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志望校「ゼロ高」①

-私にとって「勉強」とは「安心」だった。-

中学2年生までの中で、私は

「勉強ができる人」が良く、
「勉強ができない人」は悪い。

そんな風な思考が形成された。

でも義務教育の終わりが見え、自分の進路というものを考える中3になった時、そこに変化が生まれた。

これまで沢山の人と出会った。本当に個性的な人が多い。

勉強が出来なくても、メイクが上手な人がいた。
勉強が出来なくても、絵が得意な人がいた。
勉強が出来なくても、スポーツの大事な場面でしっかりシュートを決める人がいた。
お菓子が作れる人も、アニメや、ゲームが好きな人もいた。

変な人だ、変わっている、と言われても、本当は色んなことを考えているし、本当はすごく優しい人もいた。


ここまでくると勉強ができるとは何なのだろう。

もちろん勉強だって、努力して頑張った者は、その努力は絶対に他に生きると思っている。

でも、勉強にしがみついて、そこから落ちたら終わると考えている私はどうなるのだろうと思った。

さらに私達には受験というものがある。受験とは、

どんな人でも「勉強」というジャンルでしか計られないのだ。


幸いなのかわからないが、私は受験勉強は楽しかった。過去問の分析をすることや、定期的に模試というもので現在地が把握できるシステムが自分に合っていた。

だけど、

「ゼロ高」に出会って受験というものに違和感を感じた。(ゼロ高にビビッときた感じは、また書くとして)

どうして色んな個性をもった人間がいるのに、入試というものでふるいにかけ、「合格者」と「不合格者」がでるシステムなのだろう。

メイクで誰かを幸せに出来たり、美味しい食事を作って誰かを笑顔にすることが出来るかもしれないのに、勉強において合格者と不合格者に分けられるのだ。

これで本当にいいのだろうか。

そう思った私は

受験勉強というものをすこしやめてみた。



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