ナラティブはサバイバルスキルかもしれない。
2018年ごろからよく耳にしたワードに『ナラティブ』があります。
一時期、周りでも耳にすることも多かったし、私自身も意識的に使用していました。
ここ最近はワードを耳にする事も少なくなってきた印象です。
これは廃れてしまったのではなく、浸透してスタンダード化したと捉えています。
では、ナラティブはなぜ浸透してきたのか、考えてみます。
コミュニケーション構造が変化している。
VUCAと言われる不確実な時代、コミュニケーション構造に『3つの変化』が起きていると言われています。
①「共体験」価値の高まり
同じ空間、同じ時間、同じコト、体験価値を共有し一緒に体験する事が求められている。
②「社会的距離感」の見極め
ソーシャルディスタンス=間合い、企業と生活者との新しい間合いの取り方の見極めが必要
になっている。
③「自分らしさ」が問われている
企業(人)として表裏がない姿を求められている。※偽物は淘汰される時代。
・信念と行動の一貫性はあるか
・自分の領域でそれができているか
これまでは『共感』をポイントにメッセージを発信する事が求められていた時代でしたが、受け手の価値観も多様化し、購買行動やトリガーになるタッチポイントも複雑化しています。
受け手の共感を期待する一方向性のコミュニケーションではなく、また1対1の双方向性のコミュニケーションでもなく『価値観を共に体験する複数軸のコミュニケーション』を構築する事が求められています。
どんなコミュニケーション構造を目指すのか
『ナラティブ(物語的な共創構造)から共体験を創出する』
企業やブランドのメッセージを浸透させるには『行動変容』を起こす必要があります。
これまでの時代、企業の中で行動変容が起きる流れとしては、強烈なメッセージを発信する『強制型』だったはずです。
これからは『強制』から『習慣』へ変化させていく必要があります。その為には、様々なステークホルダーに対して、新しいコミュニケーションのカタチを創出していきます。
これまで多用されていた『ストーリー』『共感』といったコミュニケーション構造を次のステップに移行させていく必要があります。
それこどが『物語的な共創構造』であり『ナラティブ』です。
ナラティブ・共体験とは何か。
『ナラティブの主役は企業ではなく、ユーザーや生活者が関与できる余白が必要』
ストーリーはあくまで企業やブランドが軸になりますが、ナラティブでは生活者が中心となり、現在や未来に重きが置かれます。
また業界内に縛られない社会全体を舞台とした「物語的な共創構造」となります。
ナラティブとは、単なる企業情報や商品スペックではなく、人々を魅了し記憶させる「物語性」を持ちます。ただし、物語の主役は企業だけではなく、ユーザーや生活者などが関与できる余白が必要です。そして、その物語は一過性ではなく現在進行形で続いていくものです。
私たち人類は、稀にみる「ナラティブ・共体験」を体験したと言われています。
それは「コロナ」です。同時多発的に全世界の人類が同じ体験をしたことで、市場、デジタル化、コミュニケーション、働き方、住まい方や暮らし方、価値観、購買行動、健康、趣味や娯楽、様々なカタチが激変しました。
意識的か無意識的かを問わず、共通する体験の中で、人類ひとりひとりが自分の経験から真の価値観に気づき、判断し行動する一連の行動変容が起きた結果と言えます。
ストーリーとナラティブの違い。
ストーリーとナラティブの違いについては、
本田氏の著書『ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力/本田哲也』にて分かりやすく整理されていますので引用させていただきます。
ナラティブでコミュニケーションはどう変わる?
主観ですが、ストーリーは『講演会』であり、ナラティブは『演劇』のようなイメージです。
前者は、発信者と受信者が区分けされていますが、後者は『みんなで一緒に創る』です。
これから先、企業やブランドは社会から持続継続的に必要とされる存在であるか問われつづけていきます。
それは『視点』が変わってきてたとも考えられます。現在を起点に考えた際に『過去から現在まで』でメッセージを発信し共感を生んできた関係性から、『現在から未来』を見据えた未来洞察で『問いの創出』を社会全体で行う関係性構築へと変化しているのではないでしょうか。
ナラティブの有益性は歴史も実証。
『物語的な共創構造』について考えていくと、著書『サピエンス全史』を思い出します。
漫画版もあります。どちらも読みましたがビジュアルの方がイメージはしやすいです。
『サピエンス全史』の中でも語られていますが、私たちの祖先であるホモ・サピエンスがどのようにして生態系の頂点に立ったのか?その要因として『虚構を創作し信じる能力』が紹介されています。人類上、3つの重要な革命である『認知革命』『農業革命』『科学革命』を軸に、いずれも『虚構』が大きく寄与している事が語られています。
『言い伝え』もナラティブ。
みなさんも『言い伝え』を子供のころ耳にした記憶があるのではないでしょうか。
私の記憶にあるのは、よく祖母から言われていた言葉です。
『一粒のお米には七人の神様がいるから、お米は残さずに大切に食べなさい。』
少しぐらいいいじゃないか、面倒くさいなと思いながらも、神様が宿っていると言われると『罰が当たるかもしれない』とよぎってしまい、残さず食べるように意識していました。
今となれば、食育として下記のような考えが込められている事を理解しています。
・発育・成長・健康についながるエネルギー補給を怠らないため
・感謝の心を伝えるため(作ってくれる人、食べたくても食べられない人がいること)
幼少期の自分には正論で説明されても納得できないわけです。経験や知識がないので物事の分別が着かないのですから。
それでも、我が子に行動を促す必要がある、そこで先人たちは『言い伝え』という『虚構』を用いて、動機付けやきっかけづくりを行っていたわけです。それが脈々と伝承されて現在に至っただろう、と思います。
ナラティブは人類が持つ本能的なサバイバルスキル。
歴史からも『虚構を創作し信じる能力』、つまり『ナラティブ』は人類が生き残りつづける為に必要なサバイバルスキルだったようです。
これは少なくとも現在進行形の現在地においても変わらないスキルではないでしょうか。先人たちの経験や知識から生み出された『言い伝え』を、私たちは伝承者として未来へと綿々と受け継いでいく役割を担っているのかもしれません。