![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108595490/rectangle_large_type_2_6f7b11bdf9e34c942eaa62446bc2f726.jpeg?width=1200)
非日常で、日常を。
私はかれこれ20年近く、よさこいを趣味に生きてきました。
初めての舞台は、2003年4月。
桜舞う、地元の小さな小さな花見の催しとして。
祖父が働く港の漁師から、大漁旗で作った法被を借り、
南中ソーランを踊ったことが始まりです。
「踊る」ということが、自分の身体に馴染みました。
自分には、この趣味が合っていそう、とピンと来ました。
趣味において、
始めた「きっかけ」が存在し、
それを「取り組む理由」があると思います。
今回は、私が2023年、よさこいを「取り組む理由」を書きます。
1. 日常を、非日常に彩ってきた
よさこいを、私はよくTV CMに例えます。
地元チームやチームに熱狂的なファンがいるとかは別ですが、
基本的には、街中を歩いている人に向かって踊るため、
街中の人たちからすると「お、なんかやっている」状態です。
CMとかもそうですよね。逆を言えば、
「TV CM流れ始めた!!やったああ!!」
「うおおぉぉぉおテンション上がるううーー!」
なんてならないですよね(一部、推しが出演しているCMとかは別ですが)。
言い換えると、私たちよさこい踊りを趣味にしている人たちは、
街ゆく人たちの、その一歩を止め、心を動かす趣味
とも言えるかなと。
街全体にお祭りの匂いを漂わせ、
いつもは買い物に、友達とお茶に、仕事しに来ているその日常風景を、
非日常に変えてきた。
日常風景を、非日常に変える。それがよさこい踊りの持つパワーの1つです。
2. よさこいの天敵、現る
そんなよさこい踊りですが、
2020年のあることをきっかけに状況が大きく変わりました。
新型コロナウィルスの流行。
コロナとよさこいの相性は、非常に悪い。
声を出して、舞い踊る
密になっている
観客をつくり、人々を密にさせる
(唯一良いことは、基本屋外で踊るため、換気が良い環境でのパフォーマンスであるという点でしょうか)
コロナが影響で活動が制限され、
チーム活動が止まってしまったチームも少なくないと思います。
<私の母親が所属するチームの話>
私の母親も、よさこい踊りを20年近く趣味にしています。
潮風と茶畑の匂いに囲まれた、静岡の小さな田舎町で、
母親たちは2000年、よさこいチームを立ち上げました。
関西京都今村組、石狩流星海、天空しなと屋、ほにや
錚々たるよさこいチームの方々から曲を借りたい、作ってもらったり、
田舎の小さなチームとは思えないパイプを築き、
パワフルに舞い踊っていました。
ただ、母親たちのチームメンバーは、現在50〜60代。
コロナの影響もあり、家から出る、ということが億劫になったそうで。
今はもう、ほぼほぼ活動していないようです。
息子としては、母親たちがまた踊っている姿を見たいものです。
3. 非日常で、日常を。
私自身としては、
「一旦、踊ることはもういいや」「またいつか」
くらいに思っていました。
毎年開催されるよさこい祭りに、友人たちと足を運び、
酒を片手に演舞鑑賞する
そんな観る側としての楽しみ方を送ろうと。
だがしかしたかし、
よさこいやこれまで踊ってきたチームにコロナが与えた影響から、
考えを巡らせました。
そんな最中、今年の3月、
友人が踊っているよさこいチームの練習に誘われ、
軽い気持ちで練習に足を運んだときのこと。
その練習にて、
2023年の、そのチームの踊りのコンセプトを教えてもらいました。
コンセプトが、私にばっちりハマりました。
図解するとこんな感じ
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1687069926283-2aIyFHrAMi.jpg?width=1200)
この重なった部分が、
2023年のチームコンセプトにあたると解釈し、
チームの衣装に袖を通そうと、心に決めました。
私は、日常を取り戻したかった。
マスクを、取りたかった。
素顔で、笑い合いたかった。
大声を、叫びたかった。
馬鹿になって、盃を交わしたかった。
「おれたちは、こんなにも笑顔で、踊っているよ」
「お互い顔を見合って、大声で叫びながら、舞い踊っているよ」
「観ている皆さん、あの時の”日常”を、思い出そうよ。取り戻そうよ」
と、伝えたい。
今までは、よさこいを通じて、
日常を、非日常に変えてきた。
だけど、このチームならその逆ができると思いました。
非日常で、日常を取り戻す。
そんなパワーがこのチームにはあると、私の心は揺さぶれました。
4. YouTubeの対義語とは
このチームでなら、なぜそれが成し遂げられるのか。
その理由に関して、チームの魅力を伝えて、締めたいと思います。
皆さん、YouTubeって見ますよね。だらだらと。
長いの対義語は、短い
動きやすいの対義語は、動きにくい
と動詞における対義語は、考えやすいものかと。
では、YouTubeという名詞の対義語って、なんでしょうね。
詳しくは、この小説に書いてあります。
↓
朝井リョウ「スター」を読んでの私なりの解釈としては、こうなります。
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1687070426343-14zFOSKDfe.jpg?width=1200)
という縦軸に「制作時間」、横軸に「心の動きやすさ」を書いて、
![](https://assets.st-note.com/img/1687070461730-qgZJ2amZ83.jpg?width=1200)
YouTubeを左下に配置した時、
![](https://assets.st-note.com/img/1687070493143-6IrvoVOf1c.jpg?width=1200)
右上に映画が来ます。
これは、映像というジャンルに絞った話です。
そして、あくまでも、YouTubeと映画という単語同士の相対的な話です。
では、「再生できない、生もののパフォーマンス」というジャンルにおいて、右上に舞台(例えば、劇団四季とか)を配置した時、
![](https://assets.st-note.com/img/1687071082078-LkZdbw0hqz.jpg?width=1200)
よさこいは、(あくまでも相対的に見て)どこに配置されるかというと、
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1687071119925-eRFA6fa1qg.jpg?width=1200)
ここに配置されるでしょう。
繰り返しですが、あくまでも、舞台に対してよさこいを相対的に見た話です。
ただ、私が踊るチームは限りなく、
![](https://assets.st-note.com/img/1687071223379-GUM0hTJbou.jpg?width=1200)
右上に近いです。
制作時間の長さが長いほど、いい作品が作れるというわけではないですが、
そこにかける時間があればあるほど、クオリティが上がるのは間違いないでしょう。
街ゆく人たちの足を止め、
非日常のよさこいで、日常を取り戻す。
これまでとは逆の、ことを起こす。
願ってもいないコロナを流行らせるのではなく、
素顔で、笑顔になることを流行らせる。
私は2023年、そんなよさこいライフを送りたいと考えています。
よっちょれ!