YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.2 髙田裕生さん
(第28回YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会代表)
インタビュー日:2021年7月31日
実委に入ったきっかけ
僕はね、一年浪人してるんだよね。大学に入るって決まった時に、高校の時の同級生が実委やってて、全然その時は“YOSAKOIソーラン”は知ってるけど、一応釧路出身で北海道にいたから、6月の時期とかテレビつけたら流れたりしているわけだからさ、「あー今年もやってんなー」って思ってたり。あとすごい昔に遡ると、幼稚園に入る前に札幌に住んでたことがあって、その時に新琴似会場¹⁾に行ったことがあったみたいで、そのあと札幌から釧路に引っ越してるんだけど、釧路にその当時新琴似会場で買ってもらったのであろう鳴子があって、昔それで遊んでいた思い出も若干あったくらい。でも特に“YOSAKOIソーラン”はどうとかそういう話ではなくて。ただ、誘われて、「あーじゃあ見学くらい行ってみようかな」っていう。「まあご飯奢ってくれるしなー」くらいので来てみて、話を聞いてみたら「すごいなんか面白そうなことやってんな」と思って。まあ物は試しだしやってみようかなと思って。
1)新琴似会場:YOSAKOIソーラン祭りの地方会場の1つ。地下鉄南北線麻生駅、JR新琴似駅から徒歩約15分。(下写真)
1年目の思い出
当時俺は会場運営が結構面白そうだなと思って。まあ西8²⁾だなと思って。なんとなくびびっと西8だなと思って、で西8の進行³⁾か会場運営⁴⁾かって言われたときにその時の俺は「進行は何か凄そうだな」と思っちゃって、「進行ほどじゃないから会場かな」みたいな。わかんないよ、でもそこまで(活動を)がっつりって感じじゃなくて。でもそのイベントスタッフみたいな感じでお客さんの相手とかしたり、イベントを裏から支えることとかそういうことが面白そうだなと思って。じゃあ会場運営をやってみますって言うことになって。で、入ってみたら、面白い先輩がたくさんいてさ、居心地もいいし、同期も面白いやつたくさんいてさ、「あー、いいところだな」って思いつつ。俺が入ったのは意外と遅くて、ゴールデンウイーク直後くらいで、すぐ出陣式⁵⁾だったのさ。出陣式って今年まだないけど⁶⁾、学生チームいっぱい集めてプレ本祭みたいなのをするんだけど、いきなりさ、(出陣式の)会場が真駒内セキスイハイムアイスアリーナなんだけど、そこの見取り図渡されて、こことここ担当してねとかタイムテーブル渡されて、その時間にじゃあ例えばゴミ箱潰して、会場設営して、ここにガムテープ貼ってとか説明があって「ん??」とか思いながらよく分かんないまま「まあ何とかなるかー」とか思いながら本番行ったら、「みんなすげえ」と思って。頑張ってお手伝いに行こうみたいな感じで行ったけど、思ってたよりもみんなバッチバチにスタッフだったし、その時なんかスタッフが何かもよくわかっていなくて。例えば俺、結構衝撃的だったのが、休み時間に扉を守る仕事をしてて、その扉から関係者以外が通らないように壁の近くに立ってたんだけど、その仕事をしてる最中に、当時代表だった人がこっち来て、「もっとシャキッと立ちなさい」みたいなこと言われて「はっ」みたいな。なんか俺別にその時悪いことしてるつもりなくて普通にしてるつもりだったんだけど、俺の今までの普通にしてるじゃダメなんだなって思って。結構それが衝撃的で。すごい、この人たちは自分たちのやりたいことに対して情熱を燃やして本当にやりたいことをやっている人たちなんだなって思って、そこで第一衝撃みたいなのを受けて。「ああ頑張ろう」って思ったのが入ってからすぐの思い出で。ちょっとしばらくしてから(自分にとって)第1回目のお祭りがあって、第1回目のお祭りも出陣式から多分2週間とか3週間くらいですぐあったと思うんだけど、当時は第26回のお祭りって5日間の開催だったんだけど5日間とも雨で。俺は会場運営だからさ、フリースペース⁶⁾の横とかにずっといたんだけどさ。紙とか入場整理券とかいっぱい配るんだけどべっちゃべちゃでさ、もうくっついたり上手くつかめなかったり渡した瞬間破けたりえらいこっちゃで。この中でもやるんだーと思った。でもみんな頑張ってやってるし真剣にやってるし、俺も頑張らなきゃなと思ってやってて。そこで第二衝撃を受けるんだけど、出陣式の時って扉を守ったりしてたからあんまり演舞を見る機会がなくて、演舞を見る機会があっても出陣式の時って結構チームのTシャツを着てるから、踊ってるけどチームTシャツだからちょっと違くて。だけど実際にお祭りで衣装を着たチームの演舞を初めて見て、その中で特に心を揺さぶられたのは北海道大学”縁”⁷⁾の演舞で。金曜日のソーランナイト⁸⁾の時に結構雨が強くて、西8丁目会場のステージってベニヤ板であんまり水はけが良くなくてちょっと雨降ったりしたら少しのくぼみに水たまりができちゃってそれを演舞と演舞の間に横から進行の人がほうきを持ってシャーってやってはじき出したりしながらやるんだけどどうしてもはじききれない水があったりして、水が溜まっちゃうとありえないくらい滑ってさ、ベニヤ板だから。しかもチームの人って結構滑りやすい恰好をしてて。足袋とかって結構滑りやすかったりするわけさ。中でも縁って裸足なのよ。裸足だからさもう、つるっつるを超えてとゅるっとゅるって感じで(笑)。それで一番衝撃だったのが、そんな滑る中でストーム⁹⁾で、この年はみんなで手を叩きながらグルグル回っていて。このステージの空間を使って人がグルングルン回っていて。でも雨で滑るから転ぶんだけど滑って裸足・赤ふん¹⁰⁾で転んだらそのまま尻をついてでも尻も滑るからそのままステージ上から射出されてて、その様子を見ながらすげえと思って。言葉にすると面白いんだけど当時としては衝撃的で。エネルギーがすごかったんだよね。それまではさ、出陣式の時とかは同じ学生実行委員会の先輩たちの思いをすげぇと思ってたんだけど、実際のお祭りでチームさんたちの想いを見て、こんな人種今まで出会ったことないなと思って。こりゃすげえやと思ったのが第三の衝撃で。お祭り自体はいろいろあって大変だったり、色々あったなーって思ったり、ああした方が良かったなとか思うことも当時はあったけど、何年経っても第26回のお祭りで1番衝撃的だったのがその場面で。訳分からんけどすげえなって。それが結構、その後の自分のYOSAKOIソーランの向き合い方にちょっとだけ影響を与えたのかなと思って。
2)西8:西8丁目会場を運営する、西8丁目班の事。
3)進行:西8丁目班の中で、主に本祭等でのMCや台本の作成を行う部門。
4)会場運営:西8丁目班の中で、主に本祭時の観客やチームの対応を行う部門。
5)出陣式:正式名称は学生合同出陣式。毎年5月ごろに学生支部のチームを対象に行われている。
6)フリースペース:大通西8丁目会場に設けられている無料で演舞を鑑賞できるスペースのこと。
7)北海道大学”縁”:北海道大学のYOSAKOIソーランチーム。
8)ソーランナイト:本祭3日目に行われるイベント。前年度の受賞チームを中心に、海外からのゲストチームなどが次々に登場する華やかなステージ。
9)ストーム:北海道大学”縁“の演舞の中で毎年絶対このフレーズを入れるという伝統があり、そこには決まった振りがない。
10)赤ふん:北海道大学”縁”の演舞では、曲のクライマックスで衣装が赤ふんどしになるという特徴がある。
2年目の思い出
(自分にとって)第1回目のお祭りが終わってそれからは引き継ぎとか代替わりが始まって。さっき言った通り俺を実委に誘ってくれたのって、俺の1個上の代の岩下佐和さん¹¹⁾っていう方でその方が副代表になるっていう話があって。自分たちも当時の2年目の代から部門長¹²⁾を出さなきゃいけないってなった時に、当時の僕的には自分はリーダータイプではないと思っていたから、「絶対違うだろうな」と思って手を挙げなかったし、やろうっていう気概もなくて、普通に同期の別の子が部門長をやることになってサポートしようと思っていたんだけど、そんな中当時のMCが岩下さんと同期1人の2人しかいなかったのに同期の子が家庭の事情でやめることになっちゃって。MCが3年目1人になって、これはまずいってなって。その時会場部門は4人いて、純粋な進行が1人だったから「会場運営部門から1人くれよ」ってなって、「お前MCやんね?」って。今となっては別に何とも思っていないけど、第26回のお祭りの時は雨の中会場運営としていろいろやってああいうところもうちょっとできたなとか来年こういうところもうちょっと頑張っていこうって思いながらの冬の出来事だったから正直全然気乗りしなかったんだけど。でも状況から考えて誰かやらないとまずいし他に放送を経験したことがある人がいなかったからみんなどんぐりの背比べみたいな感じだったし、MCいないのってまずいよなと思って。
その前に「プロのMCがステージに立った方がいいんじゃない?」みたいな話があったんだけどそれは当時MCをやってた岩下さんとかやめちゃった同期が猛反対していて。俺は正直最初は別にプロでもいいんじゃないかって思ってた。だって人数いないし俺は会場運営やりたかったしプロの方が絶対上手くできるだろうし。それだったらプロの方がいいんじゃないかなって思って言ってたんだけど、当時の渦中にいた人たちは猛反対していて。それがよく分からなくて。なんでなんだろうと思って話を聞いたら、結構それが第四の衝撃で。あのステージって当時なら27年間学生がずっと守ってきたステージで、プロのMCは確かにプロのMCだから上手いしナレーションとしてあの場を盛り上げることとかができるのかもしれないけど、あの場所を作るのに、それまでの時間(=前のお祭りが終わってから次のお祭りが始まるまでの1年間)をそのステージのためだけにいろんなものを見たり聞いたりいろんな人たちに話したり、色んな経験をした学生実行委員会のMCだからこそあそこに立って欲しいし、そういう人たちにしか表現できないものが特にファイナルステージにはあるから、学生じゃなきゃダメだっていう話をされて衝撃を受けて。それもあってMCは学生がやらなきゃいけないなと思って引き受けて。でまあMCやりますって言ったのが3月半ばくらいであと2カ月くらいで出陣式だし2カ月半したら本祭だしっていう。しかもあと2週間くらいで新入生入ってくるよっていう時期で。そんなかんなでMCにはなったんだけど、2週間くらいで新入生が入ってきて「僕がMCの先輩の高田ですよー、ちなみにMC歴は2週間!」みたいな。(1年目と)ほぼほぼ同じスタートで一緒に練習を開始して(笑)。そんな中でも会場運営って本番に向けて色々準備したり、本番にどれだけ会場を上手く回していいステージにできるようにサポートするかっていうのなんだけど、言ってしまえば裏方の裏方、俺らは全員裏方なんだけどその中でも特に裏方。だけど進行とかMCって裏方の中では表というか。前に出てくる人たちだから。自分の中では上下関係にあるわけではないと思うけど、もっとちゃんとしなきゃなっていう気持ちが出てきて。練習なんかもMCの練習って結構体育会系みたいなところがあって、朝練とか普通にしたりするのさ。会場運営やってた時とかって、週に1回全体会議、週に1回班会議、たまに組織¹³⁾みたいな生活をしてたんだけど、MCになってからは時間ない中で仕上げないといけないからみんな気合入ってるし気合入れていかないといけないから、毎日6時半河川敷!で声出しから始めて~みたいな。急に部活に入ったみたいなさ(笑)。バテバテになりながらも朝練したりその他にも夜練もしたり、ガッチガチでやりながら気持ちも作って、出陣式は初めての舞台でめっちゃ緊張したってことくらいしか覚えていないんだけど、MC始めてまだ1年なんだけど実委では2年目だからファイナル1部を読まなきゃいけなくて、ファイナルに向けて舞台監督、当時4年目の人がファイナル1部の舞台監督やってて台本を書いていたからその人と打ち合わせをして、ここはこういうステージにしたらいいんじゃないかとかこういう演出にしたらいいんじゃないかという話をしていて。それが第五の衝撃で。今までは裏方の裏方をやっていたからステージって自動的に作られるものだったんだけど、そのステージ1つを作るのにこんなに情熱を注いでいる人がいて、例えば言葉尻の問題で「この言葉とこの言葉だとこっちの方がニュアンス的にいい」とかに30分くらい悩んでいたりして。どっちでもいいんじゃないかなって思ったりしたんだけどその先輩は「いや絶対こっちのほうがいい」って言ってて「そっか、それだけ言うならそうなんだろうな」って思いながらやってて。確かに自分で読んでいてあの時ああいう言葉使いを選んだからこそ雰囲気として作れるものがあったり、自分が一緒にステージを作ってMCとして表現する・自分たちが作りたいステージを表現するっていうことができたりするっていうのは、今までやってこなかったことだし、これこそMCって感じがして楽しくなってきちゃって(笑)。楽しいなと思いながらやっていたんだけど。ファイナルステージをやる事が俺は楽しかったんだけど、その先輩にとっては死に物狂いでやってて。もともと死に物狂いな人だったんだけど(笑)。
西8って台本を作る段階で読み合わせっていうのをやって、何回も組織と方向性の確認とかイメージの確認とか表現の確認とかをしてるのさ。班長部門長会議みたいな感じで会議室を借りて机をくっつけて向かい合って座って実際にMCが当日の台本の最新版に沿って、音とかBGMとかも流しながら当日の流れを実際にやってみたりするっていうやつなんだけど、それに対するプレッシャーがすごくて。1回目の読み合わせの時に耕作¹⁴⁾さんと当時の舞台監督の先輩とで意見の食い違いというかこうじゃないのかっていう話し合いがあって、その先輩にとってはそれが衝撃的だったらしくて、急に立ち上がってトイレに駆け込んだりとかあったんだけど。そこまでなっても絶対に台本は書きたいし、自分が完成させるという気持ちをもってやってて、(自分も)絶対にこの舞台を完成させるっていう気持ちも一緒にやってるからわかっているし、そこまでしてやりたいしそこまでしてこのステージにかけてるんだなっていうのを感じて、これはマジで頑張らなきゃなっていう気が引き締まる出来事があって。
11)岩下佐和さん:第27回副代表・西8丁目班進行MCを務めた。高田裕生さんとは幼馴染。
12)部門長:西8丁目班の中に存在する進行部門と会場運営部門のトップのこと。
13)組織:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のこと。
14)耕作さん:(一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会部長、伊藤耕作さんの事。第13回、第14回のYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の代表も務めていた。
ここからはちょっと小話なんだけどさ。MCとしては致命傷なんだけど、俺、ありえないくらい滑舌が悪くて(笑)。初めてMCになってからずっと滑舌練習をしてて当時対面授業が普通にあったから授業中に滑舌練習をしてたら、当時隣に座ってた人が1個隣にずれちゃって(笑)。
そんな事になりながら、ものすごく言いにくい名前のチームがあって舞台監督にここだけは絶対に噛むなよって言われてものすごく練習して絶対に噛まないようになってたのに本番だけ噛んじゃって(笑)。
そんなこともありながら、ファイナルステージ第1部は無事終わった。ファイナルステージ第1部ってすごく難しいステージで。第2部っていうのはわかりやすくてさ、YOSAKOI大賞¹⁵⁾が決まるステージなんだよね。でも第1部っていうのはまずジュニア¹⁶⁾ファイナルがまずあって。ジュニアのファイナルなんだけど、俺、最初ジュニアのファイナルって1年の時に話を聞いた感じのイメージとしてはジュニアのファイナルなんだろうなって思ってたんだけど実際に映像とか見たら本当にジュニアの「ファイナル」で。
どういうことかというと、「ジュニア」っていう言葉から連想されるイメージって「キッズチーム」とかそういうイメージだったんだけど、柔道の階級みたいな感じでただ歳が若くて階級分けされてるだけで、それはそれでちゃんと「ファイナル」で。それは間違いなくて。ジュニアファイナルの舞台まで行ってジュニア大賞をとることができたチームはものすごく喜びを身体で表現するし、惜しくもジュニア大賞に選ばれなかったチームはすごく悔しそうな顔をして、それまでの自分たちの1年間を振り返って「もう少しああできたんじゃないか」とかが表情でも声でもすべてを使って表現して悔しがるし、でも大賞(になったチーム)は認めながら拍手はして、その表情に全部表れてて、それがマジでファイナルで。それはそれでジュニアにとってのクライマックスだしファイナルなのね。それが終わった後にセミファイナルがあるんだよね。それを全部含めてファイナルステージ第1部なんだよね。わけわかんないじゃん(笑)。テンションの上げ下げがね。セレモニー内でのテンションとしてどこをクライマックスにもっていくかとか、どうステージを作っていくかとか順番はどう組み替えてどういう演出をしてっていうのがめちゃめちゃ難しくて。セミファイナル¹⁷⁾はセミファイナルで、ファイナルステージに出ることができる最後の1枠っていうのを争ってブロック2位のチームが演舞をするわけなんだけど。初めてセミファイナルに出られて「これはファイナルに行けるかも!」と思って出てくるチームもあれば、誤算で「なんでまっすぐファイナルに行けなかったんだろう、絶対に勝たなきゃ」って背水の陣みたいな感じで出てくるチームもあれば、「セミファイナルまで出られたんだからもう賞とかは関係なくこのステージを楽しもう」ってくるチームもあってさ。セミファイナルってファイナル以上にそのチームがそのステージに持ってくる思いっていうのがバラッバラで。台本にする時にファイナルだったらみんなYOSAKOIソーラン大賞っていうのを夢見てるし、「ここまで来たら取れるかもしれない」って思っているからみんなそれを目指しているって表現できるしそれがみんなにとっての実感になるからステージとして違和感なく過ごせるんだけど、ファイナルステージ1部ってそうとも限らなかったりするから難しくて。
15)YOSAKOI大賞:YOSAKOIソーラン祭りで、「この年に、もっとも観る人の心を動かし感動を届けたチーム」に送られる賞。
16)ジュニア:中学生以下で演目を構成するチームを対象とした「ジュニア大会」のこと。
17)セミファイナル:5日目に行われるセミファイナル審査のこと。4日目に行われる一次審査での各ブロック2位チームと、各ブロック3位チームの中から1チームが出場する。セミファイナル審査1位チームがファイナルに進む。
でも当時、第27回は粋~IKI~北海学園大学¹⁸⁾がファイナルに行ったんだよね。実はチームの練習のイメージとかチームのファイナルにかける思いのイメージとかを掴むためにお祭りの2週間くらい前に粋に練習見学に行かせてもらってて。そこで粋のステージにかける思いとかを知ってたから、本当はあんまり良くないんだけど、正直ちょっと粋を応援してて、ファイナル行ってほしいなって思ってたからめっちゃ嬉しかったんだけど。
でもそこに粋の名前を読むってことは他の10チームの名前を読まないってことだから、それはそれでそのことに対する責任もあるなと思いながら名前を読んで。ファイナルの発表ってもうものすごい大賞ポエムとか読みながらこれまではYOSAKOIソーラン大賞に選ばれることを表彰してたし、「おめでとう!!」って感じがしてたんだけどセミファイナルってそこがゴールじゃないから結構サラッと言ってたんだよね。チームの方も名前を呼ばれる方のチームは何人かはいたりするんだけどみんな居たりはしないから、あんまり名前を呼んだことに対して、観客席からもパチパチパチパチくらいの、「おー!!」みたいなのってあんまりしないから、だからこそ「(チーム名を読んだ)そのあとのテンションの作り方とかも気を付けなよー」みたいに言われてたりしたし気を付けようとしてたんだけど、実際に名前を読んだ後にそこにはそのチームのOBとかが端の方にかたまっててそこがドッと沸いて。それを見て他の観客の人たちもすごく盛り上がってくれて、「なるほど、いいな。」って。なんかいいなって思って。やっぱりファイナルに進むってことに自分も練習を見たしこれだけ思いながら頑張って出てくれて、目指して1年間本気で頑張ってきた人たちなんだろうなって思って、いいな、と思ったお祭りだった。
18)粋~IKI~北海学園大学:北海学園大学に所属するYOSAKOIソーランチーム。札幌市を拠点に活動している。
代表になった経緯
引き継ぎに時期になって紆余曲折あって俺はなんか代表になったんだけどなぜ代表になったのかよくわかってなくて(笑)。この代表の決め方は本当に良くないと思うんだけどね。代表を決めるときって2年目会議っていうのを開いて代表をどうする?って決めたりするんだけど、来年も実委やる?とかやるならどういう立場で関わっていく?みたいな話を何回かしようってなってたんだけど、その時ちょうど俺は大学の実習で釧路の病院に2週間くらい行ってたから全然出られなくて。その途中、「お昼休みにお弁当を食べに休憩室に入るからそのタイミングでちょっと(2年目会議の話の流れ)聞くわー」みたいなことをしてて、実際にその日になって「どうなったー?」って話に入ったら同期LINEで「途中経過の画像送るねー」って言われて黒板の画像がポンと送られてきて。何かというと名前の横に正の字で票が入ってて「今お前1位だよー」みたいな(笑)。「は?」ってなって(笑)。それで決まったわけじゃないけどすごく不思議な決め方をしてしまって。
要するに、結構周りに担ぎあげられたし俺が自分でやろうと思ったけど今思えばその決め方は結構テキトーな決め方ではあったと思う。だけど、自分なりに1年間代表として頑張ろうと思ってやりますって言って。同期で結構3年目を続けるっていうことが、大学とのバランスとかバイトができないとか色々な都合で悩んでいる子が結構いて。そういう子とご飯行ったり1人ひとりと喋ったりして「どうしようね?」「こういうところ何とかすれば助けられるかな」とかやってたんだけど、結構どの人と話しててもやっぱりネックなのは「自分が重要な立場に立つのが怖い」っていうのがオブラートに包まさってバイトとかっていう理由になっているケースが結構あって。そういう人たちに対しては結論としても決め方としてもあんまりよくはなかったけど、じゃあ俺が代表をやるから一緒に頑張ろうっていう言葉が結構響いて一緒にやるって言ってくれた子が結構いて、そう言ったからには自分は頑張らなきゃって思ったし決まり方は良くなかったけど自分の首を自分でどんどん絞めていって(笑)絞めていきながら頑張ろう頑張ろうっていう感じで。代表になった。
代表になってからの日々
代表になってからは、ものすごい衝撃の毎日で。自分の持っていた常識がどんどん覆されていって。それは、例えばスピード感にしたって、団体のメンバーに対してこういうことを進めていきたいってなった時にそれをやるためにはいきなりみんなでやろう!みたいな感じでできるわけじゃなくて、みんなでやるためにはその事業を関係者に対してちゃんと説明して理解を得る必要があるし、協力を得る必要があるし。必要なところに話を通して且つその事業の計画を立てて、その中心になるメンバーも一緒に形を作っていって事業が自分がいなくても進むようにその人たちがその事業に対して理解して、その事業を進めていける準備を整えなきゃいけなかったり。その進んでいく先で自分は代表だからみんなを引っ張ってやっていこうとするわけなんだけど、でもずっと自分がリーダーだといけない。その事業ごとでリーダーが必要で、そのリーダーをリーダーたらしめるために1歩引く場面があったりその人がリーダーシップを張れていなかった時にその代わりに(自分が)リーダーシップを張って、その人が張れるようにしてあげたりとか、そういうことが今となっては必要だなっていうことがわかるんだけどそういう考えが(当時は)全然ないわけだから。というのも、リーダーというのを今まであんまりしたことがなくて。中学校の学級長とかそのくらいしかやったことが無かったから、中学の学級長なんてたかがしれてるからさ。クラスのリーダーではあるけどその上にいっぱいあるじゃん。先生もいるし、だから別にその人が絶対的なリーダーなわけではないわけよ。でも、学生実行委員会は学生実行委員会で会計が独立しているから1つの独立した団体で、そこでリーダーシップを張るのは本当の意味でのリーダーで、それが代表だし。じゃあその代表のやっていること、やろうとしていること、みんなに対して働きかけること、っていうのが最終的なすべての責任になるし、すごくでかくて。そういうのがものすごく衝撃で日々日々勉強だけどマジでうわぁーってなって(笑)ぶっ倒されるような毎日で。もう、へなちょこだったんだよね。めっちゃいっぱいいろんな人からいろんなことを教えてもらったり、いろんな足りてないことを教えてもらったりして、年またぐくらいに何とかリーダーっぽいことができるようになって。代替わりをした9月から毎日べっこべこにされながら、やっとリーダーっぽいことができるようになったのが1月くらいで。申し訳なかったんだけどその3か月の間って自分がリーダーとしてやっていくことができないと、団体として自分が成長することが団体にとって絶対必要なことだったから結構そこを頑張っていて。でも代表って代表だけがしっかりしているわけじゃなくて、団体のメンバー皆のことを見てあげないといけないし、団体のみんなのことを考えてあげないといけないわけなんだけど、その間に取りこぼしていることが色々あったからじゃあ年が明けてからはメンバーと向き合って「この子は何を考えているのかな」とか「この子はどういう子なのかな」ってやって、来年、次の代はどういうメンバーを中心にやっていってほしいのかとか(どういう人たちがお祭りを作る中心にいてほしいのか)っていうのを考え始めていて。その中で今まで感じた自分の衝撃話だったりYOSAKOIソーランってどういうものなのかなっていうのを、がっつり話すってよりかはご飯に行った時とかに「お前実委のことどう思う?」みたいな感じで聞いたり。その中で、「こいつはこういうことを考えているのか」とか「この子はもの凄く考える子なんだ」とか「もの凄く気が回る子だったりするんだな」とかいろんな人がいて、自分はすごくへなちょこだけどその後輩たちにとっては俺は代表で。やっぱ1年生にとっては代表ってすごいんだよ。俺も1年目の時代表に怒られてもっとしっかりしなきゃなってすごく思ったし、それから後にももの凄く代表がかっこよく見えて。だから決まり方的にも正の字で決まった感じだったけど。代表って本当にすごいなって思ったし自分もそういう風になりたいなって思ったからこそチャレンジしてみようかなって思えたし、自分の中で代表っていうのが特別なものだったからこそ、この子たちにとってもそうなれたらなと思ったし、この子たちにとっても自分は代表だっていう風に慕ってここまでついてきてくれているんだから、これはもうしっかりするしかないと思って。自分の中で決心がついて。それからはいろいろあったけど、やっぱり代表として足りていない部分もいっぱいあってものすごく色々と注意されながら、前に言われたこととかも全然できていなかったりしたこともあったしその度に「あーここ足りてないなー」とか思いながら、きれいごとなんだけど、この後輩たちにとって自分はちゃんと代表であるためにはちゃんと代表であらなければいけないし、代表として成長しなければいけないし代表取り得なくてはいけないからちゃんと代表としていろいろ頑張ってやって。マジで年越してから自分の人生でも濃い時間だった。体感時間2秒くらいで(笑)。本当に一瞬だったけど。
あ、そう、話すの忘れてたんだけど俺学生支部¹⁹⁾の統括も兼任していたんだけど、学生支部のシステムが今とはちょっと違っていて。当時は学生支部っていうのは、そもそもYOSAKOIソーラン祭りって学生が始めたものだから普通に参加するだけではなくて学生としてお祭りを盛り上げられることをしようよみたいな。それでできたものが学生支部なんだけど。
(各チームの渉外統括やチーム代表など)それぞれ代表を1人ずつ募ってその人が学生支部の担当で、いろんなチームから担当が集まって週に1回班会議みたいな感じでチームのこととか学生支部としていろんなチームに対してどうしていくかとかこういうことを働きかけていくとかみんなでこういう企画やったらおもしろいよねとか、こういうことを考えているんだよね。っていうのも一緒にやってて。
19)学生支部:YOSAKOIソーラン祭りの発展をめざし、地域ごとにチームが所属する支の中で唯一、"学生"という繋がりで構成されている支部。学生チーム同士の親睦と交流を図り、学生の力を集結させ、YOSAKOIソーランを通して元気と感動を地域に届けるべく活動している。
俺は2年生までたまーにチームと飲み会とかに行くこともあって仲が良い奴もいたんだけど、もの凄く仲の良い奴っていうのがいなくて、そこで1年間毎週毎週話したり土日とか遊んだりするメンバー、そのメンバーは大体みんなチームのリーダーだったりチームの中での中心的なメンバーだったりするからみんな悩む所が同じだったりするんだよね。だからどうしたらいいかな?とかお前はこういうところが足りないんだよとかいう話をしていく中で、すごく仲良くなって。
チームに知り合い、特にこいつとなら一緒に頑張りたいなっていう友達がチームにいると、もの凄く頑張る原動力になると思ってて。やっぱりさ、学生実行委員会がお祭りを作ろうと頑張るわけなんだけどそれって何のため?って言われたら何のためなんだろうってなっちゃうじゃん。自分のため?先輩後輩のため?踊り子のため?色々思うけど、その自分や先輩後輩のためっていうのはダメじゃないんだけど順番的には副次的なもので。やっぱりお祭りっていうのは踊り子のためであるべきだし観客のためであるべきだと思う。それは間違いなくこのYOSAKOIソーラン祭りっていうのが参加者のため、参加者が今まで作ってきたものだし、自分たち運営者だけでなくて参加者がこれまで想いを紡いでここまで繋げてきたお祭りだから、それは絶対その思いを持っていなきゃいけないんだけど。それはさ、わかんないんよ。だってさ、別にもともとYOSAKOIソーランが好きで実委始めたわけじゃないし何となく俺の場合は当時の同級生に誘われて始めただけだし、その中でいろいろ衝撃を受けたけどあんまり顔が見えなくて。自分たちは何のために誰のためにお祭りを作っているんだっていう"誰”の部分の顔が見えなくて、実際に本当に一緒にやっていく仲の良いチームのメンバーがいると顔が見えやすくなって、こいつらがいるお祭りだしこいつらが楽しめるお祭りだしこの人たちがこれからも繋げていくお祭りを自分たちが作るんだっていうのをもの凄くピキーンって繋がって、「これは頑張らなきゃなあ」って思う。さっきまでの衝撃とは別で、格段に大きい衝撃があって、きっとそれが学生実行委員会にとっても色々多分モチベーションとか自分のやりたいこととか色々あると思うんだけど、すごく必要な事として、チームのためだし観客のためだし、ひいては街のため、地域のため、「YOSAKOIソーラン祭りを通して地域社会に貢献する」ため、あのために何かをするっていう、それの意識ができるっていうのが相手の顔を見るっていうことなんだと思う。そういう意味ではもの凄くいい体験をさせてもらったなっていう。
でね、色々あってお祭りが終わるわけなんだけど、お祭りが終わるときに北極星²⁰⁾って曲が流れるんだけど、その曲がお祭りのエンディングテーマで、その曲っていうのが学生実行委員会の事を歌った曲で。ぜひ、実委で悩んだ時とかくじけそうだなっていう時に北極星の歌詞を調べながら聞いてほしい。もの凄く心にしみるから。あれを、エンディング、代表がみんなを代表して、みんなでステージに上るんだけどさ、ファイナルステージ第2部が終わってYOSAKOIソーラン大賞が決まって大賞受賞演舞が終わった後にステージの上に代表を先頭にして当日手伝ってくれた当日ボランティアの人も一緒に学生実行委員会のメンバーがステージに並んで、代表が感謝とか色々語るんだけど。俺さ、ファイナル2部のMCやっててさ、直前まですごく緊張してて、ファイナル2部ってテレビ中継入るんだけどさ、その中でCMがあるんだけど、その間は演舞しちゃいけないからMCがトークでつながなきゃいけなくて。CMが明けた瞬間に演舞が始まるように横からディレクターぴったりの指示が入って、ぴったりトークで繋がなきゃいけないしそれができなかったら放送事故になるのさ。それがめちゃめちゃ怖いしすごく緊張しながら、アドリブトークも何喋っていいかわからないから、でも変な事喋ったらMC変なこと言ってるぞみたいな。それはそれで事故じゃん。放送にはのらないけど時間もぴったりにしないといけないしテンションも一定にしないといけないし雰囲気をぶち壊さないようにしないといけないし、クライマックスに向けて空気も作っていかないといけないし自分のやりたい演出はしたいし自分の作りたいステージにもしたいし・・・わーってなってめっちゃ緊張してて。大賞受賞演舞で袖に引っ込んだ時に、俺が2年生の時のF1²¹⁾の舞監やってた当時の4年目の先輩が来てくれて。それまでってさ、運営って現役がやってるんだけどさ、北極星の時ってみんなステージに上るから運営ができなくて代わりに先輩がそのポジションに入ってくれるんだけど、その先輩が来て、「お疲れ様。ここからは任せてよ。頑張って最後喋ってきな。」って言ってくれて「あー、ありがとうございます」って思ったんだけど、めちゃめちゃ緊張してるから実際にステージに上った瞬間に、みんな泣いたりするんだよね。なんか、「ここまですごい頑張ってきて、本当に今日を迎えられてよかったです。ありがとうございました!」みたいな。俺がすごい尊敬してた2年目の時の先輩なんてバチバチに泣いてて。それを見て、代表っていいなって思ったし。だから泣くのが俺の使命なんだって思うところもあったんだけど、めっちゃ緊張してたから全然泣けなくて。そんな感じで始まっちゃったんだけど。その時はすごい頭がすっきりしていて全然泣けないやと思って「泣けなくていいのかな?」って思ってた時に、観客席に一緒に頑張ってた学生支部のメンバーとか学生支部で一緒にやってたメンバーとかが一角にいて俺の名前を呼んでくれたのね。「ろっきー!」「よかったよー!」「ありがとうー!」って。それが聞こえた瞬間に全部どうでも良くなるくらい泣けちゃって。あとは何喋ったか覚えてないんだけど。
20)北極星:YOSAKOIソーラン祭り組織委員会が作詞作曲を手掛け、向井成一郎が歌唱している楽曲。YOSAKOIソーラン祭りでは毎回YOSAKOIソーラン大賞のチームの演舞が終わった後、学生実行委員会の学生が全員でステージへ上がり、全員で歌っている。
3年間のまとめ
まとめると、俺の現役をやっていた3年間はもの凄く衝撃の連続で。自分の常識をぶち壊されることばっかりだし、今までの自分のままじゃいられなかったし、どんどん変わっていかなくちゃいけなかったし、どんどん自分としても進化していかなくちゃいけなかったし。でもその中で、やっぱりもの凄く色々な人がいて、それは後輩もそうだし先輩もそうだし同期もそうだし、組織委員会もそうだし、学生チームもそうだし、関係している企業の人とかも本当に色々な人たちに助けられてやってこれたなと思ってて。まじで1年生の時は「代表ってすげーな」って思ってたけど、終わってみたら、代表ってすごい、じゃなくて、本当にいい環境だったなっていう。もの凄く、YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会っていう、俺の時はこれまで28年間先輩が積み重ねてきたものがあって、その学生実行委員会がずっと紡いできたものを守りたいって思う人たちがいて、その学生実行委員会がこれからも紡いでいけるように、そこを守りたいって思う人たちがすごく真摯になって協力してくれて自分たちの、当時は代表っていう名前が与えられただけのぺーぺーの学生の殻をぶち壊してくれるし、自分も期待に応えなくちゃなって思うし。なんか本当に、すごく恵まれた環境だなって思って。だからなんか、すごい思うのが、学生実行委員会って”頑張りたい奴が頑張れる場所”だなってすごく思うし、そういう意味では頑張りたい奴がここまで頑張れるところって現代の日本においては割と絶滅危惧種なんじゃないかなって思ってて。だから、まじで、頑張ってこの環境を守りたいし、これからも学生実行委員会、これまで紡いできたものがこれからも、これから渦中になる人たちにとってすごくいい場所であってほしいなって思う3年間だった。
すごい勉強勉強で、でもめっちゃ面白かったなって思う。まあ“勉強”じゃないんだけどね(笑)。
本当に常識がぶち壊されたし、まじで色々経験値的にはバグレベルのものだったと思う。まじで。そう思う。
そう思うからこそ、この団体がこれからも頑張りたい人にとって頑張れる場所であれるようにこの場所は守り続けなくちゃいけないと思うし、そこはちゃんと守っていきたいと思うし。ね、思うよね~。
SV²¹⁾になった理由
そんなこと言いつつね、俺、代表終わった後さ、SVをどうするかみたいな話になった時に、SVやりたくなくて。もの凄くやりたくなくて、全くやる気なくて。まあそれで言うと代表も最初は全くやる気はなかったんだけどさ。全くやる気はなくて、みんなにやりませんって言って「さよならー」っていうつもりだったんだけど、なんか、色々な人、特に耕作さんにさ、「お前名前だけでも残せよ」って言われて、「あー名前だけかー。名前だけならまあいっかー。」と思って「わかりましたー。あんまり来れないかもしれないんですけど、名前だけでもいいならいいっすかね。名前だけ残します!」って言ったら、それが運の尽きだった(笑)。
21)SV:スーパーバイザーの略。本来は管理職の事を指すが、ここでは実委の任期を終えた学生が団体に残り、現役メンバーをサポートする制度となっている。
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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学1年 髙田冴花(取材時)
北星学園大学1年 松崎恵(取材時)