インターネット世界における誹謗中傷について

楽しんで見ていたテラスハウスが打ち切りになった。出演者の方がSNSでの誹謗中傷に傷つき、自死してしまったからだ。

もっとも、テラスハウスはハワイ編が一番好きで、ドロドロした人間関係よりも、中二病の男子にはたまらない青春デートが鮮やかに描かれている点に惹かれていた。直近のテラスハウスは恋愛要素が薄く、生き方やバックグラウンドなど、適切に描くのが難しいものをテーマにしていた。ただでさえセンシティブなテーマに、文脈を分断しながら、視聴率を取ろうと考えたら、自然と過激化したんだろう。

今回はテラスハウスの番組制作とか、亡くなった方について意見を述べるのではなく、「誰かについて誰かが語ること」について考えたい。

あの事件があってからと言うもの、「誹謗中傷」と「批判」の違いとか、芸能人と政治家の違いとか、SNSの匿名性とか、たくさんの意見が飛び交っている。もちろんミクロの違いはあるけれど、今日は「飛躍」という観点で全人類に共通する「気をつけるべき思考回路」について書く。


結論から言うと、僕が考える誹謗中傷とは「飛躍」にある。なんの飛躍かというと、それは「行動」→「人格」への飛躍である。

(1)まず、誰かが誰かについて語るときに、
その人の人格を語るのに十分な時間のコミュニケーションを直接取ったか?
が大切だ。

人間は弱い生き物なので、いざ追い込まれると、法をほんの少し犯したり、マナー違反をしてしまったりすることがある。その行動1つをピックアップすれば批判されるべきことかもしれない。

でもその人がこれまでに何万時間どのような考えに基づいて、どのような行動をしてきたか、を理解するにはあまりにもデータとして不十分である。

どんな聖人君子だって頭の中で多少エロいことを考えたり、人が見ていないところで立ちションをすることはあるだろう。どうしても急いでいたら並んでいる列に割り込むことも、メンタルがとんでもなくやられていたら人の気持ちを考えるほど余裕がないこともある。

僕が「リアル」にこだわるのは、その人の表情とか匂いとか服装とか、そういうフィジカルなものは、誰かを理解する上でとても大事なものだと思うからだ。もし会うことがどうしてもできないなら、人づてやメディアを通してではなく、直接電話やメール・DMを使って、相手のことを知らなければいけない。

(2)行動について語ることと人格について語ること

まず(1)を満たしていなければ誰かの人格を語る資格は持っていない
(1)を満たしていない状況で許されるのは「行為」について意見を述べることだ。

例えば、万引きをして捕まったTVの中の少年に対して、
OK:万引きはダメ。犯罪。迷惑かけてる。
NO:万引きする("人間")なんてモラルない。頭悪すぎ。親もバカ。

例えば、所得税の申告漏れをした芸能人に対して
OK:税金はきちんと納めなければいけない。犯罪。やっちゃだめ。
NG:脱税する("人間")なんて、普段から悪いことしているに決まっている。ずるい人間。家族もパートナーももずるいに決まっている。

これは非常に基本的なことである。30歳の人について描写するのであれば、
(6歳ごろから自分の意思で物事を考え、1日のうち8時間寝ていると仮定した場合)
(30-6)年 * 365日 * (24-8)時間 = 14万160時間
を分母に考えれば、私たちがTVのなかや週刊誌の中で得られる描写相手の時間はせいぜい1~2時間。めっちゃ調べる人でも10時間くらいだろう。
10時間調べた人でも1/10000ほども相手の思考回路を知らないのだ。

これは明確にやってはいけない行為である。1万回試して1回だけ効果のあった薬を市販化してはいけないように、たとえどんなに腹がたっても1/10000しか知らない人の「行為ではなく人格」を描写することは許されない。

逆に賞賛やリスペクトも同じである。行為に対して賞賛を贈ったり、応援することはとてもいい文化だが、1/10000しか知らない人の人格を盲目的にリスペクトし、考え方を真似るのはとても危険だ。

結論

良いことであれ、悪いことであれ、「人格」を描写する権利は本当に限られた人しか持ち合わせていない。
過度なリスペクトも誹謗中傷も、それこそ危険な傾向の裏表であり、論理を飛躍する人間が集団になったとき、おぞましい過去を繰り返す。

ということを誹謗中傷する人間の周りの友人、家族、雇用する企業が認識することが大切なのではないかと思います。

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