泣きの一杯。
赤羽といえば都内随一の飲み屋街である。
通称「センベロ」:1000円ほどの料金でベロベロに酔えるお店のこと。
財布のガマ口がより厳しい時代にありがたい料金設定である。
もう何年も前の話、大学時代の旧友4人で赤羽のスナックに行って人生相談でもしてみようと計画。
20代半ばで皆が藻掻き苦しんでいた頃、なんとかして人生のヒントが聞けないかと画策して、勇気を振り絞りその昭和感たっぷりな重い扉を開けた。
薄暗い店内にはバブルを思い出すシャンデリアに壁一面の名札付きボトルキープが並べられたバーカウンター。そして、カウンターでせかせか小料理を作っているママと若いお手伝いさん。
画に描いたような場末のスナックである。
「これから常連が真ん中に座るから、お兄さんたちはカウンターの端っこに座りなさい!」
これまた画に描いたような凸盛りパーマのママにいきなり右端への座席指定をされた。
我々は座るやいなや壁のホワイトボードに書いてある煤けた酒類の一覧に目を遣り、ビールなり水割りの焼酎なりを頼んでいった。
「常連さんはやっぱり特等席のVIP待遇なんだなあ」
出されたお通しをつつきながらそんな会話をしていると、背後から扉のベルが鳴るとともに冷たい風が入ってきた。
「おっす、お疲れさーん!」
どうやら常連さんである。
振り返ると、40代くらいのアロハを着た黒縁メガネのオジサンと、その後ろからトボトボとついてきた我々と同世代くらいの若い女の子。
明らかにテンションが異なる二人。どこで知り合ったのだろうか。
オッチャンナンパで引っ掛けてきたのだろうか。それともパ◯活前の意気揚々な気合い入れか…。(その後こんな妄想をしてしまって大変失礼だったなと思うことになろうとは。)
妄想を広げているうちに例の特等席に座った。
僕は旧友4人がけの左端、その左に若い女の子を挟んで常連のオジサン。
「なんだー今日は若い奴らもきてるんだな!じゃあ一緒に乾杯しようや!」
いつ頼んだかわからない速さで常連さんの前にはグラスジョッキ。
女の子にもハイボールらしきパチパチと泡立ったお酒が用意されていた。
スナックらしい雰囲気になってきた高揚感と、ハウリングして鳴り響く他客の演歌カラオケの熱唱に早速お酒が進んだ。
我々4人は料理を配膳し終えたお手伝いさんと、それぞれ自己紹介を織り交ぜつつ仕事がうまくいかないだの、彼女ができないだの、個々の人生相談をしていた。
お手伝いさんに1週自己紹介をした後、暫くしてふと左を気にかけると、オジサンはママと話し込んでおり、その隣では付いてきた女の子がポツリとジョッキの縁をすすっていた。
これも一期一会だと意気込み、私はお酒の力を借りて女の子に話しかけた。
「今日は付き添いかなにかですか?」(今思うと完全にアウトな問いかけである)と尋ねると、
「はい、実は親戚の叔父なのです。面白いからと言われ付いてきてしまいました。」
血縁関係があった。
私「へぇーそうなんですね!この辺に住んでるんですか?」
女の子「はい、元々は群馬出身で、看護学校に入るためにこのあたりに上京してきました。それで今は近くの病院で看護師をしています。」
私「すごいですね!僕もこの隣町の出身で、今は爺ちゃんの入院している病院の見舞いで先生方にお世話になっているんですよ。」
当時、祖父が入院していた病院に家族で定期的に見舞いに行っていた。
女の子「えー、それってどこの病院ですか?もしかしたら知ってるかもしれないです。」
私「すぐそこの〇〇町にある●●総合病院です。そこそこ大きい病院なのでわかりますかねー?」いつになく饒舌だった。
女の子「エッ!?それ私が勤務している病院です!!」
私「え、そうなんですか!僕◯◯(名字)って言うんですけど、8階の△△号室に出入りしてますよ。」
女の子「嘘!?私知ってますよ!◯◯さん。今はリハビリを担当しているので!」
急展開である。祖父の入院先の看護師さんだった。
驚きを隠せずに空になったお通しの皿に箸を伸ばしていた。世間は狭いと感じざるを得なかった。
聞くと、上京してやっとのことで看護師になれたが、夜勤が慣れずにしんどい思いをしているとのことだ。
看護師さん「でも、私もうすぐ地元へ帰るんです。」
なぬ。
看護師さん「国家試験の受験のために地元へ戻って、そのままあっちで就職する予定なんです。」
たまたま酒の席で隣りに座った人が近しい人だったこと、身の上話をされること、そして本当の一期一会になってしまうことが20代のワタシには衝撃かつ新鮮すぎた。
看護師さん「でもわたし勉強もできないし、受かるかとても心配で…試験も近いのにここで飲んでていいのかなって。」
私「大丈夫ですよ!なんとかなりますって!がんばってください!!」
情報処理が追いつかず更にお酒も回っていた私は、呑気に励ますのがやっとだった。
一旦落ち着こうと、旧友らの会話の中に無理くり相槌を打ち溶け込もうとした。そう、放置したのだ。
それからまもなく、そんな会話をしたのかもうろ覚えになってきたときに、ふと隣が静かだったのでまた看護師さんの方に目を配った。
グラスジョッキを両手に掴み泣いていた。
私は思わずこれまでにない声を発して驚いてしまった。
その驚嘆の声に気づいた黒縁メガネのオジサンがこっちを向いてその状況を悟った。
「お前うちの子を泣かしたな!!何を言ったんだ!!」
私も全く訳も分からずパニック状態である。
「違いますって!ふと隣を見たら泣いてたんです!」
勝手な解釈だろうが、女の子は将来のことや勉強のことで不安になってしまったのだろう。人知れず自らと戦っていて張り詰めた糸がプツンと切れ、一気に開放されたのだ。
次の場面では女の子に叔父さんが肩を抱き寄せながらお店を出ていく光景が見えた。
ツケの仕組みを理解したのもその時だった。
旧友3人から「お前女の子を泣かすとか最低だなw」と聞こえていたような気がするが、茫然自失に立ち尽くす私の耳にはかすかに記憶している程度である。
私は悪者になった。
この話は今でも旧友の間では語り草である。
あれから10年近くが経つ。
あの人は元気にしてるだろうか。
真面目な人だろうから、きっとうまくやっていると信じて、私は心底謝りたい。
そして、お世話になった祖父の代わりに何編でも感謝をしたいのである。