誰にも伝えられなかったこと5

分相応。
時はバブル期(1986年から1991年 by Wikipedia)。
その時代と私の小学生時代は重なる。
学校には、バブルの波が押し寄せる訳でもなく、
普通の学校生活が営まれていた。
違っていたのは、父親を含めた社会。
ある日、突然、我が家(社宅の中古一軒家)に
白いトヨタのセリカコンバーチブルがやってきた。
初めて見るオープンカーである。
誰が乗るの?と目が点になる。
父は運転しないし。
母が毎日こんなのを運転するのだろうか?
後部座席に座ってみると、非常に狭いし、
車高も低く、きょうだい3人が乗ると非常に息苦しい。
ルーフを開ければよいが、開けたら風がビュンビュン顔に当たって
快適とは言い難い。
普通の住宅街の民家の狭い駐車場に、不釣り合いなオープンカーが
駐まっていることに恥ずかしさを覚えたものだ。

ある時、家族でセリカに乗って、阿蘇に行った。
道中、一面にひろがる薄茶色の草原を見ながら、
父は「この一帯を買って、別荘を建てるぞ。すごいことになるからな~。
嬉しいだろ~!」と夢見心地に言っていた。
私は「へ~!」と感嘆した素振りをみせたが、
心の中ではそんなの無理だろうと思っていた。

クリスマスの夜に、父がクリスマスケーキとプレゼントそして、
茶色い封筒を4つ持って帰ってきた。
「はい、これはお母さーん」と封筒を一つ渡し、
私達きょうだいにも一つずつ封筒をくれた。
中には10万円が入っていた。
びっくりして、母の顔を見ると、
母は急いで、私達の手から封筒を回収して、
「これは、大切に取っておくからね」と、
そそくさとどこかに閉まってしまった。
本当に父はいつも不可解な人であった。

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