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暖房からの記憶・父親

最近はずっと暖房をつけている
暖房つけてると部屋が快適でありがたいな…と思う

たまに「節電」とかそういうワード…世界のために自分の行動を律する…みたいな思考が頭をよぎるんだけど、そういうとき、なんだかすごくむしゃくしゃした気持ちになる

さっきふと思ったのが、そういう言葉に対して「自分が蔑ろにされる」という怒りが湧き上がっているかもしれないということ

「節電」を思い浮かべるときに連想するのは実家での生活なんだけど、
私の父は電気を使うことに厳しかった
私の部屋にはエアコンがなかったんだ
だから夏はうだるように暑いし冬は手がかじかみ身体は縮こまって、何をするにも億劫だった
自分の部屋に耐えられなくてリビングでエアコンをつけて過ごしていたとしても、父が「この気温だったらいらん」「一人しかおらんのにつけるな、もったいない」とか言ってエアコンを切ることが度々あった

ある冬、母が小さい電気ヒーターを私と妹に一個ずつ買ってくれたけど、使っていたら父に怒られた
「ずーっとつけっぱなしにしてたらな、電気代が何万も高くなるんじゃ、ほんまに寒いときだけ使え」
私はずっと寒かった
ヒーターつけてても寒い

さらにムカつくのは、父の部屋にはエアコンがついていて、自分だけは快適に過ごしていたという事実

暖房・冷房だけでなく、部屋の明かりもよく消されていた
夜とか朝に、私の部屋の戸をガラッと開けて、何かしらのいちゃもんをつけて私の部屋の明かりを消した
あとは勝手に窓を開けたり閉めたりもしていたな

夜なら「もう寝えよ」朝なら「電気つけんとな、窓から明かり入れ」って感じで
夜はまだ分かる(干渉されることに気が狂いそうになるほどムカついてたけど)、けど朝は、冬の曇りの朝とかにも言われるから こいつアホなのか?とよく思っていた
窓から明かり入ってこないから電気つけてるんだけど

そういえば、私の名前呼んで部屋の戸開けて点検したけど、特に言うことなかったのかそのまま去っていったこともあった
あいつは私に文句を言いたいという思いが先にあって部屋を開けてくるのか?と思った

そういう思い出…無理やり不快な環境に置かれることへの怒り…みたいなものがある
それと、自分の場所に勝手に入られることへの怒りも付随してくる
今思えば、父の行動は、境界線を侵す行為でもあったのな
私の部屋という、「私のテリトリー」にズケズケと乗り込んで来て、引っ掻き回されることに私は憤激していたのかもしれない

だから、環境に配慮することや節電することは大切だという思想はあっても、今は感情が拒絶反応を起こしている状態
でもやっぱり少しは罪悪感があるから、段々と節電を意識…ポジティブな動機で…できるようになれたらいいなとは思う…
親に怒られる記憶からでなくて、前向きに、「自分は環境のためになることをしてる」という誇りを持って節電できるようになれば一番いいと思うな

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