くじ引き
病院内での日々を書きとめたメモ帳をかかえて、私は明るい前向きさを抱えていた。幸せなことに、もはや「何を書くべきか」という気持の塞がりはなりをひそめた。書くことははっきりしている。
きっと紙とペンがあれば自分の人生に光が灯せられるとの謂であろう。向田邦子さんのエッセイを分析した経緯もあり、書きごとをしていて心配事は「漢字が出てこない」くらいしかない。それも電子辞書があれば解決だ。
高校で、大学で、また大学を卒業してからあまりにも多くの本を読んできてしまった。キャパシティ・オーバーである。この副作用に、時折このようにアウトプットが求められる。何を書くべきか思い詰め気味の脳を作ったのは間違いなく私自身の古い習慣であった。
まったく同時に、私は文章を書かない自由も手にした。書いていないと落ち着かないという風だが、書いてなくとも広々とした気持である。母から差し入れられた本が効いたのか、服薬と医師の威厳が効いたのかはわからない。確実に言えることはこれ以下に落ちることはない、ということである。
下がりも下がるととあとは登るしかない。運勢というものはあり、精神科病棟に入院が決まった時が凶とするならば、あとは吉以上しかない籤引きを引き続けるのみだ。