夜型生活15年
夜中の不思議な魅力
夜中に仕事をし、夜中に散歩をして、夜中にSNSをダラダラと眺めて眠りにつく。
そんな夜型生活が嫌いかと言うと、実はまったくそうではない。むしろ、夜には特有の魅力があるのだ。
いや、少なくとも自分にはその「魅力」にハマって15年が経つ。
昼間の喧騒から解放された夜中の街は、まるでドラマの舞台だ。
静寂が世界を包み込み、普段気にも留めない物事が、急に重要なことに思えてくる。
例えば、遠くに見えるコンビニの看板が、まるで世界の終わりを告げるサインに見えたり、近所のネコがこちらをじっと見ているのも、何か深いメッセージを秘めているかのようだ。
「まさかネコが宇宙の秘密を知っているのか?」
なんて妄想しながらも、実際はただのネコであることに気づき、なんとも言えない虚無感に襲われる。
散歩中には、昼間に見る何気ないものがまったく違う意味を持つように感じられる。
路地裏で見つけた缶コーヒーの自販機が、なぜか「人生を見直せ」と語りかけてくるように感じたり、街灯の下でくるくる回る小さな虫たちが、何かの啓示かのように見えてしまうのだ。
夜中だからこそ、現実がちょっとだけファンタジーに侵食される瞬間がある。「もしかして自分はこの世界の主人公?」なんて思いながらも、たいていその考えは数分で消える。
ご心配なく、ドラッグはやっていませんので尿検査は不要です。
夜の穏やかな時間の流れ
夜中はなぜか時間の流れがゆっくりに感じる。
昼間のように「次の会議!」「次のメール!」と急かされることがない。
夜中の3時なんて、時間が止まっているんじゃないかと思うくらいだ。
だから、夜型生活者にとっての2時は「まぁ、まだ寝なくていいか」と思ってしまう瞬間。
SNSをダラダラと見て、同じページをスクロールしているのに、「何か新しい投稿が来るんじゃないか?」と期待してしまう。
無論、来るわけがない。
夜型おじさんのジレンマ
そして、そんな夜型の自分には一つの謎がある。
それは、「どうして朝型になれないのか?」という疑問だ。
頭では「朝型生活がいい」と理解しているはずなのに、なぜか夜中の2時になると急に世界の謎を解明しようとし始める。
もしかすると、夜中の魅力に取り憑かれているのかもしれない。
でも、そんな謎も夜明けとともに消えてしまうのだ。
結局、朝日を浴びてから眠りにつく。この繰り返し。
そんな自分を反省する間もなく、また夜がやってくる。
どうしてこうなったのだろうか、小学生の時に江戸川乱歩にはまり彼の残した言葉
「現世は夢、夜の夢こそまこと」
というフレーズに感化されたのだろうか。
夜は現世と夢が交錯するまことの世界であるとは思う、昼間の方が僕にとってはずっとフィクションなのだ。
しかし僕もいちサラリーマン、何度も「今日こそは早寝早起きの朝型生活を!」と決心したことはある。
だが、夜中になるとその決心は霧のように消え、再び夜の魅力に引き込まれてしまう。
朝方生活に戻るための本も読んだし、朝型にするためのアプリだってダウンロードした。でも、どれも役に立たない。
何しろ、夜の静寂の中でSNSを見ながらベッドに横たわっていると、「明日からやればいいか」といつもの自分が囁いてくるのだ。
結局は朝日を浴びる
そして、こうしてまた今日も、朝日を浴びながら眠りにつく。
「まぁ、明日からでいいだろう。」
そう思いつつ、結局次の日も同じことを繰り返す。
これが15年も続いているのだから、もはやここまでくれば夜型生活は「ライフスタイル」だ。
気がつけば、夜とともに生きている自分がちょっと誇らしくすら思えてきた。
結局、変わらない。
でも、これでいいのだ。
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