ドアミラーが認可されTDLが開業した1983年のワンダーな日本車ワールド
1983年4月、東京に接した千葉県浦安に東京ディズニーランドがオープンします。バンパーステッカーを貼って帰ると遠く離れた地方都市ではちょっとした自慢になりました。
自動車スタイルで自慢だったのはこの年ドアミラーが国産車にも認可され、購入時に無骨なフェンダーミラーと選択が可能になったこと。カー・スタイリングの世界で革命的な出来事でした。
この年カローラ,シビックと言った人気車種が相次ぎモデルチェンジ、日産はV6エンジン搭載のセドリックをデビューさせフェアレディZも大改革、ブルーバードをFF化します。
シビックは2度目のフルチェンジで多品種を作り分けるトヨタのような芸の細かさを見せます。先頭バッターのCR -Xはそれまでシビックに存在しなかった2ドアクーペ。短い全長に切り詰めた(ワンマイル)リアシート、前輪駆動ながらスポーティーな走りが楽しめると大人気に。続くシビック3ドアはルーフを思い切って長く伸ばしたワゴンの様なスタイル.逆に5ドア・シャトルはシティの様なトール・コンセプトで広い室内高が売り物です。車種ごとの共有パーツも少なくなるこうした展開はコスト面では不利ですが、多くの顧客層を捉える点では有効です。
サッチモ=ルイ・アームストロングが歌うワンダフル・ワールドに由来しワンダー・シビックと呼ばれる事になりますが、CMのヒットが古いジャズの人気を発掘したのはプレリュードのクラシック・ブームに続く社会現象でもありました。
ライバルたるカローラもいよいよFF化、しかしスポーツ系のレビン・トレノそしてワゴン系は先代の後輪駆動を引き継いでエンジンだけの刷新でした。これが今に繋がる人気のハチロク=AE86の成り立ちです。1500の大人しい2ドアもレビンと呼ばれる様になりトレノは全車リトラクタブルのライトが標準です。この時まだFFでスポーツドライビングはできないモノと考えられており、ハチロクはあくまで過渡期の産物でした。翌年には後輪駆動の真打MR2の登場となる訳で…
V型8気筒から2つカットした様なV6エンジンが国産車で初めてセドリック・グロリアの新型Y31系に搭載されました。スムーズさが取り柄の直列6気筒に比べてエンジンルームを短く出来る事がV6の強みでFF車にも6気筒搭載が可能になります。
更には古典的なロングノーズを持ったフェアレディZも全車V6にターボを備えて大変身しました。キャビンはボディ中央に近づきヘッドライトも横長な角形でリトラクタブル.ただし格納時もパッシング出来るよう半目は開けたまま、旧来のZのイメージも継承しています。
ブルーバードも大ヒットした910系後輪駆動から,ほぼデザインイメージを引き継いだまま前輪駆動のU11型にモデルチェンジしています。この世代からは兄弟車も加わって,チェリー販売系列の日産オースター、サニー店向けのスタンザも,このブルーバードU11系からの派生車種となりました。
実は海外向けだった6気筒車も同時にFF化しており、自慢のV6エンジンが横置きに搭載されマキシマムとして国内にデビューします。
デートカーの筆頭に挙げられたシルビアもS12系にチェンジしてリトラクタブルライトに衣替えしますが、次の代ではいち早くプロジェクターランプを採用する事になりシルビア前途を明るくします。
セドリックのライバル・クラウンも同時期にモデルチェンジされますが、メカニズムは旧来のまま.でも広告戦略で大きくリードしました。そのキャッチコピーが「いつかはクラウン」…買い替えのごとに上級移行して行き着くのがクラウン!というトヨタの希望と庶民の憧れを見事に表現したフレーズでした。
FF化したのは三菱ギャランΣも同様。4ドアモデルに特化して空気抵抗を意識したエアロボディをいち早く取り入れたのはAudi 100が先鞭を付けた次代の流行となります。
三菱はギャランと並ぶミラージュも刷新しましたが、TVCMに登場した襟巻きトカゲの方が翌年遥かに大ヒットしました。その滑稽な姿とは裏腹なスタイリッシュなデザインがどうしても爬虫類とはむすびつきませんが…ランサーもこの時ミラージュシリーズに取り込まれる形でFF化、一本化されました。
ミラージュを上下前後にウンと拡大した様なワゴンボディのシャリオもデビューします。日産プレーリーやシビック・シャトルの様に全高を高めてスペースを稼いだ実質的なミニバンの始祖にあたるものでしたが、これも登場が早すぎたかも知れません。スライドドアは無く、背の高いステーションワゴン風。ミニバンがブームになってから名跡が復活します。
発売から五年以上が経つシャレードがまたもや新規軸1リッターのディーゼル搭載で驚かせてくれました。ディーゼルのカラカラ音を隠すことなくロックンディーゼルと称した他、ハイルーフ仕様も加えて実用メリットを訴えます。イタリアのチューナー・デトマソと共同開発したターボはマニア注目の逸品でした。
軽に主軸を置いていたスズキもGMとの協業で北米向けにリッターカー=カルタスを投入しました。これでシャレード、マーチ、シティ、スターレットと大衆車クラスの下に位置するリッターカーが出揃うことになります。
そのシティ人気にターボブーストを加えたのが前年のシティターボ、これにインタークーラーを加え、ボディも幅広タイヤを納めるべく大きく横に張り出したブリスターフェンダーで屈強なイメージとスポーティー感を演出したターボⅡが投入されます。これにはネタ元があってフランスの大ヒット大衆車ルノーサンクのエンジンをリアシートがあった場所に移設し、前後のフェンダーを大胆に張り出させたサンク・ターボに大きな影響を受けたと見られます。
これがホンダターボパワーを象徴する頂点でもあり、ホンダの第二期F1参戦もタイトル獲得という大きな夢に向けて走り始めたところでした。
欧州車で不動の人気車=ゴルフは1983第二世代にモデルチェンジします。カブリオレだけは初代のまま踏襲され第3世代に引き継がれましたが、四輪駆動のゴルフ・カントリーを加えるなどバリエーション展開も充実しました。が,このボディまでが日本5ナンバー枠に収まるサイズ。次の代からは全幅が1700ミリを超える3ナンバー規格に入ります。