佐渡と本と偶然
棚から『手紙を書くよ』という本をそっと引き抜き、ぱっと開いてその1文と目が合った時、驚くとともに、前日に観た『夜は短し歩けよ乙女』に出てくる言葉を思い出していた。それは登場人物「黒髪の乙女」のこんなセリフだ。
もちろん、その瞬間にこんな全文をきっちりと思い出していたわけではない。「運命のように偶然本と出逢うこと」「古本市の神様がいること」という部分をじわりと不思議な実感をもって思い出したのだった。
私はその日、近くの図書館前で行われていた一箱古本市というものに訪れていた。一箱古本市というのは、その名の通りそれぞれ出展者が1箱分くらいの古本などを売っている市の事で、たいていの場合、規模はミニマムでローカルなものが多い。今回は6人くらいの出展者さんがおのおの好きに本を並べていた。
気になった本を手に取る。梨木香歩さんの文庫本『鳥と雲と薬草袋/風と双眼鏡、膝掛け毛布』。箱主さんが「それは、梨木さんが各地の地名の由来などをつづったエッセイですよ」と教えてくれた。へ~と思いながらページをめくると「宿根木」という文字が見えた。宿根木。それは佐渡に旅行した際に行った場所の地名だった。実際、宿根木に滞在した時間はわずかだったが、訪れた宿根木の三角形の家の事などを思い出し、「奇遇ですね」と感じた。私は「この本気になるな~」と思ったが持ち合わせが全くなかったので、いったんステイで、ほかのところを回ってから考えることにした。でも、本当は古本市でそんなことやっちゃダメだ。そういう時に限ってその本は次に来たらなくなっているものだから。
他に気になる本はないかなと、いくつかの棚や箱を移動し、中腰で本を目に映していく。そして、私は『手紙を書くよ』という本に出逢うこととなる。そもそもなぜこの本を手に取ったのか。装丁がシンプルでいいなと思ったのもある。しかし、1番は「手紙」というものへの興味だった。それは去年から今年へかけて「手紙」を題材とする作品を図らずも多く観たり、読んだりしたからだ。たとえば、暁佳奈さんのライトノベルが原作で、京都アニメーションが制作したアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、坂元裕二さんの『往復書簡 初恋と不倫』や、森見登美彦さんの『恋文の技術』があげられる。これらの作品はどれも面白く「手紙」というものへの私の関心をとても高くした。『手紙を書くよ』という本のタイトルは、そんな私を惹き寄せるには格好のものだった。かくして私は、この本を手に取った。
というのがその時の私の思いだったが、今思えばこの時、別の力学が働いていたのかもしれない。それは、まったくの思い違いか、古本市の神様のパワーとしか言えないものなのだけれど。
『手紙を書くよ』
ぱっと開いたページの、ぱっと目に入った一文にはこう書いてあった。
誰が誰に向けてどんな手紙を書いてるのかすらその時にはわからなかったが、私は「佐渡」「耕さん」という単語を含む文章に驚き、「黒髪の乙女」のように運命を感じずにはいられなかった。「佐渡」はそのまま佐渡のことで、「耕さん」というのは佐渡旅行中に訪れたドーナツ屋さんの店主の方のお名前だった。「耕さん」と書いて「たがやすさん」と読む。耕さんが営むドーナツ屋さん「タガヤス堂」は緑色の風景をずんずん進んだ先の山あい、という不思議な場所にあった。残念なことに雨だったのでゆっくりとお店や周りを見ることはできなかったが、車の中で食べたドーナツは本当においしくて、やさしく素朴なかおりと味がした。食感もそうだった。思い出したらまた食べたい。次佐渡に行った時ももれなく行こう。耕さんの顔とドーナツを思い出しながら、ものすごいご縁を感じるとともに、私はこの本を買うことを決心していた。
本当に持ち合わせのなかった私は、箱主さんに本を買うことを告げ、最寄りのスーパーのATMへとダッシュした。スーパーダッシュ!口座にはおよそ1200円あまりしか残っていなかった。休日かつ他行なこともあり引き出せるのは1000円のみ。1000円が私のすべて。いちまいのお札を大切に握って、私は古本市へととんぼ返りダッシュをした。とんぼ返りダッシュ!箱主さんは私が本を読んでいる時から謎に「まけとくよ」と言ってくれて、値札の800円から500円にまけてくれた。どんな理由であれ有難かった。箱主さんに感謝を告げ、大切に本を受け取った。そして、そのままイベント用に置かれていた読書用のテーブルと椅子にて私は『手紙を書くよ』を読み始めた。
「本と偶然出会うこと」について、映画『夜は短し歩けよ乙女』の原作小説から引用しておきたい。文中の「そんな偶然」というのは「欲しかった・気にかけていた本とばったりと出会う偶然」のことを指している。「偶然」とは本当に何なのだろうか。私は、日常でもよくこのことについて考えてしまう。たとえば、旅行を決心する際。私は旅行先を決めるとき、旅行先に導かれているような、呼ばれているような感覚になる。それは、別の理由で読んだ本に旅行先が登場したり、たまたま旅行先に関連する情報を目にしたり、ふと旅行先に関係する誰かの会話が聞こえたり、いろいろな偶然が重なってつながっていくからだった。「黒髪の乙女」の言う通り、無意識のうちにキャッチする情報を私が選んでしまっているから、というのはあるだろう。都合よく私が物事を解釈しているだけという可能性も大いにある。それでも、やっぱり日常でときどき起こる偶然の重なりやつながりに私は、運命のようなものを感じてしまう。そして「黒髪の乙女」同様、私はそれを信じたい人間なのだと思う。
ページをめくっていくと、だんだんとこの本がどうのような本なのかぼんやりと分かってきた。『手紙を書くよ』という本は、橋本亮二さんという方が何人かの人とやりとりした手紙、いわゆる往復書簡の内容を文字に起こしたものだった。誰かの「手紙」を読みたかった私にとってはとっても嬉しい。先に引用した「佐渡ではなかっちゃんとパートナーの耕さんが住んでいる家に数日泊めてもらって、夏の島を楽しんでいます。」という1文は、前後を読むと、2022年8月21日に書かれた佐藤佐藤友里さんという方から送られた橋本さんへの手紙であり、「なかっちゃん」というのは中田幸乃さんという方のことだとわかった。さらに読むと、中田さんは佐渡で「ニカラ」という本屋を営んでいる方で、偶然私と全く同じ時期に別で佐渡に来ていた高校の同級生が「念願」と言って「ニカラ」の写真をSNSにアップしていたことをすぐに思い出した。「ニカラ」は「タガヤス堂」のすぐ近くにあるのだが、私が訪れたときは閉まっていたので、ドーナツとともに次回の佐渡の楽しみにしておく。「黒髪の乙女」のように「こうして出逢ったのも、何かの御縁」などと考えていると、私はもう1冊の気になっていた梨木香歩さんの本を思い出した。そうだ!急がねば!私はミニスキップをして、棚の前に舞い戻った。しかし、私が見た梨木さんの本はもう無かった。売れてしまっていた。古本市で「また、あとで」は無いのだ。く~、私は阿呆だった。
「残念でした~」と箱主さんに煽られたことを思い出してはむっとしながらも、次の日私は部屋の隅で、図書館で、『手紙を書くよ』の続きを読んだ。橋本さんをはじめ、佐藤さんや中田さんの書く手紙の文章は、やさしくて穏やかで丁寧で誠実だった。そして、そこにすごい時間があるように感じた。書いている時間、内容を考えている時間、自分にまなざしを向ける時間、相手や誰かを想う時間、あの場所、あの時、過去、いま、この先。手紙にはたくさんの時間がこめられているなと感じた。手紙っていいな。こんな手紙が書けたら素敵だなと、私も手紙が書きたくなっていた。
そして、偶然ラッシュはとまらない。出てくる単語が、身近なものや最近目にしていたものがとても多かった。たとえば、佐藤さんの手紙に出てくる「いごねり」、中田さんの手紙に出てくる「シイラ」「お豆腐」と、佐渡の話をしてるのだから偶然も何も本当はないのだけれど、最近触れた単語の登場に私は嬉しくなった。「いごねり」とは佐渡の郷土料理で、ほんのり海苔の味が香るこんにゃくのような食感の何かだ。私は好きだったが、佐藤さんは苦手だと書いていた。また、原料の「いご草」は野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』に登場する「月島軍曹」のフィーチャー回に大きく関わっている。私は佐渡に滞在している時は、さっぱりそのことを忘れていたので、思い出すため再度アニメを観返したばかりだった。いごねり、タイムリー。「シイラ」というのは魚の名前で、お寿司としても食べたし、切り身の状態も見たし、写真で顔も見たし、佐渡にいた時にたびたびその姿を目にしていた。「お豆腐」は、まあお豆腐なのだが、佐渡で食べた「しあわせ豆冨」という、おそらく佐渡ローカルのお豆腐を私は思い出した。調理はせず、みんなで塩をかけて食べたのだが、とても美味しかった。中田さんは鍋にしたと書いていたが、「しあわせ豆冨」だったのだろうか。
橋本さんが津田沼や船橋の話をしているのも、奇遇だった。特に橋本さんがよく手紙を書いている京成津田沼駅のビル内にある「喫茶店チャオ」というお店は、最近私がヒヤトイに行くときよく目にしてたお店だ。「いつか入ってみようかな」と思っていたばかりだった。他にも橋本さんが、近くにあって嬉しいと書いている「ときわ書房志津ステーションビル店」は、私が週1くらいで散歩というか散チャリにいく本屋だった。本当に「こうして出逢ったのも、何かの御縁」なのかもしれない。偶然は重なりつながっていく。
最後にもう1つだけ、佐渡と本と偶然について書いて終わろうと思う。『手紙を書くよ』の文中には何回か、ECDというラッパーの名前が登場する。たとえば、橋本さんの「学生時代、ラッパーのECDに傾倒した。」や、佐藤さんの「その時は一子さんのことも、夫のECDさんのことも知らなかったから、わたしにとっては見ず知らずの家族の写真だった。」というように。「一子さん」というのは写真家・文筆家の植本一子さんのことだ。先の佐藤さんの写真についての一文は、佐藤さんが植本さんの『2012』という写真のZINEを手にとった時のことを書いている。ECD。イーシーディー。不勉強というかDig不足極まりないのだが、私はECDさんの楽曲を聴いたことがなかった。でも、ECDという言葉になぜか聞き覚えがあった。ECD。どこで聞いたんだろう。叫ぶような声で。ECD。私は、本から目を離して少しの間考えた。ECD。そうだ、思い出した。SEEDAの「花と雨」だ。
この映像は2023年5月に行われた「POP YOURS」というヒップホップフェスにおいて、SEEDAというラッパーが「花と雨」という曲をパフォーマンスした際の映像だ。SEEDAはこの日、自身の「花と雨」のリリックを歌い終えた後、流れるビートに乗せてこう続けた。「One love to my sister RIMI」「One love to STICKY」「One love to Febb」「One love to TAMU」「One love to DEV LARG」「One love to ECD」「One love to HIPHOP」
このSEEDAのネームドロップで私はECDさんの名前を知っていたのだった。「花と雨」という曲がどういう意味を持つのか、このネームドロップがどういう意味を持つのか、私の安易な言葉で書き記すのは避けておく。少なくとも「花と雨」という曲は「2021年」の私にとって大切な曲であったことは紛れもなく確かだ。そして、この曲と今回の佐渡旅行は奇妙なことに私の中でつながりをみせた。佐渡自体とはあまり関係はないが、しかし今回の佐渡旅行とは奇妙に関わるつながり。佐渡旅行から古本市、手紙、橋本さんたち、ECDさん、花と雨、そして再び佐渡旅行へと。偶然によるつながりが、まとまりを見せたようにも思えた。これが古本市の神様の為せる業なのか。私がこじつけているだけのような気もするが、不思議と神様がいるような気さえしてしまう。それほどまでに今回の偶然のパワーはすごかったような気がした。
さて、なんだか変な最後になってしまった。佐渡には必ずもう一度行きたい。ドーナツを食べて、野沢菜チーズたいやきを食べて。ニカラに行って。金山にも行かなくちゃ。食べたいものも、行きたいところもたくさんだ。いま、なぞの風邪が私の身体を蝕んでいるのでそれはまずは止めたい。勘弁してください!もう私の身体は弱いです。長くてよくわからない文章、読んでいただき感謝したい。私の方は、『夜は短し歩けよ乙女』の主題歌、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「荒野を歩け」をひとりで流して失礼する。ビバ!いい感じの偶然!あなたにいい偶然を!すこやかな日々を!