20201120
図書館で借りていた川上未映子『愛の夢とか』がじわじわと好きになってきたので買おうと思うのに、もう文庫しかないのだろうか。とても素敵な装幀なのに。装画ももちろん素敵だし、本文がどことなく薄いような細いような繊細さを感じる。
短編集だけど、そんなに短くないような気がして(話による)、川上さんの本を読むのはこれが初めてなのだけれど、改行が少ない。もう、ページをいっぱいいっぱい、余すところなく使っている。この感じが、読むのは大変な時もあるけれど、すごく好きだ。思いがあふれている、というか、止められない、というか、ドバドバあふれているわけではなくて、淡々とつらつらととめどなく流れるように頭の中を巡っている感じ。自分でも書物をするけれど、どこかで読みやすさを考えているところもあって、でもそれって、いらないのかもしれないなと思った。ものにもよるけれど。小説は、読みやすさとかではないな。そんなのは死んでいる。
特に最後の『十三月怪談』の時子の言葉に、心臓をぐっと掴まれたようになる。最後はほろほろとほどけていくようで、ああ、と心の中でため息を吐いた。死は生きている人間に常に寄り添っているのに、それを忘れていたりあまり感じない人と、時子のように感じやすい人がいて、時子の素直さ、というか止められない抑えられない部分と、まったく違うタイプの夫潤一の、それでも和やかに感じられる日々と、現実と、その後と、ないまぜになって、さみしいような愛おしいような気持ちになった。
もう一冊、劇団雌猫の『だから私はメイクする』も明日返却なので読む。すごい本だ。
劇団雌猫のことはユリイカで知った。女オタクの特集のユリイカで、私は泣いた。ユリイカって、泣く雑誌じゃないよね、しかも女オタクの特集で?と自分でも不思議に思いながら泣いた。その時と似たような気持ちになった。世界の片隅に追いやられた(と感じているけれど実際は普通に生きている、いや、生きていかなくてはならない)何かを偏愛してしまった女たちの苦悩。他人事とは思えない。
昔は私も武装していたな、と思い出す。とっておきのアナスイのアイシャドウや、アルゴンキンの洋服、セクダイのコサージュ、首元を切った、好きなバンドのTシャツと、金の熊。
今はいかに弱く見えるか、ということに重きを置いているような気がする。いかに目立たないか。雑兵でいられるか。そうやってひっそりと、死んでいくのかもしれない。