惨めなんかじゃないですの。
物心ついた頃すでに父親はおらず(ラマンと逃避行)、父親との思い出になるソレはだいたい誕生日にやって来て、キキララをいっぱい買ってくれる優しいオッサン。そんな風だったけれど。
車で事故ったことは過去5回。そんな不器用のお手本みたいなわたしが、車の免許を取りたてだった当初、母&娘のタッグで、父親の再婚宅へと呼ばれて出向くことになった。
また、その再婚相手というのが、オカンの従姉妹にあたるという、複雑すぎる家族環境で。
エレベーターをギューーーンと上がったその宅は、ベランダを開けたらPL花火が間近で見れる、超高層マンションの超高層階。
「容子ー、夜景綺麗やろー?」
父親は、満点笑顔でわたし達をベランダへと招き、高速道路のチカチカとか、澄んで美しい夜景を見、煙みたくあがる息を吐き、わたしとオカンは二人で手をギュッと握って、
「ホンマ綺麗やなーーー」と言った。
夕食は、
「もー、蟹鍋とか食べ飽きたわ、な!」
「お父さん、もー、こんなんがエエわ!」
高級蟹蟹懐石でござり、わたしとオカンはまた、テーブルの下でギュッと手を握った。
「また、来て下さいねーーー!!!」
父親の嫁サン、笑顔で大きく手を振ってはる。
「また来るわなー!!!」
嫁サンよりもいっぱいいっぱい、手が千切れて飛んでゆきますよくらいの勢いでビュンビュン振って、降ろしたその手をまた、二人でギュッと握った。
だいたい一時間後に戻った自宅は、大阪は門真市にある超密集市営団地の三階。ボロボロ障子に二層式洗濯機に、表がささくれだった畳の六畳部屋。
養育費なんて一度も貰えたことがない、スラム街みたいな薄汚れた団地住まいで生きてきて。
「なあ、お母さん」
「なんで、ウチら、こんな惨めなんやろか?」
そう言ったら、何もかもがダダ壊れる気がし、腹の奥底までゴックン言葉を飲み込んで、
「夜景、綺麗やったな!」
そう言ったわたしたち母娘コンビは、門真一、大阪一の、大女優だったと思うゼ?
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