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半世紀前の恐竜Rexここに復活?

スバルから永らく途絶えていたレックスの名跡が復活!
とは言っても新規開発ではなくてダイハツロッキーのOEM供給で、トヨタのライズともども3兄弟を形成することになるのです。
ロッキーも元を正せばダイハツ・オリジナルの4輪駆動クロスカントリー車だった旧タフトの系譜を受け継ぐもので、梯子型フレームを持つパートタイム4WDの成り立ちは当時のスズキエスクードに倣った本格的なもの。現在のタフトとはなんの脈絡もないのです。

一部ではスバル・ドミンゴの名跡復活か?とも憶測された今度のレックス、初登場はちょうど半世紀前の第1期軽乗用車黄金時代の最中にありました。ホンダN360の大ヒットに続く軽のハイパワー競争、水冷化、豪華化合戦の波はスバル陣営にも容赦なく押し寄せて、リア・エンジンながら全車水冷化、スタイリングもホンダZばりに、ウェッジ・シェイプとファーストバックを採り入れた(スバルらしからぬ?)斬新なもの。前身のRー2から3年目のモデルチェンジというから、余程切羽詰まったものだったのか?(これは同時期のフロンテ71にもいえること)

スポーティーなイメージとは裏腹にCM曲を吉田拓郎に依頼。この年はフォーク界の巨星:拓郎がメジャー・ヒットを相次ぎ放ち、NHKに出る出ないで物議を醸した一年でも。(ちなみに日産ローレルのゆっくり走ろう、スカイラインの愛と風のように、等々クルマのコマソン・ヒットには事欠かなかった)書き下ろされた新曲は”僕らの旅”=共鳴レックスというのが日産で言うところのケンとメリーに相当したキャッチコピー。

車名のRexはリアエンジンのRに由来してRevolutionとかextraの意味を含んだものという説も。リアエンジンの革新的な新型軽乗用を意識したものだったと記憶している。そんなスバルのリア・エンジン軽がスズキ・アルトの大ヒットを追うようにして前輪駆動に趣旨替えしたのは80年代に入ってからのこと。レックスの呼称はそのままにFF化を図り、追加モデルとしてレックスの車幅を小型車枠に拡げて5人乗りリッターカーに仕立てたのがスバル・ジャスティだったのです。

今あるダイハツ・ロッキーはそもそもリッター・カーのパッソ、ブーンから発展したSUVなので、レックスよりもジャスティの方が名前としては相応しいものの、すでにミニバン規格のジャスティが存在することから、レックスの名跡を継ぐ事になったのだろうか?

実はこの80年代の初代スバル・ジャスティ、日本の乗用車にとってとっても重要な役割りを果たしているのをご存じでしょうか?登場早々4輪駆動バージョンを追加して、オンロード4躯ブームを牽引したばかりでなく、後年オランダのDAF社からパテントを買った無段変速機、CVTを日本で最初に市販化したパイオニアでもあるのです。一対のプーリーの幅を変化させて有効半径を連続変化させる変速機はスクーターの世界ではいち早く実用化されていました。

クルマに応用するには耐久力のある金属製のベルトが不可欠でそれもプーリーに沿って変形しなければならない・・・・そこで金属製の駒をたくさん数珠繋ぎにして円周方向の金属製の輪で挟む、という現在のCVTの雛形が誕生したのでした。
まだまだ乗用車のミッションはマニュアルが大半だったのがこの時代。
しかし、90年代も後半となると日産、ホンダなどが相次ぎCVTによる無段変速機を開発。エンジンの回転数とうまくマッチングさせることで、マニュアル並み、あるいはそれを凌ぐ好燃費を出してみせるようになると、市場はあっという間にCVT一色に。
大出力エンジンの高トルクには適応が難しいものの、軽から大衆車、そして前輪駆動車の大半がCVTを採用する頃には免許制度もAT限定取得者が大部分となり、マニュアル教習車を見つけるのはとても難しいのが現状です。

他方でレガシィに初搭載されたアイサイト、衝突回避ブレーキも今や国民的装備となり、衝突軽減ブレーキを装着してない車を探す方が難しいくらいになりました。

オンロード4躯が広く普及したことも併せて考えればスバルの技術は、常に日本車のトレンドを左右してきた、と言っても言い過ぎではありません。

共鳴レックス”僕らの旅”には
振り返ってみるのも、道草食うのもいい、僕らの旅は果てし無く続く・・・・
と歌われています。

蘇ったスバル・レックスは3兄弟の一員として、販売実績の数字上でも共鳴し続けるでしょうか?ジャスティやルーミー、タンクといったリッタークラスのミニバンが実は日本で隠れバストセラーであるように、このクラスの売れ行きにも注目が集まりそうです・・・・

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