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1980年、タカナカが奏でた瞬間風速!カローラを追い抜いたのは?

年間販売ランキングで40年もの間トップを快走したカローラの歴史でも、瞬間風速的に首位の座を奪われる局面があったのが1980年。

松田聖子というアイドル歌手がデビューし、マンザイがブームとしてテレビ番組表を塗り替えようとしていた矢先のこと。ビートルズ解散から10年を経てウィングスのメンバーとして来日したポールが麻薬で捕まり,NYではジョンが凶弾に倒れるという悲劇で締めくくられた1年でもありました。

松田聖子という芸名の由来ともなったマツダ(当時の社名は東洋工業)はそれまでの後輪駆動大衆車、ファミリアを前輪駆動に刷新。デザインも当時世界に繁殖しつつあったVWゴルフのそれにも通じる直線と平面を織り交ぜた斬新なスタイルに大変身。広島ゴルフとさえ揶揄されるほどその構成は似通ったものでした。
主力のエンジンは1500でほぼカローラと同等、サイズは4mを越えない、いわばゴルフ・サイズ。でもFFの恩恵で室内は驚くほど広く、リクライニイングした前席をリアシートとフル・フラットに繋げて車内でも裸足で足を延ばして寛げるラウンジ的空間をセールス・ポイントにしていました。

広告に登場する際のテーマカラーに赤を選んだのは経営立て直しに貢献した2代目コスモ(AP)に倣ったもの。9年後にはロードスターもこの赤を纏って人気をさらうことに・・・・・

これらが当時の若者に響いたのか?TVCMの高中正義のギターサウンドが奏功したのか?ハマトラ・ルックの女子大生たちにも好評をもって迎え入れられ、たちまちのうちにマツダも驚くほどのセールスを記録し月間販売台数では数回カローラをかわしたうえ、2年少々で生産100万台を生産、国内カーオブザイヤーを受賞するなどマツダにとっては救世主的な存在でした。

当時米フォードの資本介入を受けていたマツダは、第三の販売チャンネルとしてフォード・ブランドの専売店=オートラマを立ち上げており、ファミリアにもフォードのバッジをつけたレーザーという名の兄弟車が生まれています。生産地は勿論ファミリアと同じ広島の工場。しかしマツダのマークはなく、フォードのマークを自慢するファンや近隣住民には好評でした。

ホンダも第二の販売チャンネルとなるベルノ店を組織し始めたばかりで、シビックの兄弟車にバラードという4ドア3ボックスのオーソドックスなセダンを作り分けたほか、一回り大きめで5ドア・ハッチバックを備えた多目的セダン、クイントを専売車種に据えて2ドアのプレリュード、セダンのバラード、5ドアのクイント(のちのインテグラ)と多品種化を進めました。

トヨタでも新規の販売チャンネル=ビスタ店系列を立ち上げ、ここにクレスタというオシャレな上級セダンを投入します。クレスタは元々次期マークⅡ、チェイサーの兄弟車として開発されていたもので一足先に市場に投入、サッシュレスの窓枠のない4ドアはハードトップ同様のスタイルでマークⅡ軍団の新たな方向性を示しています。のちにハイソカーブームに火が付くのもこうした高級化路線が発火点でした。

トヨタにクラウン、マークⅡ、セリカXX(ダブルエックス)と6気筒のバリエーションが揃い始めた頃、日産にはセド・グロ、スカG,ローレル、ブルーバードG6(810)、フェアレディZという錚々たる6気筒軍団が揃っていました。
このうちブルーバードの6気筒版は人気の910型では海外専売モデルとされ、同じ車台の上にはレパードという全く新しい2・4ドアボディが載せられます。サッシュレスの大きなドアに低くスポーティーなルーフなど、日産でも最右翼の空力を意識したデザイン・コンシャスなセダンでした。

これで日産モーター系列にセドリックとローレル、プリンス系列にグロリアとスカG、日産店にはフェアレディZとレパード、さらにチェリー販売系列にもレパードTR-X(トライ・エックス)として配備され、6気筒のバリエーションを拡充させたのでした。

新型ローレルのデビューもこの年のこと。それまであった2ドアHTは無くなり、4ドア専用車として生まれ変わった点は新型マークⅡとも似ています。

前年の「アルト」大ヒットは勿論ライバルメーカーを刺激しないわけがありません。各社ライトバン仕様の廉価バージョンを急遽仕立て直し、低価格のバリエーションを用意します。が、ダイハツだけは既に550cc新規格の軽=ミラクオーレをリリース目前に控えており、アルトの対抗馬として4ナンバーの商用車登録としてデビューさせます。ちなみに4ドア版は5ナンバーのMAXクオーレとして乗用車登録に分けられました。
ミラが斬新だったのはエンジン・ルームを短く収め、車室を広めにとった「1.5ボックス」スタイルを提唱したこと。傾斜がきつくなった短いノーズは後に続くホンダシティほか多くの日本車が取り入れるトレンドでもありました。

未だに人気の衰えないランドクルーザー60系がデビューしたのもこの年。系譜としては56系を受け継ぐ4ドアワゴンボディ―ながら、4/5ナンバーには収まらない1800ミリの全幅は当時の税制ではいきなり1ナンバーの普通貨物のカテゴリーに入ってしまう大きさでした。
しかしながら2リッター・オーバーが割安になった現代の税制からすれば割安感も増して、中古市場での人気もうなぎのぼり。その武骨な丸目ヘッドライトのマスクは復刻版として、より新型のランクルにも顔面移植される不思議な人気ぶりを見せています。

2度のオイルショックを経て迎えた80年代、そのトレンドを左右するニュー¥カマーは翌年にも様々な形で具現化してゆきます・・・・・

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