フツーの女の子に戻ったら、リトラクタブルでフィーバーするのが前向きだった1978年国産車
千葉県成田に国際線の新空港がオープンしたのが1978年、海の向こう・北米では映画=サタデーナイト・フィーバーが大ヒット、音楽業界はどこもディスコ・サウンドに塗り替えられる。日本の芸能界からキャンディーズが消えピンク・レディがその大きな穴を埋めてまだ余りあった・・・
この年トヨタも三菱も前輪駆動の新型車をリリースします。トヨタ初の量産前輪駆動車コルサとターセルの双子車は整備性を考えたエンジン縦置き。ミッションもFRと同じ場所にありドライブ・シャフトはエンジンの真下から車輪へ伸びるので左右対称。これは横置きエンジンの悪い癖=トルク・ステアを出さない為の方策でもありました。
全長はカローラより短い位なのに室内が格段に広いのはコロナ並みのホイールベース=2500ミリを実現出来たからでシトロエン似の特異なプロポーションは国産車では異端でした。
コルサもターセルも車格としてはカローラより下に位置する1300/1500ccでトヨタのボトム・レンジは1300ccのスターレットが担います。(同じ1300でもコルサは2A、スターレットはおHVの4Kエンジン)流行の兆しが見えた2ボックス・ハッチバックを採用するもののオーソドックスな後輪駆動はそのまま。車体の軽さとエンジンの余裕で軽快な走りをアピールし排ガス規制で削がれたドライビングの楽しさを訴求する戦略でした。
三菱の新型大衆車ミラージュは進行方向と逆の回転方向になってしまったエンジン回転をもう一段余計なギアで繋ぐ横置き配置。ついでに2段変速も出来る様にしたのでフロアには長短2本のシフトてバーが存在し、一本はスーパーシフトと呼ばせて前進計8段変速が出来る仕掛け。一方エンジンはMCAジェットと言う複数の吸気バルブを持ったものでシリンダー内に高速の渦流を発生させて燃焼を促進する仕掛けでした。
でもミラージュの最大の特徴は思いっきり窓を四方に拡大した超明るい室内と広い視界。GMではビュイック・スカイホーク等で脚光を浴びた新デザイン・トレンドです。
日産は実質的なFFチェリーの三代目=パルサーを投入、1600ミリのワイドなボディはサニー並み、途中からエンジンの回転方向を逆にしたE型エンジンでアイドラー・ギアの騒音とも決別しました。従来のチェリー店に加えプリンス店向けに兄弟車ラングレーを追加します。
足掛け9年もヒットを続けるフェアレディZが旧型のイメージそのままにモデルチェンジ。最初から国内にも2800や2by2が同時リリースされます。TVドラマ西部警察には改造車マシンZとしても登場したほか、T型にルーフを切り取れるTバールーフが設定され、簡単にオープン・エアの雰囲気が味わえたものでした。
セリカも北米向けに6気筒エンジンを積んだロング・ノーズ版のスープラ(国内向けはダブルX)を用意してスカイラインGTにも負けないスペックを備えます。オートマチックには電子制御された4速ATが開発され、、、高速での燃費向上や加速力アップに貢献します。
一方マツダはそれまでのサバンナをロータリー専用スポーツに仕立て直したRXー7を投入。小型軽量なエンジンを重心近くに置くフロント・ミッドシップのキャッチコピーは当時のスーパーカー・ブームに伴うミッド・シップ車人気にあやかったのか?ヘッドライトのリトラクタブル方式も国内では久々の採用で、和製スーパーカーの人気も手に入れます。
反面、初代でロータリー搭載が売りだったカペラは2代目でレシプロ・オンリーの商品展開に。しかも空力を意識したデザインは広告コピーにたびたび空気抵抗係数の文言を並べた最初の例となりました。今でこそ珍しくない0コンマ4を下回る数字は当時、高速燃費や最高速に大きく影響するとアピールされたもので、Audiが画期的デザインのAudi100をデビューさせるよりも数年早い採用でした。
マツダ・ボンゴといえばワンボックスの代名詞のように言われたリアエンジンタイプのキャブオーバー型ワゴンでしたが、ハイエースやキャラバンのライバル同様フロントエンジンの新型に刷新されます。トピックは荷室に醜く飛び出していたタイヤハウスのふくらみを消してしまったこと。荷室のかさ上げもありますがリアタイヤをダブルにして小径化し、外径を小さくしたのです。
さて、アコードが軌道に乗ったホンダはというと、翌年にシビックのモデルチェンジを控え、それまでには存在しなかったパーソナルな2ドアクーペ=プレリュードを発売します。集中ターゲット・メーターという、タコメーターの外周をスピード・メーターの針が別個に動く、同軸の二連メーターや全車サンルーフの標準装備で話題をさらいます。おそらくイメージ・リーダーにはベンツの450SLあたりを据えていたと思われ、価格はアコードの上位に匹敵する上級車の扱いでした。
この頃二輪の世界で歴史的な名車がヒョンなキッカケから誕生しています。ヤマハのビッグシングルで500cc単気筒のオフロード車Xt500を古風なオンロード用にアレンジしたら面白かろう!と言うメディアの提案に乗ったメーカーが出した答えがSR500、後に中型免許対応の400も加わります。平成の終わりまで、40年以上も生きながらえたロングセラーが生まれたのはそんな経緯からでした。
まるで入れ替わる様にドイツのフォルクスワーゲン工場では最後の本社製ビートル=カブトムシが送り出され、ニホンでは世界一厳しい53年排ガス規制が輸入車を待ち受けていました。
エンジン開発に多大な労力を削がれた後のエンジニア達はやがてハイパワー競争に駆り出される事になるわけですが・・・・