「誰も悪くないの。だって私たちみんなわかってたんだから」 〜累々〜
私は、松井玲奈みたいな猫目の女性がタイプです。
そんな松井玲奈が書いた「累々(るいるい)」を手に取ってみました。
人には人の、正義がある
言い争うこと、
主張がズレること、
論点がスリ合わないこと、
世の中、そんなことだらけですよね。
片方は、相手のことを深く知りたい
もう片方は、相手に隠したい秘め事がある。
片方は、相手を自分のモノにしたい
もう片方は、相手を使って、自分の欲を満たしたいだけなのに。
片方は、相手を“優しい”と思い込み
もう片方は、相手とこのままの関係をダラダラと続けたいだけ。
「あれ、同じ気持ちだと思っていたのに」
「え、、一緒のこと考えていたんじゃなかったの?」
「対等の関係だと思ってたのは、こっちだけだったか・・・」
そういうスリ合わせが、ふとしたタイミングで訪れる時、
人間は、ショック/驚き/悲しみ/呆れ、そんな類いの感情を抱きますよね。
その人には、その人の正義がある
分かり得ないことはある。特に、男女の関係においては。
何か起きた時、人は“誰が悪いか”を決めがち。
でも、それはもう辞めよう。「累々」の琴吹さんが言ってた
って。
そう、誰も悪くないだよ。
みんながみんな、立場や思いがあるからね。
自分がとある公園で遊んでいたら、
めっちゃ噛みついてくる犬がいたとして。
そしたら、別の公園に行けばいいだけ。
おれは公園で遊びたい。
だけど、犬は噛みつきたい。
おれは移動するから、おれではない誰かを、噛みついていてほしい。
その人の全ての“幅”を知ることを、あきらめる
皆さんは、何種類の呼ばれ方をお持ちですか?
苗字+さん
下の名前+さん
下の名前(呼び捨て)
あだ名
まあ私で言えば、こんな感じ。
呼ばれ方によって、キャラクターが変わる。
その呼ばれ方をする場面や場所は、大抵決まっている。
(職場、サークル、恋人・家族、先輩/後輩の関係など)
私は、相手の全部を知りたいと思う派です。特に、恋人に対しては。
ただ、今後は、それはあきらめようかな。
だって、自分だっていろんなキャラクターがあって、
これまで生きてきたそうした“幅”を知ってもらうのは、
ちょっと無理があるよね。
仕事の話ができる、友がいる
よさこいで繋がっている、戦友がいる
失恋したときに慰めてくれる、心友がいる
私の帰省を楽しみにしてくれている家族や幼馴染がいる
それぞれでしか言えないことがあるのをわかっているくせに、
相手に対しては「全部知りたい」だなんて。ちょっと無理あるよな。
自分のことを一番知っているのは、やっぱり自分だけ。
それは、誰しもがそう。
呼ばれ方によって変わってしまう一貫性のない自分がいる。
だから、その時々によって主張や思いが異なることだってある。
誰も悪くない。
それぞれの正義があるから。
誰も悪くない。
人は、“幅”があるから。