芸術家が魂を失うとき

今日は芸術家が魂を失うというときについて書く。

僕はクラシック音楽が大好きだ。6歳の頃に、両親や兄弟の影響でバイオリンを始めた。毎月1回は母に連れられて、訳も分からずカタカナが並ぶナンチャラカンチャラフィルハーモニーやら、ウンタラカンタラ交響楽団のコンサートを聴きに行った。

小さな時に好きだったのはモーツァルトやベートーベンなど、誰もが聞いたことのあるような作曲家の曲だった。感じたものも「綺麗だな」とか「楽しいな」程度だった。音楽そのものよりも、コンサートの帰りに母と寄ったレストランの食事を楽しみにしていたくらいだ。

いつ頃からだろう、自分で音楽を聴きに行くようになったのは?おそらく大学生の頃だろう。東大で日米史の勉強をしたり、副専攻として欧州の戦争論をとったりしているうちに、作曲家が「その時代に何を思って生き抜いたのか」が気になるようになった。心血を注いでいた大学サッカーで結果が思うように出ず、悩んでいたことも関係したかもしれない。

毎月第3金曜日に早く練習が終わると、サントリーホールに通いつめて、いろんな音楽を聞いた。僕は一人で行動するのが好きだったので、20そこらの男子大学生が女の子も連れずにコンサートホールに来ても、別になんとも思わなかった。その頃から、音楽に対する感覚が圧倒的に変わった。

どう変わったかというと、
「曲単体として成立している音の連なり」から
「時代を生き抜く男女が苦悩しながら紡いだストーリー」へと変わった。
要するに、作曲家のメッセージとして音楽が聞こえるようになったのだ。

例えば僕が大好きなマーラーの「復活」。ロシアから来たサンクトペテルブルク交響楽団の演奏を聞いて、初めて泣いた。テーマは生と死であり、その圧倒的なスケールと世界観に包まれた。

例えば、ベートーベンのピアノソナタ31番。これはベートーベンの最後のピアノソナタだ。耳も聞こえない、目も見えない、ギリギリの精神状態で紡いだ旋律。あまりの美しさと、生への渇望に震えた。

例えば、ショパンのピアノコンチェルト第一番。ショパンが戦火を逃れて祖国ポーランドを離れ、ウィーンに向かう時に作った曲。祖国を離れる郷愁と、ずっと変わらない愛を込めた魂のメロディ。


いつからか、仕事や、サッカーや、恋愛や、家族や、誰かの死や、誰かの誕生に向き合う中で、少しずつ音楽が染み込んでくるようになった。そして、一つのことに気が付いた。それはすごく大事なことで、そしてすごく切ない事実だった。

本当の芸術とは、思わず命をかけてしまうような愛情、胸が引きちぎれるような激しい悲しみ、大声を出さずにはいられない熱狂、からしか生まれない。

冷静に、落ち着いて、のんびり、戦略的に、本当の芸術など生まれないのだ。それで合点がいった。結婚して普通の幸せを手に入れた芸術家が芸術家としての人生を終え、人間に戻っていったこと。自分の想いを貫くために自ら命を絶った芸術家が何人もいること。それなりに裕福でそれなりに平和な場所からは心揺さぶられる芸術が生まれていない傾向があること。


僕は北海道にいる時にあまりに寂しくて詩を書いていた。東京に越してきて家族や友人の近くで過ごしている今読み返すと、その繊細さと敏感さに舌を巻く。今こんな詩を書くことはできないだろう。

過去に失恋した時。深い深い沼に落ちて、二度と現世に戻れないんじゃないか、と思った。

人生をかけて戦った試合に負けた時。自分の人生そのものが否定された気がして、生きる意味を失いかけた。

恋愛やスポーツのように身近なものでも、戦争や誰かの生死のように一見非日常的なものでも、その辛さと向き合わなくてはいけない。それはある意味永遠のように思えて、一瞬しかないのだ。

同じように、絵も音楽も詩もオブジェも、その瞬間にしか書くことができない。それを創ることができるのは、人生の中でも本当に限られた期間で、人によっては数年かもしれないし、数日かもしれない。

大切なのは、全ての人間が芸術家の卵であるということだ。誰かを愛し、真剣に向き合い、悲しむなかで、揺れる気持ちがあるはずだ。それはとてもとても辛くて、一人じゃ耐えきれなくて、なんども投げ出しそうになって、夜逃げしそうになって...とにかく辛いのだ。それこそが芸術だ。

その気持ちを沈めて、安定へと戻っていく時。
それが芸術家が魂を失うとき。

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