能登に向かって|石川旅行記⑧

家の外で、水道の工事をやっているのだが、1人の作業員が一緒に工事をしている作業員をめちゃくちゃなじっていてとても嫌だ。その言葉ももちろんだが、「なじる」時特有の声量や声のトーンを聞くのも非常に嫌だ。私は気がすくんでしまう。そして関係ないけど、「道路を掘削するということ」が「親知らずを抜く」という事に頭の中で対応してしまって、また嫌だ。近くにある麦茶を飲む。麦茶はおいしい。何はともあれ、明日は抜糸の日だ。

前回の続きから。能登中島駅に到着した私は、能登演劇堂を目指して炎天下の中を歩き始めた。グーグルマップのナビによれば、能登演劇堂まではおよそ25分かかることになっている。たいした距離ではないのだが、2024年夏の異常な暑さとつもる疲労によって、ぜえぜえと息を吐きながら歩くことになってしまった。なぜここ中島町に演劇堂があるのだろうか。能登中島駅へ向かう車内で調べたところによると、どうやら「無名塾」という劇団(正確には俳優を育成する私塾)が中島町で合宿を行ったことがきっかけのようだった。

能登演劇堂の成り立ちについては能登演劇堂のホームページに詳細が載っている。恥ずかしながら、不勉強のため私は何も知らなかった。その意味でもまずは来ることができてよかったと思った。

能登演劇堂

能登演劇堂にて

途中、水分がなくなり必死の思いでスーパーに寄って水とポカリスエットの水色を買ったりしたが、なんとか無事に能登演劇堂に到着することが来た。うだる暑さとはまさにこのことだというような気温だった。私は到着するなり、トイレに入り、シャツの着替えをさせてもらった。その後の私の、首には和倉温泉で買った和倉温泉タオルを巻き、お土産をリュックに提げているという風貌はすごく「あほ観光客」というものだったと思う。能登演劇堂は冷房が効いていて、とても涼しかった。マルシェが開催されており、室内・室外両方にお店が出ていた。しばらくすると、「音楽ライヴ」が始まるということだったので、見てみることにした。私が印象的だったのは、向かいに座っていたおじいさんが演者の方がピアノを弾くのと同時に、まるで手元にピアノがあるかのように両手をつかって空で鍵盤を弾いていたことだった。それは、ピアノに親しんでいた昔を思い出したのかもしれないし、一種のダンスのように音に合わせて指を躍らせていただけだったのかもしれない。しかし、私はなんだかその表情や動きに心を動かされ、なんというか人間の本来的な喜びの姿を観たような気がしてしまった。
ライブが終わると、公演を行うため客席や小道具などが再度整えられた。少し時間が空いて、開場の時間になると入口のところにたくさんの人が集まりだした。正直にいえば、「音楽ライヴ」を見ていたお客さんは私含めて5,6人だったのが、比べて明らかに多くの人が来ており、座ってみれば椅子がすべて埋まった。中島町あるいは能登に住む人たちの中で「演劇」という存在が大きいのか、「ノトゲキでの公演」という存在が大きいのか、私にはわからなかったがものすごいことだと感じた。
私は「銀河鉄道の夜」をこのような形で観るのは初めてだったのでとても楽しみだった。私が「銀河鉄道の夜」について事前に知っていたのは「カムパネルラ」と「ジョバンニ」が出てくること、先生が「天の川」について授業をすること、「ケンタウロス、露をふらせ!(「正確にはケンタウル、露を降らせ」らしい)」というセリフが出てくる事くらいだった。劇場ではなく展示ホールでの公演というのもどのような演出になるのかとワクワクした。

「NU-Art 石川江古田会」というYouTubeアカウントにて公式的に劇冒頭8分間の映像が公開されている。ちょうど私の見た回に撮影が入っていた。もし興味が湧いた方は動画を見てみてほしい。このYouTube動画自体の冒頭には、今回音楽を担当された田上碧さんの書きおろしオリジナル曲「こんなやみよを」がまず流れる。これが本当に素晴らしくて私は巻き戻して何度も聞いてしまっている。本当に良い。そして、映像にある通りなんと劇中音楽は田上さんによる生演奏だ。贅沢すぎる。劇冒頭8分では、「銀河鉄道の列車の見立て」「役者の紹介」「キャラクターの紹介」などが行われる。中でも動画3:38頃から始まる、音楽と役者のパーカッションに合わせて車掌がアナウンスを行うシーンには本当にドキドキし心が躍った。YouTube動画でも流れている冒頭8分間は、劇に引き込む導入として素晴らしいものだった。そして私の意識が完璧にもっていたのも、およそこの冒頭8分くらいまでだった。
本当に失礼で申し訳ないのだが、この後私は疲れによる強烈な眠気にたびたび負けてしまった。鳥をとる人が出てきたり、人形を自身の分身のように持つ人がでてきたり、りんごをくれる人が出てきたことは覚えている。なんだか、それぞれのシーンを眠りについたときにみる夢のように、不思議な断片として思い出すことはできる。しかし、それをまとめて組み合わせて1つのストーリーとして頭の中で整合することができない。これまで何度も思ってきたことではあるが、観劇する前日は絶対によく眠らなくてはいけない。しかし、今回はよく眠っていたらきっとここにはいない。そういうジレンマはあったが、それとは関係なしに、劇中うとうとするのは失礼なことだ。なんとしても耐えなければいけなかった。

今回の公演を観たり、ネットで調べるうちに、劇中においてカムパネルラとはどういう存在だったのかをなんとなく知ることができた。また、この公演に関するインタビュー記事を読むことで、「銀河鉄道の夜」という物語はどういった意味を含む、または含みうるものなのかという事を理解することができた。意図せずして大学の後輩から借りパクしてしまった「銀河鉄道の夜」の文庫本が家にあるので読もうと思う。申し訳ない。

能登中島駅にて「鉄道郵便車」

なんだかうつろになりながら、私は能登演劇堂を後にした。行きに飲み物を買ったスーパーでパンを2つ買い、また25分の道のりをあるく。なんだか股ずれのようにお尻が擦れて痛い。なんとか頑張って駅までたどり着いた。電車が来るまではまだ時間があったので、駅でぼーっとした。なんかもうぼーっとするしかできなくなっていた。ちょっとして、近くに飾ってあった「鉄道郵便車」というのを見ることにした。かつてはこの電車で郵便を運んでいたらしい。青と赤と白のカラーがかわいいく見える。調べたところどうやら、平日しか入れないらいしい。中も見て見たかった、残念。「恋文の技術」と「手紙」というテーマで関係しているのでもっと事前に調べておけばよかったかもしれない。
電車が来る時刻が近づいて、駅のホームへと入った。今日の自分の中の「のと鉄道」あるあるとしてどっちのホームにどっち行きの電車が来るか分からないというのがあった。こっちだろうというホームで電車を待っていると、おそらく「ノトゲキ」帰りの親子にこっちのホームであっているかと尋ねられた。話しかけられたことにびびってしまい、びっくりしたままの口の形で説明してしまったのでなんだかあんまり伝わっていなかったが、ちょうど電車が来たので大丈夫になった。
「のと鉄道」への乗車は、今回はこれが最後になるだろう。出発駅の七尾駅へと帰る。この後の予定は私にもまだわからなかった。

つづく。


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