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Clubhouseが越えられないシークという問題

Clubhouseはルームを作って雑談をするというシンプルな音声アプリ。最近こういうおもしろ系のアプリなかったので久々に楽しい。いまは招待制で招待する側も5人までしか招待できない。

基本的には有名人のライブ配信なんだけど複数人が同時配信したり、自分が会話に入れたり、音声だけだからハンズフリーで楽しめる特徴がある。有名人との距離が近くなる、そのゾクゾク感がこのアプリの特徴。

さて、これがどうやって社会に浸透するか考えてたんだけどこれは音楽だなと思った。目新しさや有名人の声が聞けるゾクゾク間は一過性ですぐに慣れてしまい、しかしユーザーはいるので「ハンズフリーで楽しめるライブ配信ソフト」として残る。TwitterもNetflixも作業をしながら楽しむことはできないけどこれならラジオみたいに楽しめる。

しかしライブ配信には決定的にかけている機能がある。それがシーク機能だ。本や動画なら自分の好きなところまでスキップして見れるがライブ配信はスキップや早送りができない。再生位置を指定するバーをシークバーと呼ぶが、そのシークだ。

シークができないということは時間あたりに得られる価値をあげることができないことを意味する。現在のクラブハウスにはディスカッションして価値のあることを話そうとする人々がいるが、自己満足の人たちが残り本当に価値のあることを議論したい人々は早晩抜ける。

私が電子書籍を嫌う理由もシークの遅さにある。初期の頃に比べたら早くなったが本のシークの速さには勝てない。ほんの数msだがこれがタッチディスプレイの反応速度のようにUXに効いてくる。シーク機能はインプットを目的とするメディアに欠かせない機能だ。

しかしシークが必要ないメディアがある。音楽だ。音楽は2倍速で聞いたりすることが基本的にはない。というかシークしないことに音楽の価値がある。では音楽で知識が得られるのかと言えば所詮エンターテイメントで聴いて楽しむためのメディアだ。ラジオとClubhouseは音楽ではないが聴いて楽しむ(学習するわけではない)という意味では音楽に近い。

Clubhouseに限らずライブ配信にはシークによってインプットの速度をあげることができないという宿命があり、行き着く先はエンターテイメントだ。それでいいといえばいいのだが、すでにTwitterといういつでもどこでも楽しめるオモチャがあるのに、私たちはさらにだらだら時間を過ごすほど時間を持て余しているのだろうか。

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