軽自動車の最初の黄金時代・スキッパー
こしゃくにもクーペです!
ハロウィンもとっくに終わって、いつの間にかパンプキンカラーからクリスマスデコレーションへ
そんなビビッドな「オレンジ色」が乗用車のボディーカラーとして脚光を浴びた時代がありました。いすゞのベレットGTーRや、カローラ・スプリンターSRなどにも波及してこの時代の流行色になりました。そのきっかけのひとつは1969年のブルーバード・クーペに採用されたサファリ・オレンジという土気色、サファリラリー総合優勝のニュースとあいまってスポーツイメージを反映したカラーとして認識されたようでした。ニッ三、四リモトヨタがこの色を好んだようで、パブリカ・カローラSR、マツダはカペラ、ホンダのZ、三菱はギャランHTやGTOにも相次ぎ採用しています。
同じく昭和40年代半ばは軽自動車の最初の黄金時代だったと云えるでしょう。
=ミニカ・スキッパー/1971〜
乗用車に占める軽のシェアが25%をオーバーし、今に繋がる軽自動車ブームもここが本格成長期。火付け役は31万円で31馬力を入手できたホンダN360の存在でした。 それまでは40万円近い価格で25馬力あたりがせいぜい。ホンダはここに風穴を空けた価格破壊的な存在で、軽自動車の馬力競争をリードし、リッター当たり100馬力を上回る過激なエンジンがいくつも登場しました。
エンジンだけでなくボディも平凡な2ボックスから脱皮して、お洒落なクーペボディを纏うようになり、デートカーの仲間入りを目指していたのがこの時代。三菱ミニカもそれまでの実用一点張りから、ギャランGTOにならった、ファストバック・カムテールデザインを大胆に採用します。
後方視界を補う狙いで設けられたウィンドウも、今ではプリウスでお馴染みに。ルーツは意外にもこんなところに潜んでいたのでありました
四年後のセレステではクォーター・ピラーのエア・アウトレット風に見せたルーバーに後方を確認できるウィンドウを新設、デザインと機能を巧みに組み合わせようとしていた70年代ならではのアイデアでした。
屋根からテールに連なるなだらかなラインはいつの時代もデザイナーの技量が問われる難所。この時代はカローラのセミ・ファストバックに始まって、ロータスヨーロッパに範をとったようなチェリー・クーペのプレーン・バックに至るまで様々なトライが街中に溢れたのも懐かしき思い出です
昭和の銘機・5バルブ
エンジンのパワーを上げる為のアドレナリンもここまで揃うと国士無双級の強さです。幕の内弁当のお伴におせちは如何?と薦められている様でもあります。日本の自動車技術が世界のトップに立つのは70年代に入ってから、最初は低公害エンジンの排気ガス規制適合技術、やがて80年代には低公害車テクノロジーが一巡すると、燃焼効率の様々なアプローチからF1制覇に至るまで、パワー競争戦国時代に突入しました。ターボ、ツインカム、4バルブ、インタークーラーターボ・・・・まるで技術の秋葉原電気街のような賑やかさです。
【mitsubisi3G83】
各社からフルハウス・カードが切られたと思いきや当時の三菱は5バルブ化を断行、ここまでやるか!の筆頭です。しかもこれが軽自動車専用のエンジンだというから何と言う贅沢さ!軽自動車の馬力競争に64馬力と云う自主規制が敷かれた後も、スペックをめぐる闘いは激化の一途。ついにこんなトドメとも云えるところまでやって来ました。ダンガンと云うサブネームも今や昔(・・・今ではほかのメーカーが「グーン・ダーン」と燃費向上にのろしを上げています)現代では望むべくも無いこのようなエンジン、是非とも有形文化財に指定して欲しいものです。
実はこの頃のミニカにはミニカ・トッポというユニークな存在もありました。
今で言えばルノーカングー、いやそれよりもスズキが後に続いたワゴンRの先駆けともいえる、画期的な商品だったのです。ボンネットからうえすとらいんまで、下半身はセダン尾デザインのまま、ウィンドウから上を上方に引き延ばして、チョロQのようにデフォルメしたデザインが斬新でした。
一方、スズキはこれと逆にウィンドウから上をそのままに、ウェストラインから下を縦に伸ばして剛性の高そうなワゴンボディに仕立てました。アイポイントも上昇し、着座点も上がるのでシートアレンジまでも大きく違ってきます。ここがミニかトッポとの大きな差となり、大ヒットを飛ばしたのは既知の通り。各社このスタイルに倣いデファクト化した感もありました。
先に三菱がこの手法を取っていたなら・・・・・後にEKワゴンというヒット商品を送り出しますが、こちらが先行していたら軽の勢力地図も変わっていたでしょうか??
EKも名前こそ残しますが、実態は日産デイズのクローン。ワゴンRに倣ったハイト系ワゴンです。