1975年の日本車は半導体付き電子制御の時代へ/RE起死回生策は環境対応
オイルショックの衝撃はとりわけ当時のマツダ(東洋工業)には厳しいものだった。燃費の悪さばかりが注目され、対米輸出車を中心に在庫の山を築いてしまう。このことが経営に重くのしかかり、ついには銀行経営陣から社長を迎えざるを得ない状況にまで追い込まれたのでした。
そんなマツダの起死回生作となったのがコスモの名前を冠した真っ赤なスペシャルティ・クーペ=コスモAPでした。APとはアンチポリューション、低公害の意味を持たされたエンジンにはサーマルリアクターと言う、第二の燃焼室が設けられ、不完全燃焼した排ガスをクリーンにしてから排出する、というものでした。ホンダ自慢のCVCCや他の手法に比べて簡単に低公害化を図ることができたうえ、コスモの販売も目を見張る大ヒットとなって経営に寄与したものです。
ゴージャスなイメージの4座・5人乗りクーペの母体は当時のルーチェで、ロータリーの他に4気筒2000ccエンジンも選べたことが奏功したのかもしれません。
それまでのクルマはまず例外なくキャブレターを使ってガソリンを気化していました。エンジンの回転数に応じて吸入する空気も増え、それに応じた燃料がエンジンに吸い込まれていく、この過程を霧吹きのようなスプレー状にする試みは以前からもありました。でも日産がEGIと銘打った燃料噴射は自動車エンジンが本格的に電子制御を取り入れた第一歩ともいえる画期的なものでした。
気化器の代わりに、ただ燃料をスプレーするだけでは適量になりません。今エンジンが何回転しているか?加速中か?減速中か?冷え切ったスタート時なのか?高速巡行中なのか?必要とされる燃料噴射の量は刻々と変化します。これを各種センサーと演算装置と呼ばれるブラックボックスに集約してインジェクタ―から噴射する燃料を調節します。つまり、半導体の助けを本格的に必要としたエンジンがここから繁殖してゆくわけです。
メーカーごとに商標登録されたネーミングが違い、トヨタはEFI、いすゞはECGIのように名前は違えど仕組みは同じです。日産は2リッターの看板車種に次々EGIを搭載し、スカイライン、フェアレディZなども軒並み電子制御化されてパワーもちょっとだけアップしました。この年は昭和50年排気ガス規制の適用された年でもあり、燃料の細かな制御はこれから不可欠なものになってゆきます。
この2リッタ―EGIエンジンを搭載し、フルモデルチェンジしたのがシリーズ中で唯一、販売競争でクラウンを圧倒した日産セドリック/グロリアの兄弟車コンビでした。ワゴンや4ドアHTがあるのは先代譲り。抑揚をさらに大きくした、アメリカナイズされたデザインの最終形とも呼べるものでした。次世代の430系では大きく方針転換するわけですが・・・
実質的なランサーのクーペ版,FTOは名前もランサー・セレステと一新し、スタイルも直線基調とした斬新なスタイルで登場しました。本家のランサーとは似ても似つかぬこのデザインがこれ以降のギャラン∑、Λ(ラムダ)トラックのフォルテなどにも反復され、またまた三菱のデザインリーダーの役割を担うことになります。三日月型のリア・サイドウィンドウで狭められた斜め後方視界のために、エア・アウトレット風な覗き窓を設けて、視界を確保したところはミニカ・スキッパーにも似たデザインの妙が窺えるポイントです。
日産サニーからはサニー・クーペとは全く違ったスタイリッシュなクーペがシルビアとしてデビューします。2トーンカラーを使って、ボディサイドを大胆に尻下がりにデザインされたプレスラインは当時アメリカで流行り始めたクラシカルなデザイン潮流をいち早く取り入れたモノ。それよりこの2代目シルビアは当初、ロータリーエンジン専用車として開発されたともっぱらの噂でしたが、結局はサニーの1600を拡大したL18型4気筒のレシプロエンジン車として発売されています。このデザインからは後の大ヒットを予想できないあまりに個性的過ぎたものでしたが・・・・
この年、少年ジャンプに連載が開始されたのが、やがて日本中を巻き込むスーパーカーブームの火付け役、サーキットの狼(池沢 早人師・さとしは当時のPN)当初は公道を走るロータスヨーロッパが主役で、次第にイタリアの名だたるスーパーカー群が着目されることとなり、やがて日本中に・・・・・
他方でナナハンライダー達にはヘルメットの着用が義務化されたばかりでなく、バイク免許が三段階に分けられ、400ccを1ccでも超えると厳しい限定解除をパスしなければならなくなった…
翌年にはバイクの普及に革命をもたらす大スターが登場することになるのですが…