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備忘:嫌われる勇気(課題の分離について)

(課題の分離)

この本の中で一番私の腑に落ちたのは『課題の分離』である。
(『課題の分離』とは自分のコントロール外・後々責任を受け持つのは自分ではない課題を、“他者の課題”と定義し、自分のコントロール内・後々責任を受け持つのは自分である課題を“自分の課題”として区別する考え方である。)

その理由は、私の今までの悩みで大きな割合を占めていた、「人に干渉・期待した結果、自分が過剰に病んでしまう」といった現象は『課題の分離』で解決できるとはっきり気付いたからである。
具体的に述べると、ある友人に、私の望む方向に進んでほしいと思いサポートした結果、思うような反応を得ることができず、ひどく悩んだことがあった。
この場合の私の望む方向とは、“その人自身にとっても望ましいとされている状態”であった。本書に登場した、引きこもりの友人が引きこもりをやめる状態をイメージしていただければわかりやすいと思う。

望んだ反応を得られなかった時の私の心情は、ひどいものであった。「なぜうまくいかないのか・私のやり方が悪いのか」といったように、私の能力の問題として受け止め、悩み続けた。

少し大人になってから、本書を読み、ハッとした。『課題の分離』という考え方が頭にあれば、私ではなく“友人の課題”として区別できるので、過剰に悩む必要はなかった。そのような状況に陥った原因は「そもそも人をコントロールしようとしたのが間違い」といった意見も挙げられるが、あくまでも私の心理的な悩みを解決する手段としては『課題の分離』が最適であったのだ。

…といったように確かに人間関係を楽にする考え方であるのは間違いないと思う。

ここで、私が一つ疑問に思ったことがある。
それは、利害関係(利益・効率化を求められる組織など)が存在している状態でも『課題の分離』は当てはまるのか?ということである。
私自身の身近な例を挙げると、部活動・家庭教師・アルバイトなどである。(なぜこの3つが当てはまるのかの詳しい理由は省略する)

具体的に述べると、組織にとって適切ではない行為をする人がいる場合、責任を受け持つのは“その人”ではなく“組織全体”である。
確かに、人間関係を楽にする考え方としては『課題の分離』の考え方は最適解になり得る。しかし、組織の場合は目的達成を求められる仕組みになっているので、個人に介入しないという事は難しい。

組織最適化の際、気持ちの上で“他者の課題”として区別することはできるが、実際の行動は“他者への介入”となるだろう。また、その組織の責任者である場合、その人を動かすことができるかどうかは結果として“自分の課題”にもなるのではないだろうか?

(1125字)


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