死ぬってなんだ
自殺の報道があるたびに思うんだけど、死ぬってどういうことだろう。なんで人が死ぬとショックでここまで死ぬかどうかの話が盛り上がるんだろう。
命は尊いという根拠のない宗教を除けば、死ぬということは2つの影響がある。
1つはその人が作っていた商品が手に入らなくなるとか、近親者の場合は人間関係が崩れるとか、つまりその人が社会システムから抜けることで生きている人に生じる影響。
もう1つが話しかけて返ってくる反応。その人だけが持っている視点とか思い出とか。あのときどういう気持ちだったかとか、そういうのは2度と手に入らない情報として永遠に秘密になる。
でもこれって別に死ななくても引っ越したり転職したりすると起こる現象なので別に良くあることで、なんならすでにもう一生会わないだろうなっていう人は結構いる。その人と私にとってお互いが死のうが生きようが関係がない。
じゃあ死ぬことの重要性ってなんだ。この死に対する特別感。人が死ぬとこ大騒ぎになるのはなぜか。見知らぬ警官が自殺してニュースになったり、自殺者数が問題になるのはなぜか。
もうこれは宗教としか言いようがない。小さい頃から刷り込まれているとしか考えられない。
長い間、人間社会は数の勝負だった。戦争をするときも頭数が大きい方が買ってきたし、農業や工場でも頭数が多い方がかつ。だから「苦しいなら死んでもいい」「死ぬ選択肢も残すべきだ」という観念はどんどん淘汰されていった。
その結果、私たちは生産性が頭数に比例しない知的労働社会になってもなお、この宗教から抜けられないでいる。それで50代ニートが生きてて嬉しい人はいない。本人も死にたい。でも死ねない、みたいな不条理な状態になってる。安楽死の方法はあるのに医学は技術を出し渋って数万人の自殺未遂・植物人間が生まれている。
これって誰が得するの?
🐈❤️