私とお笑いと現在地

劇場に通い始めたのは1年くらい前からだが、お笑いは中学くらいから好きで、もう20年くらい経つ。
福岡に生まれ育ち、あの頃はネットも今ほどは発達していなかったので、地方に住まうハンデは重かったように思う。

オンバト世代ど真ん中で、一番好きなのはビッキーズだった。特に須知さん。中学2年生の私は須知裕雅と結婚したかった。
関西に来て嬉しかったのは、ビッキーズが好きだったと言うと、「あぁ!あの!」と普通に分かってくれること。
正直九州からその姿を拝むのは非常に苦労した(当時大阪に行くという考えもなかったし)が、関西では「そら知っとるやろ」くらいの活躍を残していたんだなぁと嬉しく思う。

苦労したエピで言うと、どうやらラジオをやっていて、どうやらAM(FMだっけ?)は圏外でも聞ける可能性があるらしいということで、無理やり周波数を合わせて、ハングルまじりの雑音の中から かすかに聞こえるラジオを必死に聞いていた、とか、笑いの金メダルに出るらしいぞ!と思ったら、思ったより出ていなかったり、なんならダイジェストでカットされたりで打ちひしがれた思い出がある。

そんな状況で何見てたの?って話だけど、今は亡きGYAO!さらにその前身だったと思われるYahoo!動画というやつ(名前は不確か)に上がっていたネタ動画(Baseよしもとかなんかの様子?)を頼りにしていた。といっても通算数本だったと思う。それを期間いっぱい繰り返し見た。あと、ZAIMANのレンタルビデオとか。

そんな感じで追うのに非常に労力が要るため、そこまで把握できずに年月が経ち、Yahoo!ニュースで解散を知ることになったのであった。悲しかった。

お笑いはずっと好きだけど、別に誰が一番好きとかはなくて、ビッキーズ以来マジでおらんかった。
近年は「今一番アツいのは○○かな~」みたいな感じはあったが、それでもOne of the most の感が強く、絶対!揺るがん!推し!!!みたいな感じはなかった。

劇場に通い始めたのは、ロングコートダディがきっかけだったと思う。

ロングコートダディは、関西に出てきたばかりの頃に見たABCの決勝(今思えば)で初めて見て、一発で好きだと思って名前を覚えた。個人的にはこれは稀なことである。服伺いは今でも上位で好きなネタ。

その後は、ネタ番組で見たり、座王で堂前さんへの関心を深めたりしていた。(兎が出てたことあるのも覚えてるよ)

大きく事情が変わったのは、ゲーム念仏を見始めてからだった。
チャンネルの存在は知りつつ、ゲーム実況というものに興味がなかったので別に見ていなかったんだが、なんのきかっけか見始めたらドハマりして、マイクラなんかは死ぬほど画面酔いしながら徹夜で見続けた。

それでロングコートダディ熱が一段と上がり、現場に行く決意に至った。んだったと思う。
だったと思う、になるのは記憶が定かでないからだけど、そういえば、電気の前にふくらまくらと銀シャリ食堂を外していたので、やっぱロングコートダディが一番見たかったんだな。

そんな感じで劇場通いが始まり、そこそこの頻度で通い、生活の一部となった。

「お笑いは現場で見てこそ」とはあんま思わんし、さも崇高なことのようには絶対に言いたくないけど、家にいてはできない体験を1年足らずでたくさんできたし、テレビで見ていて好きじゃなかった人たちを現場で好きになったり、劇場でしか見られないような若手を好きになったり、好きなものが増えてHAPPYの頻度が上がった。

なんか本当は「正しく愛せているか」みたいな葛藤的なことについてを書くつもりだった気がするが、書いてるうちに(空き時間でちまちま進めていたので)何が書きたいのか分からんくなった。
というか、今は うれしい!たのしい!大好き!が大きくて、葛藤とかはいいわ。

まぁ、とにかく、ストイックひきこもりガチ勢の私が外に出る趣味を得て、外に出るために服を買ったり普段よりちゃんとメイクしたりという楽しみを取り戻してQOL上がったよ、その始まりはロングコートダディによるところが大きいし、お前がナンバー1だ!!ってことで。終わりでーす。

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