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深夜の銭湯、コーヒー牛乳
僕にはささやかな楽しみがある。銭湯だ。
昼夜問わず忙しい仕事の合間、特に深夜に資料が手につかなくなる時、決まって銭湯へ足を運ぶ。
マーケティングの仕事をしている僕は、データをまとめたり、見解を書いたりすることが多いが、どうにも煮詰まってしまうことがある。資料作成が進まない、頭が回らない、そんな時こそ銭湯に行くタイミングだ。
幸い、家から自転車で10分ほどの距離に銭湯がある。
この「そこそこ近い」という絶妙な距離がまた良い。
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夜中の街を自転車で走ると、まるで世界には僕しかいないような気分になる。
人影もなく、車も通らない静まり返った通り。
街灯がぼんやりと照らす道路を、風を切って進むと、次第に現実感が薄れていく。
まるで僕は現実と夢の境界を滑り抜けているような感覚に包まれる。ここは本当に現実なのか?それとも夜という名の異世界に迷い込んでいるのか、そんな気分にさえなる。
自転車が進むにつれ、街はさらに静寂に包まれ、僕はまるで自分だけが時空の狭間を漂っているように感じる。
この感覚がまたたまらない。
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やがて、銭湯に到着する。外の静けさとは裏腹に、銭湯の中はいつも賑わっている。
そのギャップがまた面白い。
外は時間が止まったように静まり返っているのに、ここだけは時間が動いている。
僕は広い湯船に浸かりながら、五十肩で動かない左肩をぐるぐると回す。
これもまた銭湯での習慣だ。
肩の痛みを抱えつつも、ゆっくりと湯の中で体をほぐす。
だが、銭湯の楽しみは体を休めるだけではない。
ここに集まる人々を眺めながら、彼らの人生を想像するのも、僕の密かな楽しみだ。
彼ら一人一人がまるでそれぞれの物語を背負っているように見える。
打たせ湯で気を失っている金髪の若者。
あれはホストだろうか?ホストの仕事もなかなか楽じゃないだろうな、なんて思いながら眺める。
苦しそうに滝に打たれるその姿は宗教画のような世界観だ。
そして、背中に立派な彫り物を背負ったお爺さん。
控えめに見てもただ者ではない風格がある。
彼が歩んできた人生には、きっと数々の試練や困難があったに違いない。
湯に浸かるその姿は、浮世絵のような立ち姿だ。
あの青年は夜勤明けなのか、それともこれから出勤するのか、僕と同じように疲れた顔をしている。
労働に疲れ果てながらも、静かに日常を支え続ける労働者のようだ。
力強さを失っていない肩や、湯船に浮かぶ無防備な表情が、どこか報われない労働のリアリズムを物語っている。
そして銭湯での一番のお楽しみは、実は風呂上がりにある。
湯上がりのドリンク選びだ。選択肢は3つ。
牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳。どれにするか、毎回真剣に悩む。今日はコーヒー牛乳を選んだ。
思った以上に甘い。
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これはもう「コーヒー」と冠するには無理があるだろう、なんて思いながら一気に飲み干す。
でも、この甘さが体に効く。
何に効くかはわからないが、とにかく効いているのだ。
銭湯でリセットされた僕は、その後、仕事に戻る。
驚くことに、風呂に入ると頭がすっきりして、資料作成がサクサク進むようになる。
夜中に始めた仕事が、風呂のおかげでなんとか形になる頃、外はすっかり朝だ。
世の中の人々が起き出す頃、ようやく僕の1日が終わる。
仕事を終え、疲れ果てた体をベッドに沈めると、まだ口の中にはあの過剰に甘いコーヒー牛乳の味がほんのり残っている。
甘さと疲労感が混ざり合い、心地よいぼんやりとした感覚が広がる。
その甘さに包まれたまま、僕は静かに眠りにつくのだった。