自分ではない自分になっていた頃
私は、中学生の頃ぐらいから、自分の顔が大嫌いでした。どんな髪型しても似合わない、みんななんであんなにかわいいの?
と、やれ前髪を自分で切って派手に失敗したり、ダイエットをしたり、いろんなことをしました。
大学卒業してからもそのコンプレックスは続き、『私には何も似合わない』。みじめな思い込みから美容院に行くのも恥ずかしくなり、服を買いに行くのも恥ずかしくなり、、自己肯定感ゼロでした。
コンパに誘われても、結局男性がアテにしているのはキレイな友達。私は引き立て役でしかない。
一念発起、私はその後、引き立て役ではなく男性が一番に目をつける女の子に変身を遂げました。
もうみじめな思いはしたくなかったんです。
スノボが得意で、BMWに乗ってて、おしゃれなバーを知ってて、香水プンプンの男性に、ただただ私は好かれたかったのです。
しかしある時『あれ?私って、ナニ?』と思ったんです。
自分らしさを否定し、キラキラ光ってる誰かの意見を自分自身の意見と勘違いし、本来の私はもう見えなくなっていました。
でも、ここでまた『自分』に立ち返ってしまうと、『彼氏ができない!それだけは避けなければ!』と必死でした。
私は、自分を追い込み、過食拒食を繰り返し、スタイルを維持する為に必死。
私はきっとその時、体重0キロになりたかったんだと、思います。
全ては、モテるために。
(バカみたいに聞こえますが、当時は本気でした(笑))
私は外見が全てだと本気で思っていました。
中身なんて、外見の二の次、三の次だと。
しんどかったですよ(笑)
私はなぜか、外見に異常な執着を示していたんですね。そして、自分を肯定してくれる相手を探すことに必死でした。
なにかの思い込みで、私のように自分を見失い、自信を持てなくなった人、たくさんいると思います。
私の場合は、おそらく幼少から親に『人として』『常識的に考えて』ということを強烈に言われたからだと思います。親の意見にそぐわないことは否定され、私の考えは聞いてもらえない。
そういう体験から、自分自身に蓋をして、自分に全く自信がもてなくなり、自分を否定してきたんです。
だからせめて、外見でカバーしてやろうと。
今はこう思えます。
その時の体験も、決して無駄ではなかった。あの経験があったからこそ、繊細な痛みがわかります。
自分自身というのは、完全な状態で生まれてきています。なにも不足していません。
人と比べることにより、優劣がつきますが本当は、そんなこと
どうでもいいんです。
今、自分を好きになれない人、『私なんか大っきらい!』と言っても大丈夫です。そのあとに『でも、ありがと』と付け足してみてくださいね。