諦めた夢は数知れず けれど大抵のことは叶っている
最近、気持ちが沈みがちなので前向きになりたいという気持ちから文章を書いてみる。
こういう気持ちの時は、大抵ネガティブな文章になりがちなので、書くことをためらうことが多々あるんだけど、どうも心の中の靄(もや)が晴れないので、文章を書いてみる。
ここのところ、なんだか幸せだったんだなって思う。
少年時代に環境のせいだと言って、いろいろなことを諦めてきた。
自分の人生はどうなってもいいと思って、死にたいというよりは消えたいとしょっちゅう思っていた。こんな感情になっていたことを今ではつくづく後悔している。
人生どうなってもいいなら、腐らずにいろんなことに挑戦したらよかった。
若い頃のあのパワーを持て余していたなって思う。悔しくてしょうがない。
しかし、なんだかんだ言って今までの人生で『こうなりたい』ってことは、実は結構叶っていて。それが成就したかどうかは別として。
その秘訣って、やっぱり思い続けることなんだよね。根拠なき自信を掲げて諦めないこと。もうね、執念みたいなものを持ち続けてもがき続けること。
ふさぎこんでいた頃に音楽に触れて、歌詞に自分を投影してアーティストに勝手に励ましてもらっているような気持ちになってみたり、自分もいつかそういう風に人に力を与えるようなことができる人になりたいという気持ちになっていた。
最近、その頃によく聞いていた音楽が聴きたくなって再び聴いている。すると涙が出てくる。
あの頃の気持ちを思い出すのか。それとも何も成長していない自分を憂いているのか。真意はわからないし、今そこを見つめるのはちょっとしんどい。
ここまでガーッと書いて来たけど、急にタイピングを打つ手が止まった。
心情の変化というと、すこし心の奥がうずいているような感覚がある。
この感覚をどう受け止めたら良いのかは、まだ分からない。
ひとつひとつ、行動の結果を受け入れて、結論をつけていっていると考えると、なんだか可能性がひとつずつ減っているような気持ちになって不安や恐怖心が芽生える。
そんな心情に少し似ているのかな。
あるコラムに「夢と一緒に傷ついてください」と書いてあったことを思い出した。夢を追いかけるということは、傷つくことを避けることはできないものだなと思う。
傷つきたくなかったら、諦めたらよいのだから。傷ついたということは挑戦したということ。
こんな時は挑戦のハードルを少し下げて、まずは諦めないことにしよう。
どんな結果が出ようとも。たとえ打ちのめされたとしても立ち上がろう。
それでは、今回はここまで。