あなた副代表ねって言われた人がやる、一緒にやりましょう。」って言われたので、じゃあ二人で、わけわかんないけど一緒にやろうかってことで代表やらせていただくことにしたんです。で、この9年の時が多分副代表だったと思います。代表さんはいたんですけど、代表見習の副代表で入ったと思います。翌年、10年で代表になったと思います。

―2001年から?

 はい、そうです。この時に、私が代表で、副代表、そして踊りを作っている演出の人たちとか、新しく変わったんですよね。それで、この年はさすがにできなかったんですけど、次の年は代表になって2年目だったので、衣装を法被からはじめてスージー・パーカーに頼んで今の形の衣装に変えたんですよ。それがすごく記憶に残っていて。この時がYOSAKOIソーラン祭り11回、チーム10周年の年だったので、この年に表彰されたんですよね、10年表彰かなんか。11回だったんだけど、さっきも言った通りまっことえぇ1回目を踊っていないので、その年に10周年だったんです。「まっことえぇさん随分感じが変わりましたね」ってみんなに褒められたこと、嬉しかったのでよく覚えてます。

―チームそのものができたきっかけはご存じですか?

 わかりますよ!江別はね、高知県⁵⁾の土佐市と友好都市なんです。それで、長谷川岳さん⁶⁾が札幌によさこいソーランを作ろうってなったときに、江別の我満さん⁷⁾が市役所の方で、市役所の方々が「高知県の祭りが札幌に来るのなら、江別市にチームを作ろうじゃないか」と、応援しようということでチームを作ったんだと思います。だから最初は、チームメンバーは全員市役所関係の人たちだったと思います。市役所の人と、その人たちの家族。
 私の旦那さんも市役所で、まっことえぇに入ってたんですよ。それで、これも笑い話の様な話なんですけれども、私の旦那さん、「まっことえぇはおもしろくないから入ったらだめだ、入ったらだめだ!」って言ってて。(笑)でも、さっき言ったように、平岸天神を見て入りたくなったので、まっことえぇの募集があった時に私が「今日は遅くなるから先にご飯食べてて」って言って、「いいよー。」って言ってたんです。それで、会場に行って受付をしたらなんと旦那がいたんです。(笑)
 そのあともずっとチームの15周年、20周年の記念の年には土佐に遠征に行かせていただいていました。

5)YOSAKOIソーラン祭りは高知県のよさこい祭りにルーツを持つ。
6)YOSAKOIソーラン祭りの創設者。現在は参議院議員。
7)YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~ 我満(がまん)さん|YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会 (note.com)

"江別まっことえぇ&北海道情報大学"らしさ


―まっことえぇさんは、提灯や文字幕などの小道具が特徴的だと思っているのですが、それらについてもお聞きしたいです。

 特徴的だと言われてとても嬉しいです。私方は、ワンパターンで返って特徴がないかなって思っていたのですが、継続は力で、今ではまっことといえば提灯、提灯と言えばまっこととなり、チームを象徴するものとなり、本当に嬉しいです。

江別まっことえぇ&北海道情報大学のパレード演舞

―他ではあまり見ないなと思って。

 提灯を使わない皆さんの理由は、大きくて畳めなくて、持ち運びが不便で面倒くさいからだと思いますよ。高知で提灯使うでしょ、必ず先頭の方たちが。だから、まっことえぇも最初先頭の子たちだけ提灯隊になり、提灯隊だけが提灯を使って踊っていたんですよ。提灯はもちろん高知から購入し、提灯隊の踊りも高知の踊りを取り入れたんです。そして、もっと提灯をアピールした方がいいんじゃないか、まっことらしさを出した方がいいんじゃないか、ということで、情報大学が入ったあたりですかね、全員が提灯を持って踊ることを特徴にしようってなったんですよね。

―情報大学さんと合同になったのはいつですか?

 江別には四大学っていうのがあって、札幌学院大学と北翔大学と酪農学園大学にはすでによさこいのチームはあったんです。北海道情報大学だけがチームがなかったんですよ。それで、チーム結成10周年が終わった次の年に情報大学の人たちが私のところにやってきまして、最初は自分達だけでチームを作ろうと思ったみたいなんですけど、いくら学生同士でメンバーを募集しても集まらなかったようなんです。それでノウハウも何もなかったということで、是非ともまっことえぇさんにノウハウを教えてもらって、しばらくしたら分かれるから、という話でした。最初は。そういう約束で5人くらいで入ってきて。まっことえぇもチーム名が変わるでしょ?今まで「江別まっことえぇ」だったのが「&北海道情報大学」にチーム名が変わることにすごいみんな抵抗があったんです。ただ、情報大学生って言ってもほとんど9割以上の学生の出身が江別市じゃないんですよ。道外が半分くらいいたり、道内でも札幌じゃなくて地方の子たちがすごく多かったので、4年間も江別市にいるのだから地方の子たちが情報大学とともに江別を第二の故郷として、愛する街になってほしい、そういう思いもあって情報大学と提携して情報大学生と一緒に頑張ろうってことで話して。それで決まったんですよね。

―今(情報大学の生徒)は何人くらいいるんですか?

 一番多い時で40人50人いた時もありました。コロナのおかげで今一人です…(現在は3名)。コロナの影響で学校がオンラインになったり、学校祭や地域のお祭りも減ってしまって演舞する機会も少なくなったりして、人数も減ってしまったんです。今年あたりに情報大学の名前がなくなるのかな…と思ってたんですけど、一人が残ってくれました。
 今年、えべちゅん⁸⁾に来てもらえば人が来てくれると思って、YOSAKOIソーラン祭りへの出場を頼んだんですよ。えべちゅんは北海道情報大学で飼育してて、情報大学の先生がえべちゅんの中に入ってたんですよね。その先生が(まっことえぇに)情報大学の生徒が一人しかいないことを知って、来年は自分がサークルの顧問になると。自分のゼミにいる子とかを勧誘したりして協力するよって言ってくれたので、来年は少し増えるといいなって願ってます。
 
8)江別市のご当地キャラクター。
 
―最年少が4歳?
 
そうなんですよ。
 
―まっことえぇさんは、学生、社会人、小さい子どもがいる混合チームですが、学生チームなどと比べて、混合チームで大変なことはありますか?
 
 大学の学生だと、サークルとして自分たちだけでよく練習してくれたんですよね。普通の学生チームの大学生と同じように、チームの練習以外にも時間を設けて、大学の体育館とか、大学のある場所で自主練をして、そしてチームの練習に臨んできてくれたので、割としやすかったです。スムーズに練習ができたっていうか。その日に踊りがわかんなくても、大学の先輩たちが後輩に教えて、そして踊りをマスターして、また次の練習にやってくる。という感じなんですけれども。
 小さい子どものメンバーは、組織委員会の伊藤さん⁹⁾は、ジュニア¹⁰⁾に出たらいいんじゃないのなんて誘ってくださいますが、あれ、苦肉の策で。大学生も増えない、江別の人もなかなか入らない。じゃあ誰入れるかって言ったら、もう子ども。辞めてママさんになった人が、ママさんと子どもと一緒に入ってくれたらいいね、ということで辞めた人にカムバックしてもらってます。あと小学生だと、江別には踊る場所がなかなか無くて。鳴子祭り¹¹⁾ってあるんですけど、鳴子のチームも段々少なくなってきてるので、まっことえぇが子どもを引き受けたら子どもたちも踊るのかなと思って。ちょっと募集してみたら、結構子どもたちが来てくれたんですよね。
 
9)一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会専務理事、伊藤耕作さんの事。第13回、第14回のYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の代表も務めていた。
10)中学生以下で演目を構成するチームを対象とした「ジュニア大会」のこと。
11)正式名称はえべつ北海鳴子まつり。毎年7月最終土曜日・日曜日に江別市野幌で開催されている。
 
―どのくらいいらっしゃるんですか?
 
 子どもですか?今はね、チームメンバーから「柏木さん、託児所やるの?」ってくらい。(笑)小学1年生以上は4、5人なんですけども、1年生以下の兄弟が付いているので、十何人いると思います。
 
―じゃあもう本当にちっちゃい子たちもいらっしゃるんですね。
 
 はい、ただ提灯持って、「えい」ってやってます。でも提灯カバーは取れるんです。色替えというのが最後にあるんですけど、それはできるんですよ。
 
―すごい!
 
 これからは子どもたちが小学生、中学生、そして、踊れるのはきっと3年生4年生以上だと思うんだけども、幼児も楽しく踊れる場面を作ってというか設けてあげて、江別市民みんなでよさこいとかね、チームを盛り上げていきたいなって。もう本当にこのまままっことえぇが無くなってしまうんじゃないかって危機に面した時に、子どもでもいいから一緒に楽しく踊ってくれる人がいれば、なんかそれで幸せなのかなって、ここからまたスタートしていけばいいのかなって考えを変えています。元メンバーがね、子ども達となら来るって言っているので、親子で踊ってくれたら嬉しいなって。子どもの成長は早いので、あっという間に中学生になってくれるんじゃないかな、と思っています。やっぱり情大生がいるっていうことが、今まで何ていうか、当たり前のように4月になって何十人も入ってきて、人が増えるっていうことがね。情大生がいなくなって人が増えないということ、本当に実感しましたね。
 
―やっぱりコロナがきっかけだったんですか?
 
 そうですね。まあ、でもオンラインから復活できなかった自分たちのせいではあるんですけど。コロナ前まではどこの学生チームも同じように、4月のサークル紹介とかね。なんかそういう活動あるでしょ。そういうのでやったり、友達集めたりとか。学祭で踊ったりとかしてたけど、学祭ももう(コロナの影響で)全然無かったですもんね。今年はやったのかな?多分。だけど情報大のチームは1人なので、踊れなかったんです。
 でも卒業生たちはね、何人か残ってくれて。情大生が少なくなってきた時に、もう情大生もいないし、思い切って結成30周年を機に「江別まこっとえぇ」で復活しようかって話も出たんですけど。情大の卒業生たちが、「先輩たちから話を聞いてると思うけど、自分たちが、あの結成10年の時にチームにお願いして、『なんとか江別を第二のふるさとに』って頑張ってチームを作ったのに、こんな簡単にやめるなんてダメだ」って。「自分達も力になるからなんとかして江別まっことえぇ&北海道情報大学を残そうよ」ってことで頑張ってくれたんですけど、やっぱりその後も続かない。なかなかねえ、難しいんですね。でも、なんていうかな、まっことえぇの卒業生たちが、まっことえぇだけじゃなくていろんなチームで踊っている姿を見たら応援してるし、嬉しいなあって思ってるし、まっことえぇだけじゃなくて新風隊¹²⁾の卒業生たちもね、いろんな大学に行ったりしてその後踊ったりしてるんですよね。結局みんなよさこい好きになってくれて、自分のやってきたこと、チームのやってきたことが報われてるなあっていうか、良いことっていうか、価値あることって言うのかな。みんなにとっては価値あることかどうかはわかんないけど、変なのに引っかかったなあと思ってるかもしれないけど、(笑)そういう風にみんなが楽しそうに踊ってくれているのを見るとやっぱり、ああ良かったなって、自分の人生振り返ってね。(笑)あーこんなによさこいにかけてきてよかったなーって思う瞬間でもあります。

12)江別市にあるいずみ野小学校の「いずみ野新風隊」のこと。YOSAKOIソーラン祭りのジュニアチーム。柏木さんはかつていずみ野小学校に教師として勤めていて、このチームを立ち上げた。

―長い間代表をやってらっしゃると思うんですけど、小道具などのチームの特色は当時から変わらずにずっとやっていらっしゃるんですか?

 そうなんですよね。本当は先ほど話したように扇子とかにした方がどっかにしまえてパッと出せて持ち運びも便利だし、提灯って横に一回こう折ったら開いてまた踊るってできないんですよね。伸び縮みができないっていうか。縮みはできるんだけど伸びたのを維持できないんですよ。中にテープとかしっかり巻いて、支えをつけないと。それなので衣装にうまく提灯を隠せるように帯の下に隠したりとか、横にちょっと見えてもいいから飾りのように見えるような工夫をしたりしていました。
 チームの特色はやっぱり、全チームにはない北海道ただ一つだけだと思うんですけど、全員が提灯を持って踊るっていうのを特色として守っていきたいなって、繋いでいきたいなって考えてやっていますね。
 
―他にないですもんね、提灯っていうのは。
 
 やっぱり提灯のチーム=まっことですね。こないだも高知に行って改めて観たんですけど、全員提灯持ってませんもんね。前の人だけが持ってたりとか、サイドの両脇の人だけが持ってたりとかしてるんだけども、踊りとしても緩やかな感じで踊っていて、北海道の激しい踊りで提灯を振り回すっていうのはなかなかないので、やっぱり大変だけどまっことえぇらしさを皆さんにアピールするのは提灯なのかなって。他にないものって考えると。大事にしていきたいなって考えています。

―文字幕もあまり見ないと思うのですが…

 文字幕も、あるときふと思いついたんです。さっき言ったように、隠れてできるものが羨ましいなと思って、扇子とか急に出てくるもの。扇子は、ぱっと開いたり閉じたり、それが羨ましいなと思っていて…傘もそうでしょ?開いて閉じる、開いて閉じる、そういうものを、傘とか扇子以外にまっことえぇで作れないかなって思いついたのが文字幕だったんですよね。

―文字幕は、使い始めてから結構長いんですか?

 文字幕も長いです。最初はまっことえぇってだけだったんですけど、それが二重にしたりということもあったので…とにかく私方が代表になってメンバーが変わってからなので、その前は旗を振ってたんですよね。だから文字幕は持ってないと思います。

―目立つなと思います。

 そうですか、ありがとうございます。始まるぞって感じが最初のとこにあったほうがいいと考えて、スタートにもってきています。ラストにもってきたこともありますが、やっぱり見てる人は最後より、最初の方がインパクト強い反応でした。。

―私も最初の方が、始まるよ、盛り上がるぞという感じがします。

 これ最後にやった時もあったんですけど、ステージ¹³⁾はどっちでもいいんですよ。でもパレード¹³⁾だと、大変なんですよ、これ持って歩くのが。サポートの人が持って歩くしかないでしょ。今でこそみんなね、このキャンプの荷物持ちが皆さん一気に使うようになってきたので、あの中に入れればなんでもいけるんですけど、当時はやっぱり大変だったんですよ。文字幕の人数だけ、人がいるというかサポートが必要だし、審査の時が特に大変で、自分の衣装とか提灯も直して文字をまくっていうのが時間がないのに、すごい大変だったんですよね。だけど、だんだんだんだんみんなコツを覚えてきて、慣れてきて。これがね、学生実行委員会の方にも、いいね、って心に残ったっていう風に言われたら、すごくうれしいです。特徴になっていけばいいのかなって。

13)YOSAKOIソーラン祭りでは、地方車を先頭にして前進するパレード形式と、進まずに固定して演舞を行うステージ形式の2種類がある。

―まっことえぇさんのチームの特徴やカラーが確立されている感じがします。

 ありがとうございます。でもね、確立されてても、もっと私方はよりレベルの高い確立度を目指してるんです。なかなかね、難しくて達成できませんけども。守るものは守って、いいものを作っていくっていう風にしたいなと考えています。たとえ不便でも。私が代表を降りた先、誰が代表になっても、20年先でも、提灯をもって踊ってくれてるまっことえぇであればうれしいなって思いますね。私の自慢は、準大賞¹⁴⁾もそうなんですけども、日本ファッション協会賞¹⁵⁾っていうのもいただいているんですよ。

14)準YOSAKOIソーラン大賞のこと。
15)財団法人 日本ファッション協会理事長賞のこと。第15回、第16回にて、ファイナルコンテストに進出した11チームの中から最も衣装が優れたチームに贈られた。

―あ~昔あったんですよね。

 そう!2回しかなかったんですよ。VOGUE¹⁶⁾っていう雑誌がありますよね?そのVOGUEの編集長さんが財団法人日本ファッション協会理事長賞っていうのを作ってくれたんですよ。それで第1回目が縁¹⁷⁾だったんですよ。で、縁がファッション協会賞をもらったんですよ。そして第2回目のタイミングで、私たちファイナル¹⁸⁾5位だったんですよね。で、ファイナル5位の発表の前にファッション協会理事長賞発表って言われて、江別まっことえぇって言われたんですよ。それで、名誉と共に賞金のご褒美もいただきました。

16)ファッション・ライフスタイル雑誌。
17)北海道大学のYOSAKOIソーランチーム。
18)ファイナル審査は本祭5日目に行われる。一次審査の各ブロック1位チーム及びセミファイナル審査1位チームの中からYOSAKOIソーラン大賞を決定する。

―ええ!すごい…

 すごいでしょ?(笑)YOSAKOIソーランでお金をもらったっていうのが、この時が最初で最後。(笑)それで、賞金をもらった次の年に高知に行ったんだと思う。この衣装で高知に行って、踊ってたんですよね。高知に行くためにバスとかを貸し切ったでしょ?それがこの賞金から出てたから。この時はみんなでわくわくで行ったの、ものすごく楽しくて、はっきり記憶してます。

―その衣装にもこだわりが…

 そうですね、やっぱ背中にまっことえぇって字をつけたり。緑と赤と青を基調としていて、まあでもどのチームもそうだと思うので大して変わり映えしないんですけど、緑は江別の原始林を表していて、赤はナナカマド、江別の木なんですよ。そして青は石狩川。繰り返しますが、どこのチームも考えていることなんですけど。(笑)でもこれからも特徴作りに励んでいかないといけないなって。

―印象に残りますから。

 うん。思いますね。

YOSAKOIソーランへの想い


 でもチームの1番の魅力は私は人だと思ってるんですよね。よくお年寄りとか大人の人が「今の学生は」とか「若者は」とかよく言われるような時だったんだけど、情報大学の学生たちは本当に素直でいい子たちばかりで、純粋にYOSAKOIが好きでうまくなりたいって、練習に打ち込んでいました。でも大人になったら「あの時柏木さんにこういう風に言われたの傷になってます」とか言ってますけど、(笑)その時は頑張るっていう感じで言ってくれたりして、今でもみんな卒業しても仲良いですし応援に来てくれます。
 この間まっことえぇが30周年記念の時に、えべつ北海鳴子祭りでまっことえぇの総踊り¹⁹⁾っていう曲があるんですけれども、それを踊るので今までの元メンバーにもみんなで声かけたら100人以上集まったんですよ。それで、みんなで踊ったんですよね。感動しました。挨拶していて、今までのことが思い出されて、感謝のあったかい涙があふれました。チームがはなれてもまっことが好きでつながっていることがチームの1番の魅力だなって、その時も改めて思いました。人に支えられてきたなって、思いました。
 YOSAKOIやって1番よかったのはこのメンバーとつながったことと、この学生実行委員さんや組織委員会²⁰⁾の方、他のチームといろんな知り合いができて、学ぶことができたのが宝だなーって思います。やっぱりそれがなかったらYOSAKOIやってなかったかもしれませんね。確かに学生なので、卒業して他のチームに行っちゃうときは辛いんですよね。「僕北昴²¹⁾に行きます」とかね、言ったら、あんなに人数いるんだからもう行かなくても良いよとか思うんですけど、(笑)でもそこで頑張ってる姿見て、そして向こうも私に手を振る姿とか見たらやっぱり、踊りが踊れるようになって、成長してして、巣立つんだなあと思って。親鳥のような気持ちで私は見ていますけど、そういう気持ちで応援して、心の底ではまた帰ってくれば良いよと思って、いつか帰ってきて、またまっことえぇを支えてほしいなって思ってます。
 あとやっぱり江別をこれからは盛り上げていくっていうのが大きなやくわりだと感じています。今まではちょっと、海外に行きたいとか、道外の大きな祭りに行きたいとか、そういう思いが強かったけど、コロナを通して、一番自分を支えてくれたのは地域なんだなあ、地元なんだなぁって、これは決して地域貢献点²²⁾があったからじゃなくて、(笑)本当に改めて地域の祭りがないってことはこんなに寂しいことなのかと思って、これからはやっぱり江別を盛り上げる一人となりたいなあって、心から思ったので、江別の大人や子どもたちと一緒に頑張っていきたいなと思いましたね。でもこれは年取ったから思える境地っていうか、若いときはもっと角々しくて、尖ってたと思いますねきっと。まあね、若いときは欲がないとね。今でももちろんありますけどね。人の幸せも考えられるようになったんですねきっと。(笑)まっことえぇがその子にとって笑顔の場所だったり、元気をもらえる場所であれば幸せだなあって。チームの子が時たま、練習にだれも来てくれないとかね、この役員の仕事が辛いって泣いてる姿見たら、この子にとってチームが辛いものになってるんだったら意味が無いなって、やっぱりパワーをもらえるパワースポットみたいなね、まっことえぇに行きたいなとか、まっことえぇに行ったら元気が出るなとか、そういう場所でなきゃだめだなって思いましたね。

19)チームなどの違い関係なく、ステージにいる全員が一つの踊りを踊ること。「総踊り曲」という総踊り専用の曲で踊ることが多い。
20)一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のこと。
21)札幌市を拠点に2014年から活動しているチーム。
22)演舞審査とは別に、第33回から新設された。地域イベントへの参加やボランティア活動、環境保全活動など、日頃の活動から評価する。

―(江別まっことえぇ&北海道情報大学のアルバムを見ながら)このアルバムはいつ作られたんですか?

 これね、結成20周年の時に、本当にありがたいことに、ファイナル5位になって、日本ファッション協会賞をもらったんですよね。このときに21回のYOSAKOIソーランだったんですけどチームとしては20周年だったんですよ。その記念すべき年に準大賞になって、祝賀会をしたんですよね。で、その祝賀会の記念品にこれを作ったんです。20年間の歴史を作ろうって。きっとよーく見たら、皆さんの知ってる人いるかもしれない。江別にもたまに来てください、今度。

―ぜひ、今度行きます!本日は貴重なお話ありがとうございました!

 ありがとうございました!



取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海学園大学1年 高谷和花
北海道大学 1年 森本理生

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