ティーンエイジャーになった娘
7/19は長女の13歳の誕生日でした。
13歳というと「ティーンエイジャー」の始まりで、我が娘がもうそんな歳になったのだぁ...と驚きます。
もうすぐ夏休みで、日本に里帰りをする予定です。
ケーキでお祝いをするのは日本でやりたいとのことで、昨日はミニバースデー会を家族だけで行いました。
午後からカップケーキを作り、元夫も仕事終わりにやってきました。
一輪の大きな向日葵とバースデーカードと娘からのリクエストでプレゼント(現金)を持って。
元夫にはなんの未練もありませんが、無念はあるかも知れない、と思います。
お誕生日おめでとう...と娘に伝えた時に、やってしまいました。薄々分かりきっていたのに、なぜ人は返って来ない返事を確認するようなことをしてしまうのでしょう。
“大きくなってもうヤングレディだな”と目を細める彼に思わず、言ってしまったのでした。
「素敵な娘をあなたに与えた私に感謝してよね」
日本語に訳すとストレートな響きのそんな言葉を。
◇
妊娠、出産をしてみて子の誕生日が、自分のそれよりももっと深い意味を感じるようになりました。
感動的というより、ただその日が来ると様々なことをいちどきに思い出します。
良い思い出も辛い思い出も全部一緒に。
娘は予定日よりもきっかり2週間遅く生まれてきました。
産科的に妊娠42週以降は “過期産” という正常から外れた時期に入ります。
予定日以降、胎盤の機能は徐々に衰えてきますので子宮内は胎児にとって居心地の良い場所では無くなってきます。
予定日を10日過ぎて入院して、陣痛促進剤の投与を受けて一晩陣痛と格闘しましたが、胎児が大きすぎるせいで降りてこず、早朝に緊急帝王切開が決まりました。
妊娠後期、胎児の予測体重など全く行っておらず(ドイツ!)出産する病院の診察を受けても既に予測するするには遅すぎるとのこと。
しかし、腹囲や子宮底長(恥骨から子宮のてっぺんまでの長さ)からかなり大きい(背が高い)と言われていました。
出生時体重は4400g、身長は59cm、頭囲は38cmもありました。
ドイツの出生時のベビーの大きさは、日本よりやや大きいですが、体重は3200g前後、身長も50cmちょっとで頭囲は32、3cmくらいだと思います。
出産後に助産師さんが「まさか!」と言って身長を測り直すほど、出生届を出しに行って受付の年配女性から、
「私は20年以上ここに座ってるけど、こんな大きな赤ちゃん初めて!」と言われるくらい大きかったのです。
“普通分娩を経験したかった”と残念に思っていた時期もありますが、経膣分娩をしなくて良かった...と今は思っています。
後に助産師の資格を取るために勉強していて、出産後の母体のトラブルなどを知り、つくづくそう思いました。
小柄な友人は第一子が大きく、産後に子宮脱で大変だったと聞きました。
トラブルは産後のみならず、加齢と共に再び出現したりしますので、「どの様に生むか」は女性のその後の身体のコンディションに大きな影響を与えます。
帝王切開は帝王切開で、産後の傷が長く痛んだり(一回目は半年以上痛かった)、体に傷が残ったり、臓器の癒着を引き起こすこともあります。
“人間が人間を産む” ということは、どうやっても大変なことなのです。
2週間もオーバーステイをして出てきた娘は、全く新生児らしい感じがなく、しっかりと目も合い非常に気難しい赤ちゃんでした。
10か月の終わりで歩き出すまで、抱っこしていないと泣くような、自己主張の激しい子でした。
産後のボロボロな時期の子育ては、とても辛く感じました。なんなら妊娠中も特に後期から、胎児が大きくて、身体的な負担はとても大きかったと思います。
13年経ったといえど、あの頃のことを思い出すと幸せな思いと共に、何とも言えない消化が難しい感情が今でも胸の底に眠っていることに気がつきます。
「本当に大変だったよね、よく産んでくれたね」
そんな言葉を、しっかり私の目を見て言ってくれたら....
胸にある塊だって溶けていく気がするのです。
でも、実際には「あぁ...そうだね」と顔を背けてウザさを容易に読み取れる反応でした。
今までもそうだったから、言う方が間違っているのです。
半ば分かりきった応答を、なぜ確認する様なことを自分は口にするのか...と、言葉を口にした瞬間に後悔しました。
もう二度と言わないでしょう。
今年が最後。
夫婦で無くなっても、過去を共有し一番近いところで見ていたひと。そのひとから、「よく頑張ったね」と認めて貰いたかった。
自分自身が分かっているだけでなく、どうしようもなくそういう言葉を、一番近くにいた他者から聞きたいと思ってしまいました。
でも、、
「それが無かったから別離の道を歩むことになった」と考えたら今別々でいられることは救いにも思います。
“分かち合えない相手と一緒にいる苦痛”と別れられたこと。それは何かへの感謝にも繋がっている気がします。
別れても、こうしてイベントの時に、それなりに和やかな時を持てること。
それで良い、と感じています。
少しの残念さと、どこか晴々とした思いと共に過ごした娘の誕生日。
淡く濃く重なり広がっていく色合いを、胸にソッと置いて、きっと娘のティーンになったお誕生日を私は忘れないだろう...そう思います。