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Alain delon adieu

イケメンもキムタクも知らなかった頃、ハンサムな2枚目俳優といえば仏🇫🇷俳優アラン・ドロンの時代が長く続いた(のが昭和の日本だった)

そんなドロンも歳をとり、トシちゃんだのマッチだのが人気を博していた頃、ニッポンのお茶の間にCMタレントとして登場したのが、アランドロン様だった。東洋工業から名を改めたマツダが白紙から開発した新型カペラのプロモーションに起用。CM撮影からカタログ用スチール、さらにはカタログ読者に向けたコメントの提供まで大盤振る舞いの露出ぶりだった。

表紙だけでなく各ページドロンづくし


当時のマツダは赤いファミリアが大ヒット中、会社の駐車場にも1台や2台は見つけることができ、オーナーは判で押したように独身女性だった。そのファミリアの利益を注ぎ込んで新規開発、隣県に新規工場まで新設して世に送り出されたのがFFカペラ。3代続く老舗のブランドで、後々西ドイツではマツダ626としてカリスマ的人気を博することになる。

この時期は地方都市で活躍した小型タクシーが軒並み前輪駆動に刷新され始めた頃で、ディーゼルオンを振り撒くフローリアンやFR最後の910ブルーバードに混じってカペラやギャランを採用するタクシー会社も少なくなかった。FF化という意味では先手を打った方の3代目カペラ、その力の入れようといえば新規に工場を設けてエンジン、車体も含めてオール新規開発。広告にも世界を代表する名優を採用するなど、桁外れの広告戦略がとられたことも懐かしい。

当時のマツダの広告にはびっしりと活字が並ぶ詳細な説明文句で商品をアピールするものが多く、活字大好き少年にはたまらない魅力だった、とともにメーカーの知的イメージを嫌が上にもアップさせた。

こんなに文字数の多いカタログも稀有だった

カペラの翌年にはギャラン、ブルーバード、カローラ、といった各社の主軸車種が相次いで前輪駆動を採用してゆき、この流れは止まらなくなる。販売面ではファミリアほどのヒットとはいかなかったものの、製品としての評価は高くメーカーにも得るところの大きい車種だった。


コメントまで寄せるサービスぶり

欧州、とりわけドイツではマツダ626として人気車種の地位を欲しいままにしたことからもその優秀さが伺える。日本名のカペラが消滅後も626の系譜は続いており、ミドルクラスのセダンとして長い命脈を保っているのは名優に恥じないキャリアだとおもう。


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