石油危機が名車を産む?

1970年代世界を襲った石油ショックは一度ならず2度も自動車産業を揺さぶります。

最初のオイルショックが73年
ガソリンスタンドは日曜休日の営業をやめ、燃費の芳しくないエンジンを積んだスポーツタイプは軒並み在庫の山を築いて会社の経営もおかしくします。

反面、時流に乗ったクルマを企画して企業のブランドイメージを大きく向上したメーカーもありました。トヨタと提携後、委託生産ばかりで独自色が揺らいでいたダイハツがコンパーノ以来久々の自社開発のリッターカーを世に問います。

5平米カーと銘打たれた前輪駆動のクルマはシャレード、その投影面積の小ささをセールスポイントにしています。
この当時の軽乗用はほぼ全てが2ボックススタイル、でも登録車5ナンバーでシビックに先例があるのみでした。シャレードの外寸もほぼ初代シビックと同等。今なら全長3400ミリ以下の軽乗用車規格とさほど変わりないサイズです。

先行するシビックと違いシャレードのエンジンは1000cc、それも4サイクルエンジンながら3気筒で成立させると言う世界でも珍しいものでした。クランクシャフトは120°づつ捻られ240°回転する毎に爆発するタイミング。今やBMWでもメルセデスでも相次いで採用しているユニークなエンジンでした。
何故素直に4気筒にしなかったかと言えば気筒あたり333ccが最も燃費効率や排ガス対策上都合が良いから、というのがダイハツの弁でした。この謎解きは21世紀になって反復されることに。

シャレードも最初のモデルチェンジを受ける頃には二度目のオイルショックの洗礼を受けました。そこで打ち出したのが、日本でも目立ち始めたディーゼを1リッターで成立させると言う離れ業でした。振動の大きなディーゼルを小型車に載せるのは難しく、そこはロックンディーゼルと銘打って隠そうともしなかった開き直りが生んだ傑作です。

ホンダシビックが誕生したのはオイルショックの僅かに前、しかしアメリカで燃費の良い小型車が急激に需要を増やしてシビック大ヒットに繋がります。北米に地歩を固めたホンダはひと回り大きなアコードを投入、2代目からは北米に現地工場を立ち上げ、いち早く貿易摩擦問題を回避します。

オイルショックを予見した訳ではないでしょうが結果として今日のホンダになれたのはオイルショックを見越していたから、と思いたくなる先見性です。

トヨタも日産もFF小型車を相次ぎ開発、日産は80年代に入り新規にリッターカーのマーチを投入します。ジウジアーロに委託したデザインはフィアットウーノとも近似性を感じさせるモダンで国際的なセンス。パワーユニットは一般的な4気筒を横置きしたものですが、モデルチェンジのサイクルを長く設定して薄利多売をもくろみました。
このクルマが意外な孝行息子を産んだのは85年のモーターショーのこと。マーチを土台にしたデザインスタディの一台として出展されていたbe~1が予想外の人気を博して、遂には限定生産される市販車として陽の目を見たのです。同じ手法は後継のパオやフィガロ、ひと回り大きなラシーンにも受け継がれ、、パイクカーと言う新しいジャンルを確立しました。

他方、海の向こうでは大メルセデスが巨額を投じてそれまでに存在しなかった小さなクラスのクルマを世に問いました。日本市場では子ベンツ呼ばわりされた190シリーズです。実際にはエンジンの排気2000ccありますが、格上のミドルクラスより大きな数字を名乗れないベンツの文法で190/190Eと命名。2300や2600のエンジンを積んでも苗字はあくまで190です。

時あたかも六本木カローラことBMWの3シリーズが日本でも大当たりしていた頃、スムーズの6気筒カリーナ並みのコンパクトなボディに納め、日本に現地法人の販売網を展開していたこともあってセールスを伸ばしていたものです。
190ベンツもサイズや価格、そして何よりステータスと言う点では真っ向から四つに組む好敵手。ベンツの生産台数も飛躍的に伸びたのは言うまでもありません。

さて70年代の石油危機よりも前、スエズ運河を巡る紛争から石油供給の不安が危惧されたイギリスでもガソリンを食わない経済的な小型車が開発されようとしていました。

フランスがいち早く取り入れていた前輪駆動システムでしたが、ミニの設計者イシゴニスはエンジンを横向きにマニュアルミッションの真上に載せて前輪駆動を実にコンパクトに仕上げます。プロペラシャフトが無い小さなボディは当時の日本の軽自動車規格にもおさまりそうなくらいミニなのに、大人4人がちゃんと座れるスペースが確保されていました。

でも石油の供給は安定しておりミニの販売は芳しいものではありません。そんなミニ注目したのが洒落たセンスを持ち合わせる富裕層でした。自宅のガレージのロールスやベントレーには目もくれず玄関先のミニを下駄がわりに乗り回し、コレが一般庶民にも伝播した由。
程なくして女性デザイナーマリークワントが発表した丈の短いスカートもミニと命名され、ビートルズのヒット曲共々世界中を席巻したのでした。

石油危機を乗り越えてガソリン懸念が薄れてもミニの生産は50年代のデザインのまま延々と続けられ、20世紀末には日本市場に毎月1,000台余りがコンスタントに供給されるロングセラーとなったのでした。

ミニの生産期間中世界のクルマはことごとくエンジンを横に向け前輪を駆動するミニを模倣しました。FRしか作らなかったBMWやメルセデスも小型サイズは今や横置きFF。しかもあのミニの株主は今ではBMWに!そのパワーユニットには4サイクルの3気筒エンジンが多く使われているのもシャレードが先鞭を付けたアイデアだったとは、オーナー達も知っているのかいないのかあ?


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