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評価とは

社会で働くということは、人から評価を受けることである。評価が良ければ収入が上がるし、評価が悪いと収入は上がらない。会社員でなければ、評価はそのまま収入に直結するので、収入は下がりだす。では、評価とは何なのだろうか。

私の経験

10年で3社の会社員を経験した所感であるが、どの会社も評価はすべて数字で行われる。
営業をしていたときは、売上・利益率・回収率(未払金の撲滅)…などあらゆる項目で数字が算出され、その結果によって収入の増加や昇進の有無が判断されていた。
現在はエンジニアをしているが、そこでも、作成した本数と配信不備の本数や、チーム内での共有を行うアクションを行った数などで評価を受けており、すべて数字で管理している。

つまり、仕事の結果で評価を受けているのだ(当たり前だろ、と思うだろうけど、大事な確認である)。それまでの過程にどれだけ努力しようが、挑戦を快く受け入れる会社であろうが、結果に繋がらなければ評価はされないようにできている。

学生時代、部活動でバスケットボールをしていたが、スポーツでは度々結果よりも過程を重視するときがある。1点ビハインド、残り時間もわずかな大事な局面で最後のシュートを、チームのエースではなく、これまでたくさん努力を重ねてきた選手に任せることがある。
これは、チーム内の信頼関係もあるが、「このときのために努力してきたんだろ!」という思いも乗ってたりする。エースよりも、この最終場面、最後の一本のシュートだけはこいつのほうが確率が高いと思わせるための過程だったりする。だからこそスポーツは熱いのだ。

一方、社会ではそういう場面は見たことがない。終わりがないからだ。仕事は続くし、続けていかなければならなくて、そのためにはそれぞれを結果ベースで評価し、それに伴った配置を行わなければならない。努力を認めてくれるのは、たいてい評価を下さない人間だけである。

良い評価を得るには

とにかく数字に強くなるしかない。数字は嘘をつかないのだ。
例えば営業時代で考えると、売上を上げるには「とにかく、商品を売る」と、考える。ものをたくさん一生懸命売って、結果目標まで届かなかったとしよう。評価を下さない同僚や先輩からは「頑張ってたけど、惜しかったな。来月はきっとうまくいくよ。」と励まされ、評価を下す上司からは「目標を達成できなかった原因を考えて、来月は同じことにならないように。」と釘を刺される。褒められたり、注意されたり、プラマイゼロのようだが、評価は上がっていない。

売上とはつまり、売った商品【数】と、【単価】の掛け算である。商品と書くがサービスのような無形物でも同じことだ。「いくら」のものを「何個」売ったか、その掛け算の合計が売上である。では評価を受けるために何をすればいいのか。【数】と【単価】の両軸で考える必要がある。

【数】をたくさん上げるには、それなりの顧客数と顧客側のキャパシティが必要となる。今自分が担当している顧客数で数を稼げるか判断しなければならない。
【単価】で稼ぐなら、顧客数は少なくてもよくて、顧客側の財力さえあれば一気に獲得できる見込みがある。こちらも、今自分が担当している顧客の中で該当する顧客がいるか判断しなければならない。

つまり、売上一つとっても考えることは山程あって、今自分がどの分野の評価数字で稼げそうか見極めてそこに注力していく必要があるのだ。

ただ、いいたいことはそうじゃなく…

評価を受けるための施策を書いてみたが、言いたいことはそういうことではなく、、
社会には理不尽がつきものである。上司に気にいられるという現象だ。

上司に気に入られると、数字が悪くても評価は上がる。上司が悪い数字に理由をつけて、更にその上に報告してくれるからだ。そうすると、悪い数字がフラットになり、良い数字だけが残る形となる。そうして、なぜか不思議と良い評価を受けるようになる。

私がまさにその典型だった。先程書いたような売上のロジックと、今どこに注力するかを伝えるだけで、評価が上がっていた。蓋をあけてみると、実行する実力がないので数字はついてきていないのに、役職があがり、収入があがった。

つまり、評価は建前で、結局は人間関係なのだろう。どうやろ今の会社は評価を今後AIに代行してもらうらしい。私のようなタイプは今後駆逐されてしまい、本当に実力がある人が評価されるのだろう。
ただ一点の不安がよぎる。数字が抜群に良い人って大概変人が多いような気がするのは私だけだろうか。。。

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