宝くじは信じても当たらない
あれは高校一年生の頃だったか。教師に頼まれて、不登校の一年生に会いに行ったことがある。
高等部に進学して一ヶ月目の五月の頃。学年主任に呼び出された僕は一年生の担任団と顔を付き合わせるとこになった。
曰く、その一年生の少年は入学以来、自分でもよくわからない理由で学校に来るときに足がすくんで動けなくなると。それでもせっかく受験に合格したので学校には来たいと思ってると。好きなアニメは『ガンダム』シリーズらしく、ゲームセンターのゲームもよくしていると。校内で有名なオタクである僕の話を聞いて、学校に来れるようになったら是非とも弟子入りして僕が所属している文芸部にも入りたいと。そこで、僕にその一年生と連絡をとってあってほしいとのことであった。
そんな事情を話す教師は、僕が一度も授業を教えてもらったことのない人だった。僕のことを知ったのもおそらく他の教師から聞いたのだろう。当時の僕は学校ではそこそこ名の知られたオタクで、かつ学校になじめていない生徒と仲がいいことで知られていた。今回の一年生のようなケースは僕にとっては初めてではない。この依頼をされたのもたぶん、中三の時に「心臓病で学校に来れていなかった同級生がなじむのを手伝う」「病気で不登校がちな下級生と登校する」などなどの教師からの頼みをクリアしていたからだろう。副校長は「頼んだぞ」と僕に言った。
そういうわけで僕はその少年とメールをやりとりすることになり、夏休みに一度会うことになった。友人は「そういうのは教師の仕事だろう」と怒っていた。
八月の頭ごろ、暑い夏の日だった。我々は三宮にあるダイエーの前のクレープ屋で待ち合わせをした。少年はガンダムのMS がプリントされたシャツを着ていた。
「お、MS-07B-3やな」と僕が言うと少年は「グフカスタムですね。MGの箱絵の」と笑った。
しばらく我々はダイエーの軒先で飲み物を飲みながらしゃべった。少年は、「今朝の占いで一位だったんですよ」と嬉しそうに笑った。
「そうだ、宝くじ買いましょう先輩。一位だったから何かあたるかも」
ずいぶんと変わったことを言う子だと思った。そこで隣の宝くじ屋に行ったとき我々は初めて、宝くじが一八歳以上でないと買えないことを知った。
少年はやや意気消沈したようだった。僕は少年に「厚いし、建物の中に入らないか」と提案して、書店の中に入ることにした。
お店を回りながら、少年は僕にいろいろなことを話した。好きなアニメやゲームの話、ゲームセンターで遊ぶのが好きなこと、三つ上の姉と喧嘩する話、口うるさい母親の話……学校のことは、彼は話さなかったし、僕も聞かなかった。少年はただおたく気味でゲームが好きなだけの、普通の少年のように僕には思えた。僕はあまり自分の話はせずに聞き役に回り、「年上の兄弟ってちょっとうっとおしかったりするよね」とか、理解を示したりした。
しばらくして、僕らはゲームセンターに行くことにした。ほとんどゲーセンに行かない僕がクレーンゲームでお金をすってるのを尻目に、こなれたアームさばきで少年はぬいぐるみなどをとっていた。「今日はなんか調子悪いです」と少年は言っていた。
しばらく遊んでいると「お、こんなところで何してるんだ」と後ろから声をかけられた。そこにいたのはゲーセン通いで有名な一つ上の先輩と、その友達だった。
「あー先輩どうもっす。この子は」
そこまで言ってから、僕は次に言おうとしていた言葉にためらってしまった。
「……うちの中等部の後輩です。一年の」
僕が「この人はうちの先輩」と紹介すると少年は「よろしくです」と頭をさげた。
しばらく話してからゲーセンを出ようとすると、先輩が「暇だし俺も行くよ」と言い始めた。先輩は気のいい、優しい人なのだがさみしがりな気があって後輩の集まりにもすぐ顔を出したがるのだ。困ったことになった、と僕は思った。理由のわからない「来てほしくないなあ」という思いが心に浮かび僕は当惑した。
「先輩、ちょっと来てください。君はちょっと待ってて」
そう言って僕は少年の目につかないところに先輩を呼んだ。
「あの子は不登校の一年生で、今日僕は担任の教師から頼まれて遊びに来てるんですよ。くれぐれも刺激するようなことは言わないように気を付けてください」
先輩に状況を理解してもらうのにそれは必要な発言だったかもしれないが、僕はそれを明文化したことに、自分自身に対してわだかまりを抱かずにはいられなかった。少年はただの、ゲームとロボットアニメが好きな内気な少年なのだ。保護が必要な危険物などではなく。先輩は目をぱちくりさせながら「わかった」と言った。戻ると少年はややうつむきながら待っていた。彼が、彼のいないところで先輩たちが話している内容を悟ってしまっている可能性について僕は考えないようにした。
僕らはいったんゲーセンを出て、少年がほとんど行ったことのないというセンター街の方面へ案内することにした。
三宮でオタク仲間と遊ぶとき、たいてい僕らはセンター街の二階、三階にいく。そのへんは「アニメイト」だったり「とらのあな」だったりのオタク、サブカル系のお店が軒を連ねている。とはいえ僕も少年も最近のアニメにはさほど興味がないのでアニメイトなどは素通りしてプラモ専門店に向かった。そこはショーウィンドウにきれいに作られたガンプラがたくさん置いてあるので、ガンダムが好きなら結構楽しめる。少年はジム系MS が好きということを語った。先輩は最近のガンダムの話をしたと思う。よくしゃべる、自己主張の強い先輩にしては珍しく口数が少なかった。先輩が言葉を選んでしゃべっているように思えて、僕はやや申し訳なく思った。
途中で先輩は帰り、最後に僕らはマルイの屋上に来た。ビアガーデンのシーズン以外は人もおらず、三宮では珍しい空に近くて閑散としたそこは僕の「秘密の場所」のようなものだった。
「先輩、こういう噂話知っていますか」
少年は、フェンス越しに広がる三宮の風景を見下ろしながら言った。
「ドラえもんの作者が亡くなったとき、死亡時間の夜中にドラえもんのアニメが流れたらしいんですよ。のび太が十五分くらい映って、最後に『行かなきゃ』って言うらしいです。その放送が終わった時間と作者が亡くなった時間がぴったり一緒って話で」
ありがちな都市伝説だなと、僕は思った。「トトロ死神説」とか「ムーミンは核戦争後の世界」とかそういう、小学生の間で流れるたわいもない噂話だ。最初の占いの話といい、彼はそういうものを信じやすい性格なのだろうと思った。
「まあ、そういう話よく聞くよねえ」
かなり言葉を選んで否定も肯定をしないことを言ったが、僕は少年の表情を見て、それが少年の期待した返答でないことを悟った。
その日を境に、僕は少年とあまり連絡を取らなくなった。少年は結局一度も学校に足を踏み入れることはなかった。噂では地元の中学に通うことになったらしい。今頃、少年は高校三年生を迎えようとしているころだろう。
その後も僕のもとには教師から、問題を抱えた生徒たちに関する「依頼」がいくつか届いたが、あの日以降僕はどれも成功させることができなくなった。前の学校でいじめられていたという、不登校がちな編入生には居場所を作れず、ネトウヨにあこがれて浮いている中等部一年生の後輩は部活を休みがちになった。僕自身も年を追うごとに、浮きがちな上級生や下級生と交流することも、彼らが望むような返事をしてきちんと会話することも困難になっていった。
数週間前、三宮に立ち寄る機会があったときにダイエーの前に行ってみた。宝くじ屋は移転していた。もう大学生になった僕は、宝くじを一枚買い求めた。番号は少年の電話番号。当然外れた。
あとがき
この小説は2年前に展覧会で発表したものです。イラストもつけてたのですがどこかに散逸しました。またデータ発掘したら貼ります。
一応これは自分の実体験をもとにした小説で、モデルになった中学生もいます。今頃大学生くらいでしょうけど、元気してるんかなあ。