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1996:ミニバン、ワゴンブームは日本のファミリーカー像を変えてしまった?ゆくセダン来るワゴン

シューティングブレイク と言えば英国の富裕層が狩猟のお供にする猟犬や銃を積んで目的地までのグランドツーリングを楽しめる両刀遣いのスポーツワゴン・・・と相場が決まっていました。
例えばボルボp1800のテールやアストンマーチンDBー5のルーフを真っ直ぐ後ろに引き伸ばしたステーション・ワゴン風のGTが存在していました。

日本で嚆矢たる存在と言えば三代目カローラ30、40系に追加されたリフトバックがいい例でしょう。まだ日本にワゴンブームが根付くよりも20年も前,バック・ドアの角度を起こして荷室の空間を重視したクーペは稀でした。その魅力に感化されたのか?ライバル=サニーは四代目310系にライト・バンとは全く違ういでたちの5ナンバー登録=4ドアワゴンにカリフォルニアなるサブネームを付けて販売しました。
元々日産は北米向けにステーション・ワゴンを気取った乗用登録モデルを別建てに用意しており60年代以降の北米ではカーゴ・スペースを併せ持つワゴンタイプが乗用車の王道というべき存在でした。

それはトヨタも同様でライトバンとは意匠をちょっと変えたマークⅡワゴンバージョンを国内向けに販売したこともあります。がリフトバックやカリフォルニアの場合はルーフを丸ごと違える様な大改造でメーカーの心意気が窺えました。

でも日本市場では5ドアのワゴン・タイプは長年売れない車型の代名詞でした。

局面が変わったのは平成に入ってのワゴン・ブーム。日本にも北米の20年遅れでワゴンをファースト・カーに選ぶ時代が訪れたのでした。日産ウィングロードは名称が変わる前にはサニー・カリフォルニアでその子孫とも言える血統です。
ローレルの車台を転用してワゴン専用車に仕立て上げたのがステージア。これなどイメージはまさしくシューティングブレイクそのものです。GTワゴンを名乗ってもいいと思えるほど・・・・私は好きでしたが。

そして93年のスズキ・ワゴンRの大ヒットでトールワゴン、ミニバンが一気にこの国の市場を占めて行きます。
ホンダのオデッセイが3ナンバーサイズながらワゴン専用の3列シートを備えたミニバンとして大ヒット。トヨタもマツダもミニバンに属した車種は持っていましたが、いずれも後輪駆動車。FFセダンを土台にした合理的な設計のミニバンが、以後雨後の筍のごとく、自動車市場に花を咲かせます。
前年のモーターショーに出品されたホンダのミニバンしょうひんぐんの中からSMーXが消費化されました。ミニバンでありながら2ドアで高い地上高。クロスカントリー社を意識した意匠はフレームボディのSUVを持たないホンダからの解答例でした。
3ナンバーで車高を抑えめのオデッセイに対し、5ナンバーサイズで高さを生かした、全く違うベクトルを持つのがステップワゴン。これが大受け!売れ筋に成長するのですから、商売はわかりません。

まずオデッセイに倣ったのがトヨタ。モーターショーでお披露目していた3列シートのワゴン車はイプサムとしてデビューし、販売店ごとに微妙にアレンジしたガイアやナディアをデビューさせます。

トヨタのボトムエンドを担う最少クラスのトヨタ車=スターレットはこの名称で最後となった90系にモデルチェンジします。エンジンや足回りはほぼ先代からの継承。ボディは一段とふくよかに、しかしキリッと締まった印象も与える秀逸なものでした。ターボや四駆も戦列に加え、グランツァという顔違いのグレードやレトロブームに応じた「カラット」なるグレードも追加されています。

オリンピックの年にはマークⅡがモデルチェンジする、の不文律はここでも守られてチェイサー、クレスタの3兄弟が新世代に移行。最初から3ナンバーサイズの上級車として設計されます。サッシュレスのハードトップ風かプレスドアの意匠の違いを3車で使い分け、四輪駆動やターボで武装したツアラーも揃えた豊富な品揃え。でもカローラに迫る勢いだった売れ行きはバブルの崩壊後とあって芳しいものとはいえませんでした。
むしろマークⅡのいた場所には大きく成長したカムリ(グラシア)が待ち受けていたのかもしれません。アメリカではこちらの方がはるかに売れ筋でした。レクサスの中核をなすESの母体でもあります。

北米と言えば貿易摩擦解消にも様々な対応を迫られました。トヨタがGMからの供給を受けて国内販売したキャバリエはシボレーの小型クラスを日本向けにジャパンナイズしたようなもの。生産国はアメリカ、輸入車です。

この年、三菱からは自動車エンジン史に残るともいうべき新技術が業界をあっと言わせました。ガソリンエンジンのシリンダー内にディーゼルエンジンのように直接燃料を噴射するという画期的なもの、ガソリン・ダイレクト・インジェクションの略称はGDIと名付け、主軸のギャラン、レグナムの新型に搭載してきたのでした。

エンジン吸入前に気化器やインジェクターで外気と混ぜるのではなく吸入・圧縮過程のシリンダーに直接噴射するのでダイレクト。言い方を変えれば中出しです。
アイドリング中に高周波のカラカラという音がかすかに聞こえるものの、高効率、省燃費、高出力が期待できる夢のような技術でした。ただ、爆発直前に噴射することが点火を伴うディーゼルと違い、噴射のタイミングやシリンダー内での混合気の形成など難しい問題をクリアしての商品化で軽自動車に搭載出来るほどの量産効果は望めませんでした。

日産の屋台骨として長らく命脈を保ってきたブルーバードもこの年登場のU14系が最終モデルとなってしまいます。4ドアに始まり2ドアやクーペ、ハードトップと多彩なバリエーション展開を打ってきたブルも最後はまた4ドアのみに。2代目からの伝統の「SSS」の暖簾もこれが最後となってしまいます。思えばコロナと販売ナンバーワンを競ったりサファリラリーを制して世界をあっと言わせたり、CMソングがCDも発売される人気になったりと、時代の中心を走って来たブルも、いつしか目立たぬ存在に・・・・・ブルーバード・シルフィというパルサーの兄弟車が跡を継ぎますがいつの間にかブルーバードの肩書きも消え・・・・コロナと共に寂しく表舞台から退場していったファミリーカーの定番でした。

あれほどバブルのも代名詞みたいな言われ方をしたシーマも結局3ナンバーセドリックの兄弟車に。デザインも共通化のおかげでレパード同様強烈な構成は無くなりました。

アコードもギャランもカペラやクロノスも嘗てはファミリーカーの王道をゆく存在。それがいつの間にか背の高いワゴンにお株を奪われて、おまけにタクシー市場からも姿を消してしまったのは寂しい限り。このマーケットでは後輪駆動のコロナRT140系と910系ブルーバードが長らく継続生産されていましたがとしんのタクシーユーザーの目に触れることもなく、いずれも消滅。
時代は大きな変化のうねりの中にあり、これから20年以上も続くデフレ経済の長いトンネルをひたすら進むのでした・・・・・

海の向こうからはプジョー406が魅力的なボディを纏ってやってきます。そう、リュックベッソン監督をオトコにした人気映画、taxiの主役のあの車です・・・・


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