戦争の時代

個人の時代が来ている、だいぶ前から。
ホリエモンや箕輪さんなど時代に敏感な人はもう10年くらい前から気づいているかもしれないが、大きな文脈で個人の時代が来ていると思う。

今、世の中のサービスは大きく2つに分けられると考えている。

・サービスを利用することで個人の価値が上がるもの
・サービスを利用しても個人の価値が上がらないもの

ここでいう「個人の価値とは」、将来得られる有形・無形のメリットだと理解しておけば良い。例えば、将来給料の良い仕事に就ける、美人の奥さんをもらうことができる、アーティストの公演にVIP席で招待してもらえる、などありとあらゆるものだ。

サービスを利用しても個人の価値が上がらないものとは何だろうか?例えば、食事検索サービスなんかはどうだろうか?(食べ●グ、ぐる●びなど)残念ながらこれらは非常に便利だが、将来のメリットはあまり変わらない。それならばチェックした穴場のお店を自分のブログでリスト化した方が、個人としてのメリットはあるだろう。

サービスを利用して個人の価値が上がるものとは何だろうか?例えば、まさしくnoteはその類のサービスだ。本当に頭の整理をしたければ紙のノートに書いておけば良い。なぜnoteに公開するかといえば、「人々と共有して思考の質を向上させたい」「自分の経験・知識を誰かの課題解決に役立てたい」などあるだろうが、同じくらい「マネタイズしたい」「面白い内容を書く著者として個人価値をあげたい」という気持ちがあるだろう。

田端さんなんかはブランド人になれ、と大声で言っているが、実は超個人主義の時代は歴史的に見ても自然な流れである。

元々市民国家が生まれた古代ギリシャ。そこでは当たり前のように奴隷が存在していた。同じ肌の色の人間が、同じ肌の色の人間を奴隷として使役し、それが当たり前で普通だった。同じ時代、中国では戦国の世。超明確な身分制度の下で、人が人の上に立つ社会構造であった。

(めちゃくちゃ飛ぶが)ここに風穴が空いたのが、フランス革命である。元々、ルネサンスによって科学技術が発展し、徐々に権力のバックグラウンドとなっていた権力の神秘(王権=神が授けた)が「科学」によって壊されかけていた。そこでフランス革命によって、「個人が資産を所有する権利」という概念が認められた。ここが歴史上の超巨大ターニングポイント。フランス革命は欧州中に飛び火し、民衆は急速に個人としての自覚に目覚める。

そんな個人主義にキャップをはめていたのが、「国民国家」という考え方である。「個人が資産を保有する権利」は素晴らしいのだが、いざそれを守れるか?と考えるとどうも心許ない。そこで、国家に所属することで国に守ってもらう代わりに税金を納め、徴兵されれば戦うという契約を結んだ。

個人資産というと有形のものをこれまでは指していた。代表的なものが土地、奴隷など。徐々にそれが無形に移っていった。例えば、投票権。20世紀は投票権獲得の歴史とも言える。年齢・性別の制限が外れた。肌の色の制限が外れた。インターネットは場所の制限を外し、もうどこに住んでいようと投票できる時代が来ている。

本題はここから。今の時代、有形資産はそこまで重要ではない。シェアするのが当たり前の時代では、家(AirBnB、anyplace)・クルマ(kinto、Uber)・服(メルカリ、ドレス貸出)はもちろんのこと、次第に家族・彼女や投票権なんかもシェアする時代が来るかも?
つまり、無形資産が重要な時代がもう何年も前から来ているわけだが、この中でももっとも大切な資産が「評判」だろう。(このあたりは岡田斗司夫の評価経済理論を参照すればわかる。)

これからの人々の行動の大半は、評判や評価を得ることに費やされていく。単なる快楽ではなく、「それをすることで私に将来メリットある?」という考え方が主流になっていく。(もちろん一定の割合で、何かを楽しんだり、単に消費することに重きを置く人もいるが。)
そうなると、今度はサービスも、圧倒的に「個人」が主役になってくる。「honor is equal」という言葉は有名だが、これが「honor is equally high」ならまだしも、「honor is equally low or middle」になった瞬間に、組織や国家に属するメリットはゼロになる。

なぜhonorが重要なのかというと、それがないと誰かに必要とされないからだ。悲しい哉、有名人はどんどん有名になり、無名の人はずっと無名のままだ。それはhonorが複利であり、指数的であるからだ。別に無名でも、誰かの役に立っていればいい、という考え方もある。非常に美しいが、人間はこれまでも変化し、生き残ることを第一優先に進化してきた。これからはhonorがなければ食っていけない時代になる。そうでない人はベーシックインカム的に有名人に雇ってもらうことになる。そうすると、実は中世みたいな社会構造に戻る。宗教・土地・生まれによって人が人を支配していた時代から、評判・評価・honorによって人が人を支配する時代がくる。

血なまぐさい上に、あまり美しい話ではないが、現実を見るとこれが事実に近いように思う。これからのサービスは「個人のhonorをあげる可能性がある」モノ・場所・コトの創出が鍵になる。uberもairbnbもめちゃくちゃ便利だが、あるところで止まる。でもtwitterやyoutubeは止まらない。その差は、後者は「発信するコトで個人の価値が上がる」一方で、前者は「便利」さの枠を出ないからだ。
(どんなサービスも使い方によって個人の価値が上がるような方法もあることは置いておく)

もう一度整理すると、今起きているのはまさに「戦争」である。争っている資源は「評判・評価・honor」である。各人が必死になってSNSにおけるプレゼンスを向上させ、名前を売っている。もちろん自分もそうなっていかなくてはならない。

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