165km/h

佐々木朗希がこのほど記録した球速165km
100マイル=160kmを超える、(一部区間の)高速道路の制限速度の倍近い数字!
子供の頃の自動車のカタログにはこんな夢踊る数字が並んでいたものです。
カタログから最高時速の項目が消えたのはもう40年以上前だったか?
それまで、国産車の最速記録はカーグラフィック誌の路上テストによればマツダ・カペラロータリークーペGSⅡが記録したもの。80年代には五月蝿い時速百キロを知らせるチャイム音と180kmを超えないよう作動する速度リミッターのせいで200kmロマンは昔話となってしまい・・・・・

私が初めてカタログの中に200kmの数字を見つけたのは1970年まで生産された日産フェアレディ(オープン:SR311)の205km
これは度肝を抜く数字でした。空力でも不利な旧時代の足回りの上に4気筒145馬力のエンジンをくくりつけて強引に空気を切り裂くイメージが連想されました。
そもそもこの時点で150馬力近いエンジンを持つ乗用車はたったの4、5台。トヨタ2000GTとスカイラインGT-R(フェアレディZ432も同型エンジン)マツダ・コスモスポーツ(後期)にそして件のSR311だけでか見当たりませんでした。

これが180kmとなると、幾分手の届きやすい高性能・・・・と言ってもやはり指折りの高性能車に数えられたもので、100馬力のファミリア・ロータリークーぺが70万円で手に入れられたのは破格のバーゲンプライスでした。100馬力といえば当時建設が進んでいた東名高速全通を視野に高速巡航性能の証として各社ラインナップ拡充に努めたものです。

トヨタで言えばコロナから生まれたマークⅡシリーズの最高峰ハードトップ1900SL、日産はブルーバード1600SSS、これに三菱ギャランAⅡGSといった100馬力オーバーの『スポーティーな』バリエーションが180km前後の最高速をカタログに謳っていたものです。

参考までに、コロナもカローラもシングルキャブの代表的な大衆車、中型車の最高速は軒並み140km台、軽自動車は115kmあたりが天井で120kmの最高速を誇った軽はほんの一握りでした。それでも名神高速の豊橋、西宮間のせいぜい2時間ちょっとしか100km高速巡航の機会がなかった当時には十分なものと考えられていたものです。

さて、件の160kmは1100や1200といった大衆的なセダンでも達成できた数字で、カローラ/スプリンターSL、日産ならサニー1200GXといった80馬力弱のエンジンで達成できた数字でした。当時まだ90馬力だったベレG:いすゞベレット1600GTも100マイルカーの一員でしたが価格はスカGと並んで80万円を超える高価格車。カローラSLもサニーGXも60万円前後で100マイルカーが手に入ったことを思えば街中に溢れる大人気も頷けようというもの。

参考までに、カローラ/スプリンターがレビン・トレノシリーズを加えるまでのサニー人気は圧倒的で一足先に80馬力のハイパワーを標榜したほか、レスポンスが鋭く軽量な車体が甘茶レーサーたちにも大人気。ホモロゲーションの有効期限を特別に延長してサーキットを暴れ回ったことがトヨタ・ツインカム勢の奮起を促したのでは?という印象がぬぐえません。


カタログに表記された最高時速が、実は計算上導き出されたもので燃費データ同様実態とは必ずしも一致しないものだということに気がついたのは程なくしてから。
70年代には最高速競争もピリオドを打ち、馬力競争の時代へ

しかしその最高出力もあくまで最高回転数まで回した時だけに発揮される刹那的な数字で、実際のフィーリングは最大トルクの数字に近いものだと気づくには、さらにン十年も要したのでした。

子供の頃には大きな壁として君臨していた時速160kmの壁。
佐々木投手の右腕は自身の力だけでこの瞬間最高時速を上回ってしまうのだから大したものです。走り去るカローラSLのドアハンドルに佐々木の右手の指が追いつき、追い越してゆく・・・・そんな光景を想像してしまったのは今日が昭和の日=2世代前の天皇陛下の誕生日だったからでしょうか???


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