数学の偏差値が39だったのに気づいたら京大に来ていた話
hこんにちは。寺嶋です。
noteをはじめて、何から書けばいいのか迷いましたが、ひとまず記憶に新しいうちに残しておく優先順位の高い受験について書くことにいたします。
私の出身校はとある関西の女子校です。進学実績はそこそこある中高一貫の有名進学校でしたが、高校からの入学はさほど難しくなく、高校受験の世界では府県内トップの公立高校の併願校として位置付けられる学校でした。
そんな学校に私はいろんな事情があって専願で高校受験することになり、進学しました。(そのことについては、また別の機会にお話しいたします。)
高校受験はそこまで苦労しなかったので、特に受験後に燃え尽きるということはなく、高校の勉強には周囲の人に比べればある程度モチベーションを高く持っていたと思います。ですが、大学受験のことなんてこの時は何にも考えていません。5月に学校で受けるよう指示されていた河合塾の模試でも、志望校を書けと言われても文理選択をどうするかすら決めていないのにわかるわけないでしょ、と思っていました。(記憶が正しければ、その模試では、有名な難関大学だという理由で阪大、神大の法学部と、大阪市立大の医学部を書いたかと思います。)
それくらい、高校に入ってすぐは大学受験のことは何にも気にしていませんでした。理科と数学が大の苦手だからおそらく文系に行くし、過去の高校受験組(以降、3か年生)の進学実績からして頑張れば阪大も夢ではなさそう。
そんな折、うちの学校は指定校が充実していて学校のテストで成績取るだけで早慶に推薦でいけるらしいとの噂を聞きました。どうやらそれは本当のようで、3か年生にもその枠が充分に回ってくるらしいとのことでした。
この学校のこの難易度の試験だけで、ネームバリューがあり就活に困ることはないであろう早慶に行ける。そのあまりのコスパの良さに感激してしまい、指定校で早慶に行くルートを魅力に感じました。そこで私は、取りあえず定期試験は無難にトップを目指してやっとくか、それで指定校がダメだったら阪大あたりを受験しよう、くらいの心持ちで、そこから二年間定期試験に臨んでいました。
その指定校の制度が、のちに受験期の私を苦しめるのですが・・・またこの話はいつかの機会に回しましょう。
無論、この頃は京大を「受験を検討する」大学として意識などしていません。京大東大は、中高一貫校で鍛えられた人たちや、トップの公立高校の要領いい人たちが席を独占しているようなところだから、はなから射程範囲外だと無意識に考えていたのです。
しかし、夏に差し掛かる頃、そんな私の考えがガラリと変わる、大きな転機が3つ訪れます。
最初の変化は、先の模試の結果の返却でのことでした。恐る恐る開封してみれば、阪大がC判定で、神大がA判定。正直この結果には面食らいました。
この時期で、阪大はC判定取れるのか。
C判定といえば、高一の段階では、このまま順調に学習が進めば志望校にできると期待される判定だと担任から聞かされていたものですから。私はなんだか予想以上に良い判定が貰えたと感じました。そして、ぬか喜びがひと段落したとき、こんな考えもよぎったのです。
「もし、ここに京大を書いていたら、どうなっていたんだろう」
ここで京大の名前が出たのは、漠然とした「阪大より1ランク難しい大学」としての意味を持つものであり、別に一橋でもはたまた東大でもよかったのですが、パッと思いついたのが京大でした。
とはいえまだ京大といったら私が行けるようなところではないという考えがこびりついていたので、その時はそんなことを思っただけで終わりました。
次は、夏休みに入り、母の勧めでどこかの大学のオープンキャンパスに行くことになった時のことです。大学に関しての知識が皆無に等しい状態でしたので、私は大阪に住んでいるからという安易な理由で大阪大学のオープンキャンパスを予約していくことにしました。
この頃、理科基礎の時点で勉強のやる気が失せていたので、理科系に進むのはまずいだろうと考えて、消極的な理由ながら文系に進もうかなとざっくり考えていました。学部はまだ何も考えていなかったので、なんとなく法学部のところに行くことにしました。
しかし、私は阪大に良い印象を持ちませんでした。もっとはっきりいうならば、このキャンパスに通うのはあんまり楽しみじゃないな、という感触を覚えてしまいました。
何が悪かったのか、何が気に入らなかったのか、正直言葉で表現できません。駅からキャンパスまでなんだか遠いなと感じたからか、キャンパスが殺風景だなと思ったからか、はたまた坂道やだなと思ったのか・・・。とにかく、言葉では如何とも表現し難い、「私に合わないな」という感触を、その時感じたのです。
その帰路、土産に買った阪大グッズを眺めながら、漠然と不安な気持ちになりました。指定校が取れなかったら国公立の大学のどこかをうけるつもりではいたので、もちろん阪大が国公立の志望校候補の第一校目かななんて思っていたものですから。阪大に行きたくない(と高一が言うのはなんだか生意気ですが)となると、次はどこになるんだろう。
そんな時に真っ先に思い浮かんだのが、他でもない京大でした。
目指すだけなら誰でもできる。そんなことを言い訳にして、京大を初めて「受験する対象」として意識しはじめたのでした。
そして、それに追い討ちをかけたのが、学校主催の「京大ツアー」なるイベントでした。
これに参加を申し込んだのは実を言うとさっきの模試返却の前でした。それこそ京大は自分には縁のない大学と思っていたので、大学受験に関しては全く意識せず、個人で赴く機会のないところだから連れて行ってもらえるなら行ってみよう、くらいの感覚でした。
しかし、開催日は阪大のオープンキャンパスのすぐ後でした。いやでも阪大の印象のこと、大学受験のことを意識せざるを得ません。このツアーで京大に圧倒されてしまったら、また別の候補を考えよう、みたいな弱気なことを前日の夜に考えていました。
迎えた当日、京都の市街地をバスの窓から眺めて北上し、降り立って初めて肉眼で見た時計台。ああ、写真通り、かっこいいところだな、と素直に思いました。
市街地からさほど遠くないけれど、都会の喧騒も背の高いビルもなく、大文字山を仰ぎ、鴨川の流れをそばで感じる立地。この街で、この歴史あるキャンパスで、学生生活を送れたらそれはたいそう素晴らしいことだろう。そんな漠然とした、憧れというのでしょうか、嫉妬というのでしょうか、よくわからない感情に襲われました。確かなことは、阪大に行った時とは明らかに違う、京大の学生への羨望。
時計台を見上げていると、
「もしかすると、近い将来ここで勉強しているのかもしれない。」
そんな考えが浮かんだ時は、自分でも驚いてしまいました。つい最近まで京大を自分とは縁遠い存在に感じていたのに、受験をするかどうかなんて次元を超えたことを思いつくとは夢想だにしていませんでした。
これはどういうことなのだろうと、吉田キャンパス内を回りながら、茹だるような暑さをよそに独り悩みました。そしてこれが、もしかすると、私が京大に行きたいという無意識的な意志の表れなのかもしれない。それが一番納得のいく、合理的なものだと結論づけたとき、その京大への志が輪郭を帯びていきました。
その日から、京大は「志望校」になりました。
(続く)
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