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どうせ勝てない

16歳から始めた陸上競技の400mハードルという種目。高校の恩師に勧められました。今でも忘れもしない初レースは地区大会でたった3名の出場者。結果はビリ。悔しいというか惨め。もういいかな…が感想でした。ただ、走るたびに少しづつ速くなっていく。できないことができるようになっていく。その感覚にハマっていきました。

それから24歳まで自己ベストを更新しない年はありませんでした。毎年毎年自己ベスト更新。憧れだった大会にも出場できるようになりました。テレビで見てきた、雑誌で見てきた選手とも走れるようになり、日本選手権のファイナリストにもなれました。もしかして、頑張れば日本代表になれるかも?オリンピックや世界選手にも出れるかも?そんなことも自然と思えるようになりました。

ところが25歳からその勢いは止まります。

その時間3年。

自己ベストを更新し続けた8年間で辛いことは0だったのか?決してそんなことはありません。小さな失敗もありました。大きな失敗もありました。ただ、その失敗が失敗だったのか?と思うぐらい3年間のスランプはあまりに酷でした。1番なにがきつかったか?

スタートラインに立っている時、これから走り出そうとする時、毎回思うんです。またラスト100mで身体が動かなくなるんだろうなと。でも、もしかしたしら、もしかしたら、身体が動いてまた自己ベスト出せるかもしれない。いい順位を取れるかもしれない。自分を信じようとはします。

スタートとし、200mを過ぎたぐらいでだんだん腕が振れなくなってくる。次のハードルまでの足が合わなくなってくる。内側から抜かれていく。そして、ラスト100m。

あーやっぱりかあ。

足に重りをつけられているかのように身体が動かなくなる。何回この体験をしたことでしょう。あれだけ自信に満ち溢れていた感覚はどこかにいってしまいました。

やがてスタートラインに立つ前に、ウォーミングアップの段階で思うんです。

「どうせまた走れない」と。

この時、自分のベストを出し切って日々過ごしたかというとできていませんでした。その時は周りが見えていないので走れない原因なんて分からないんですが、今考えるとはっきりしています。トレーニングに偏りがあった。メンタルバランスも崩れていて毎日頑張ろうとなんて思えない。グラウンドに座ってボーッとしている時間が長い。ストレスで血便が出たり、髪の毛が抜けたりもありました。挙げたらキリがありません。

この結果が出なかった3年間で最も厄介だったこともあります。

速かった自分を捨てられなかったことです。

いつまでもあの時はこう走った。自己ベストはまだ俺の方が速いとか全く必要のないプライドを捨てきれませんでした。

この時、当時所属していた会社の社長に人生で初めてクビ宣告をされました。等々、競技を続けることができない状況までになりました。その時に自分の立場を思い知ることになりました。

9時から15時まで働いてお金をもらって空いてる時間で陸上競技をする。会社からすると業務の内容は軽くしている。できるなら18時まで働いてほしい。会社の売上に貢献してほしいと思うのは自然です。

僕はこの時、自分の中にこびりついていた小さなプライドを全部捨てて、死に物狂いでトレーニングしようと覚悟を決めました。自分の中でスイッチの音がはっきり聞こえたのを今でも覚えています。

その時の状況を詳しく書いたnoteがこちらです。

練習も1人でやっていたのを学生とトレーニングする環境を選択しました。
学生相手にボコボコにやられる。毎日毎日、負ける。自分の方が速いのに。でも、今回はそれを受け止めることができました。

行くところまで行くと、そこから落ちるのが怖くなって、落ちるところまで落ちるといつか跳ね返してやるんだというのが楽しみになっていく。

負けるって悪くないなといつしかそう思えるようになりました。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、負けた自分を受け入れられた時、妙にスッキリする感じがあって、負けているのに、もっと俺は強くなれるんだって思える。

きっとそれは心の芯から自分に嘘をつかないで素直に生きようと思えたからなんだと思っています。

ただ、この年も走れないレース。うまくいかないレースもたくさんありました。ただ僕が思っていたことは準備ができている、毎日ベストを出し尽くせている毎日があった時、何か大きな変化をする必要はないということです。

失敗が連鎖すると何かを変えようと思うのは自然です。しかし、思いや覚悟、積み上げてきた土台があるのなら、根本を中心から変える必要はないと感じていました。当時の自分は積み上げてきたという自信がありました。失敗の原因を分析し修正する。

練習メニューを大きく変えたり、環境を変えたり、指導者を変えたり、シューズを変えたり、スパイクを変えたり、物や人に原因を持っていくようなことは絶対にしませんでした。

結果を出せば出すほど、応援者が多くなり、周りの期待も膨らむ。ただ、その反動も大きいです。勝てないから応援するのをやめる。がっかりした。離れていく人もいるでしょう。プロである以上勝負に勝つことは絶対です。

僕は結果が全てだと。どんなに準備をしてきても結果が出なければ何の意味もないんだと思い生きてきました。

全てにおいて完璧な状態で臨めて負けたのなら、結果が全てだと落とし込めるのですが、準備を徹底したと思っていても予想外な出来事が起きたときに、だって万全な状態で勝負できてないんだもんと急に過程よりの考え方に逃げそうになります。

いまたくさんのチームや選手と関わるようになって、どんなに準備を徹底したと思っていても予想外な出来事が起きます。どうやったら防げていたんだろう?防ぎようってなかったのかな?

たくさん考えて一つの結論が出ました。

それは経験です。

初めて起こる出来事、初めて闘うステージ、初めて味合う緊張感、初めて味合う空気感。これらを経験するほかないんです。

結局どんなに準備をして臨んでも乗り越えられないものというものがあって、それで仮に失敗したとしても、その瞬間は心で処理できなかったとしても、その失敗を受け入れて強くなるためにいい経験ができたと思い込めるかだと。

失敗や挫折は誰が決めるのか?いくら周りが失敗だ挫折だと叫んでも、自分自身がそう思っているかどうか。

取り返しのつかない失敗や挫折の過去を、未来でどういったハッピーエンドに持っていくか。僕はもうワクワクしています。

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