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「完璧主義」の脱却、そして「最善主義」へ

本屋さんで立ち読みした1節より引用。
「完璧主義を克服するには」
①自分が完璧主義に陥って行動を起こせずにいることに気付く。
②失敗しても、1年後、あるいは10年後に大きな意味を持つかどうか考える。
③失敗しても再挑戦すればいいというふうに気持ちを切り替える。
④自分の弱みを受け入れ、完璧でなくてもいいと考えて行動を起こす。
⑤自分が最善を尽くしている様子をイメージする。
⑥課題に一生懸命取り組み、「良くない部分はあとで改善すればいい」と考える。
⑦あまり考え過ぎずに思い切ってとりかかる。
⑧たとえ完璧に出来なくても、自分にもっと優しくする。

全ての行動が消極的になっている原点は、この「完璧主義」だ。
「面倒」と思ってしまう癖に「幸せになりたい」を実現することはあり得ない。幸せを掴む(今よりより良くなりたい)なら行動をしないと始まらない。

つまり、失敗を恐れないこと。

なぜ私は人一倍「失敗を恐れる」ようになってしまったのか。

これまでの人生において、挑戦の対象としてきた目標が、チームプレイよりも一人で黙々と努力するタイプが多かった。(受験、インターン等)
複数名で何かを成し遂げる過程で人間関係を学ぶことからナチュラルに逃げてきたのかもしれない。
だから何においても「自分がすればいいや」という思考が付きまとい、協力してくれる人はすぐそばにいるのに、なかなか巻き込めない。
少しの失敗が死ぬほど嫌で、もうこんな屈辱味わいたくないと、すぐに諦めてしまう。

人との深い関わりが少ないから、人の気持ちが分からない(分かろうとしない)=無関心。でも私が尊敬する幸福な人生を歩んでいる人たちは皆、仲間を増やし続けている。学生時代少し訓練させてもらったことがあるが、自分をアウトプットし、相手を深く知ることをそろそろ始めないといけないのではないか。どんな人間で、どんな人生を歩んできて、これからどうしたいと思っているのか。話すことで自分を知り、聴くことで相手を知るということは私の大きな課題(人に対する疑心が強い、受動的になってしまう、その場限りの関係性⇒深く長く付き合う仲間を構築できない)を解決する方法だと思う。

今のままでも生きていける。けど血が騒ぐような、本当の意味で生きた心地は得られないだろう。だから、自ら飛び込む勇気を持つ、と決意した週末でした。

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