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ハーバーランドのフードコートでカレー食って解脱

カレー、スパイス、そして解脱

ハーバーランドに足を運ぶ日は、僕にとって特別な日だ。
表向きの理由は、クライアントとの定例会。しかし、内心のメインイベントはその後に待っている。
そう、フードコートにあるカレー屋で、チーズナンとバターチキンカレーを堪能することだ。

この店のカレーには、何とも言えない魅力がある。スパイスの香りが立ち上るその瞬間、僕は悟る。
これは単なる食事ではなく、一種の「解脱」なのだ。カレーの複雑な香りが、僕の心をほぐし、現世の煩悩から解放してくれる。
まるでスパイスが、僕を束縛する現実の鎖を少しずつ断ち切っていくように。

解脱の案内人

インド人の店員さん、いつも同じ人がレジに立っている。
彼が「解脱」の案内人だ。

「オニサン、どのセットにしますか。」
「チーズナンセット、バターチキンカレー、中辛、ドリンクラッシーで。」

これが解脱に至るためのいわば呪文である。
店員さんは微笑んでいるが、僕は大真面目だ。
スパイスというのは、単なる調味料ではない。それは僕の精神を浄化し、解脱への道を照らしてくれるものだ。

内的体験

フランスの小説家、思想家、そして哲学者であるバタイユが「内的体験」を通じて自我を超えようとしたように、僕もこのカレーを通して、自らの欲望や不安からの解放を求めているのだ。

バタイユが語った「内的体験」は、肉体的、精神的な限界を超えたところに現れる。
僕にとって、このカレーのスパイスは、まさにその限界突破を導くカタルシスだ。
チーズナンをバターチキンカレーに浸して食べるたびに、僕の中にある全ての悩みや煩悩が溶けていくのを感じる。

一緒にきた部下に僕は語りかける。
「このカレーは僕にとってはただ食事じゃないんだ。これは僕の心を解き放ち、解脱へと導いてくれるものだ。」
部下は怪訝な顔をしている。

スパイスはインドの文化においても特別な意味を持つ。
単に味覚を楽しむためのものではなく、精神の浄化や健康を促進する力があると信じられている。
僕がこのカレーを食べるたびに感じるのは、その古代から続くスパイスの力。
カレーの熱が喉を通り、チーズナンの濃厚な味わいが口の中に広がると、僕の体は軽くなり、解放感が湧き上がってくる。

この一口一口が僕の解脱への道標なのだ。食べ終わるころには、仕事で抱えていた悩みやストレスは全て消え去り、心はすっかり軽くなっている。
そして最後の一口を噛み締めたとき、僕はこう思う。

「これが、僕にとってのカタルシスだ。」

スパイスの複雑な風味が、僕の内なる葛藤を一つずつ溶かしていき、最終的に解脱へと至る。
その瞬間、僕は一時的に現世の苦しみから解放され、精神の深いところでカタルシスを得るのだ。

インド人の店員さんが僕に微笑む。
「オニサン、次回もチーズナンですか?」
「もちろんさ。」
僕は反射の速度を超えて返事した。

こうして僕は、次回もまたハーバーランドを訪れる時この店を訪れるだろう。
そしてスパイスに導かれた解脱とカタルシスを求めて、チーズナンを注文するのだ。

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