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零戦の若者は死ぬべきではなかったのか

第二次世界大戦、日本軍が米軍の戦力の圧倒的優位を悟ったあと、体当たりをすることで攻撃の効力を上げる神風特攻隊が編成された。初期の特攻隊では軽い零戦が使用された。

特攻隊員の選抜については、大西が軍令部に航空特攻の開始を進言した際に総長の及川より「あくまでも本人の自由意志に基づいてやってください。決して命令はしてくださるな」と念を押された

豊田副武『最後の帝国海軍 - 軍令部総長の証言』中央公論新社、2017年。ISBN 978-4122064362

米軍はもちろん、日本軍でさえこの発想はさすがに狂気だと思っていたようだ。あたりまえだ。人の命を守るためならまだしも負けると分かっている戦いで相手にダメージを与えるためだけに若者を体当たりさせるのだから、狂気だ。

と、現代の人間なら誰しもが考える。神風特攻隊は2度と繰り返してはいけない過ちとして説明される。しかし今の日本や統計を見ているとこの発想、つまり負けるくらいなら死んだ方がマシ、という精神が現代を生きる日本人にも垣間見える。おそらく日本人の数%はこうした思想を持っている。

猛威を振るったコロナウイルスは約2年で2万人の死亡者を出した。しかし、これは1年で自殺する日本人より数千人少ない。言いかえれば日本人の心の病はコロナウイルスより2倍深刻だといえる。さらにその裏には大量の未遂者(5万人)がいる。

そもそも負けるなら死ぬ方がマシという発想が狂気だと思うのは命が大切という前提で成り立つ。しかし命が神聖で大切なものだという発想自体には根拠がない。

切腹や神風特攻隊などの歴史と自殺者統計をあわせて見ると日本人が命より大切なもの(プライドや悩みの解消)を選ぶのは昔からで、精神の病というより国民性と考えるべきで、むしろ自殺を忌避する思想の方が20世紀に突如日本に現れて現代流行していると考える方が自然ではないだろうか。

そう考えた時、零戦で戦死した人間を無駄死にと捉える歴史観や自殺者を減らそうとする取り組みは、命より大切なものがあるから死を選ぶという思想を(悪気のない無垢な思想で無自覚に)抑圧していると言える。

その結果、医学的には安全に自殺する手段を数え切れないほど持っている現代で、自殺未遂による自損行為という誰も望まない結果が年間3万件生まれている。根拠のない「命は大切」という4文字の思想が3万人の苦しみを産んでいる。


宮崎駿監督映画「風立ちぬ」には零戦の設計者と命より大切なものを選ぶ二人が出てくる。結核で療養が必要な菜穂子を東京に止める二郎に対して妹の加代が責めるシーンがある。

加代「山の病院へ戻るのは無理なの?」
二郎「うん。僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ」

風立ちぬ

加代には命より大切なものがあることが理解できないと分かっているから、二郎ははぐらかす。

加代は自殺をとめる現代の日本人だ。自殺をする人が前触れもなく死んでしまうように見えるのは自分には命より大切なものがあると説明したところで理解されないことを知っているからだ。

🐈❤️