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シーマ現象が生まれた1988年=土地も為替も上がるわで、節約は自粛?な昭和の晩年だった

前年からの東京の土地高騰ぶりは類まれなもので、都心では駐車場不足が深刻化の兆しを見せていました。昭和の実質的な最後の年となるこの年、昭和天皇のご病状が心配される状況になり、慶祝行事から運動会迄あらゆるイベントが自粛を余儀なくされましたが・・・・・

前年のモーターショーにはいくつか気になるクルマが展示されていた、がその参考出品のうち1台がセドリック/グロリア・シーマとして発売されました。消費税の代わりに高額な物品税が廃止され、翌年からは事実上の減税となった3ナンバー車の人気が急上昇。自動車税が段階的に設定されたことも3リッター車には有利だったので全幅1700ミリ以上の3ナンバー車が軒並み売れる素地が揃ったわけです。

シーマはセドリック4ドアハードトップのボディを多少ふくよかにリメイクしてジャガー・ダイムラー風のプロポーションを与えた上にⅤ6エンジンはターボで武装され、255馬力で巨体をダッシュさせる光景が、ちょっとした迫力ものでした。土地の利ザヤで儲かった不動産関係者ならずとも、これが大好評。シーマ現象などと言う言葉も歴史に残るほどのセールスを記録しました。

日産の好調ぶりは3ナンバーだけにとどまりません。アート・フォースと銘打った新型のシルビアがデビュー、セダンと共有していた後輪の足回りは独自のマルチリンク・サスペンションを奢られ、クーペボディ一種に絞られた4座のデートカーは久々にカテゴリーの王座奪還を果たしたのです。そればかりかこのS13系シルビアの人気はその後も絶えることがなく、中古車市場でもレース場でも後継ぎの14,15系よりも高い人気を保ち続けています。

このシルビアと同じく、マルチリンクを後輪に奢った4ドア新型セダン、セフィーロはプロジェクター・ヘッドランプを採用したスリムなフロントグリルのデザインも評判となりました。スカイライン、ローレル、レパード、セドリック、グロリアに続く直列6気筒の新顔は日産サニー店に欠けていた6気筒モデルを補填する意味合いもありましたが、人気歌手がパワーウィンドウを開けながら「お元気ですか~」と語りかけるセリフが、折悪しく天皇陛下のご病状悪化と重なり、打ち切りとなってしまったのは今も語り草です。

セフィーロと同じ直列6気筒と言えばスカイラインも8代目がヴェールを脱ぎます。2代目スカイライン以来のダウン・サイジングを断行。スリムになった車体はそれまでの鈍重なイメージを一掃し、走りに期待を持たせるポロポーションに生まれ変わりました。車重のかさむ4ドア・ハードトップはローレルに任せ、4ドアセダンと2ドアクーペのみ。全車センターピラーはあるものの窓枠のないサッシュレスのスッキリした窓ガラスを持ちました。この軽量化されたボディに翌年GT-Rのネーミングが復活することになります。そのローレルもやや小ぶりになって4ドアHT一本で勝負に出ました。ピラーレスの本物のハードトップとしてはこれが最後の代となるものです。

ブルーバードの6気筒バージョン=マキシマはブルーバードから独立した3ナンバーFFセダンとしてモデルチェンジされました。母体となったブルーバードとは別デザインを採用し、日産店では後輪駆動のレパード(2ドア)とFFのマキシマ(4ドア)が揃うことになります。

セフィーロと同クラスのマークⅡも兄弟車共々モデルチェンジ、五輪イヤーで米大統領選挙のうるう年には欠かせない恒例行事です。今回も4ドアセダンとハードトップに限られ、5ナンバ―サイズとしては最後の世代となります。が、折からの好景気でこのマークⅡブラザースはカローラに迫るセールスを記録して、カローラ・マークⅡと呼びたくなるほどの繁栄ぶりを見せました。

カローラ・スプリンターのモデルチェンジを追うようにして、スプリンターカリブもモデルチェンジ、エンジン縦置きからカローラ並みに横置きエンジンに4輪駆動を組み合わせ、カローラ・ワゴンとは全く別のワゴンボディを与えられます。

カリーナEDが好調なセールスを記録する中、マツダもカペラを土台に4ドア・ハードトップボディーのペルソナを投入します。後席はファミリアで好評のラウンジシートを4ドアに採用。インテリアは魅力的でしたが外観は決してヒットに繋がるものではありませんでした。

プラザ合意以降の円高は目に余るほどのスピードで日本企業の競争力をそぐ結果となり、輸出で得られる利益も為替差損の前には為す術もなくなりました。そればかりか、北米工場で生産したアコードの方が割安?と言うような逆転現象さえ生まれてきます。ホンダ・オハイオ工場が北米向けに独自生産していたアコードのックーペボディが日本に輸出され、帰国子女と呼ばれました。

レジェンドには2ドアのゴージャスなクーペボディが与えられます。北米市場を意識したアキュラブランドのトップに君臨すべく、ボディは最初から3ナンバーサイズ、ブリスターフェンダーを前後に配し、低く構えたプロポーションはソアラに比肩しうる高級パーソナルカーでした。

世間にあれほど旋風を巻き起こしたシティは二代目では大きく趣旨替え!低く構えたワイドなプロポーションは高さで寸法を稼いだ初代とは大違い。結局ターボもカブリオレも追加されずに人々の関心からは遠ざかった感もあります。

スズキの売れ筋アルトは3世代目に。両サイドのドアをスライド式にして狭い🅿️スペースでも全開出来るスライドスリムは優れたアイデアだったものの、この世代だけ。乗用バージョンに与えられたフロンテの名称もこの代限りとなるのです。

実はこのアルトがワゴンRの母体となり、軽の未来に大きな道を開くことになるっていました。

シボレーブランドの北米車としても売られた5ナンバー・リッターカー=カルタスも低く長いルーフラインを持つ第二世代へと進化します。

そしてジムニーよりワイドな車台にカルタスのエンジンを載せて、ブリスターフェンダーを纏ったスタイリッシュな独自ボディのエスクードを発売します。後にはV6エンジンや5ドアを追加投入しジムニーから2リッターまでフルライン体制を構築します。

ホンダのF1はこの年、1500,V6ターボエンジンとしては最後の年を飾るべく16戦15勝という圧勝を遂げた。ルールを決める側としても看過できなくなった日本メーカーに対する風当たりも俄然このあたりから冷たさを増すのです。

消費税導入に伴う物品税の廃止で空前の3ナンバーブームを迎えようとしていた昭和末期の日本。そんなさなかに日産シーマを手に入れた女優、伊藤かずえさんの愛車がこのほどレストア作業を完了し、一般公開もされました。歴代シーマの中でも最も話題にあふれた一台だけに、実物を知らない向きは銀座で展示された実車に驚きの声を上げていたようです。

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