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五輪開催に間に合わせろ!地下のニューフェイス3000系2題

東京生活を始めた方々には怒涛の2ヶ月だったかもしれません。あの複雑な地下鉄網が少しは解ってきたでしょうか?ちょっと間が開きましたが今回は日比谷線ともうひとつ都営浅草線を一緒にご紹介。
さて東京のメトロにも4桁から5桁の車体番号が付されています。大抵は旧い路線から順に銀座線は1000系、丸の内線は2000系・・・・ですが次の3000系を名乗る車体は二つ現れました。営団(当時の東京メトロ)日比谷線と都営地下鉄浅草線です。

この二つ、どちらもそれまでの地下鉄にない大きな違いがありました。地下鉄なのにパンタグラフで天井の架線から電気を取ること、そして大手民鉄との相互乗り入れを開始したことです。日比谷線は東急東横線、東武伊勢崎線との直通運転。都営浅草線は京成電車と京浜急行が乗り入れ相手です。都営の方はご存知の通り、今じゃ羽田と成田の国際空港を直結する唯一のルート。日比谷線は今や神奈川・埼玉・栃木を結ぶ近鉄並みの長大路線です。

日比谷線の現在のルートを見ると、そばには千代田線のルートが付かず離れず都心部を斜めに割くような配置になっています。始点に近い恵比寿や原宿で山手線と接続し、西日暮里や北千住でもJRと再び出会います。つまりこのルートが最も乗客数を見込めるルートと考えられたわけで同様のケースは丸の内線の池袋・丸の内と有楽町線池袋・有楽町にも見られる現象です。

さて、時は東京五輪開幕前夜(と言っても前々回の、ですが)パンタグラフを持つ日比谷線車輌が中目黒で東急東横線の中目黒駅に顔を出し、両者の相互直通運転運転が始まります。北端では東武線が同じように北千住で接続し、横浜・桜木町駅(当時)から改札の外に出ることなく東武沿線の観光地まで直行できるようになったのでした。と言っても3社を縦貫して直通出来る電車は営団(今の東京メトロ)の3000系車両に限られ、それも2社間での乗り入れがメインだったので、どこかで乗り換えは必要でしたが・・・・

日比谷線の真新しい車両はオールステンレスの無塗装で、東横線を走っていた7000系(当時)と同じく時代に先駆けた斬新なものでした。この東急7000系もやはり日比谷線に乗り入れて北千住まで顔を出すことになります。
恵比寿を出発したら明治通り下を天現寺交差点の手前まで進み、そこから広尾駅へ左カーブ。ここから霞町交差点、六本木交差点、飯倉片町とコの字型に進んで、あたかも麻布十番商店街を避けるかのようなルートで神谷町を目指します。

一説には当初計画のルート上にあった麻布十番商店街の反対があったから、と言うのが通説のようですが、実はどうやら商店街の総意ではなかったらしく、反対派は一部だったとか。それでも五輪開催を前に開通を急いだ結果が現在のような六本木回りになったとか。当時の六本木周辺といえば米軍施設があったり大使館が比較的多かったりと麻布十番・一の橋とは対照的な街並みでした。もしも日比谷線が麻布十番経由で開通していたらいまの六本木の賑わいはあったかどうか・・・?

最近では虎ノ門ヒルズ開業に合わせて久々に新設された「虎ノ門ヒルズ駅」が話題です。実は長い長い地下通路で銀座線・虎ノ門駅とも行き来が可能です、が北千住方面の日比谷線ホームからは直結していないので要注意。そもそも両者は銀座駅で交わっているので、わざわざここを歩く需要がどれほどあるのか疑問ですが。

日比谷線は銀座を通過した後東銀座で都営浅草線と直交します。もう一つの新鋭3000系地下鉄車両が走るパンタグラフ付きの地下鉄路線です。こちらもほぼ同時期、京浜急行の品川駅から北に延ばしたような形で国道15号線の下を三田・新橋方面へ北上してゆきます。北は京成電鉄と接続しますが相互直通乗り入れを前に京成側ではレールの幅を京急・都営線に合わせるべく大規模なレールの張り替え作業が行われました。このおかげで、現在あるような羽田空港、成田空港乗り換えなしの直通特急の運行も可能となっています。

さて、都営交通が敷設した第1号の地下鉄浅草線は新橋、浅草を経由する地下鉄(営団)銀座線と張り合うようなルート。銀座線の方は神田を経由して秋葉原の真下や上野松坂屋の近所を通りますが浅草線の方は昭和通りの下を浅草まで北進します。ここにも旺盛な需要が見込めたことが窺えそうです。

さて、都営線では自前の車両基地も新設しました。京急との接続駅、泉岳寺から自前の路線を南下して大田区馬込にある車両基地(地上)は終点の西馬込から地上に顔を出し、国道1号線の脇には行き止まりの橋梁も見えています。どうやら横浜方面への延伸計画もあったらしいのですが、しばらくはここで打ち止めのようです。

ここの車両基地では実はあの小さな大江戸線の車両も担当していて定期検査の時などは連絡線を渡って機関車に牽かれた大江戸線車両が乗り入れてきます。確かに両者のレール幅は一緒の標準軌ですが、リニアモーター区間しか走れない大江戸線車両は電気機関車の助けがなければ浅草線を走れません。両者を結ぶ連絡線があることも言うまでもありません。

地下鉄と民鉄の相互乗り入れの口火を切った日比谷線と都営浅草線。初代の車両はどちらも引退しましたが、共に18mの短い車体。これが地方鉄道には好評で日比谷線初代3000系は長野鉄道に譲渡され単線ローカルの長閑な風景を眺めながら晩年を過ごしました。

日比谷線が18mにこだわっていたのは件の広尾、六本木周りなど急カーブが多かったため20m車両を持ち込むには建築限界を大きく取らなければならなかった、と言う経緯がありました。しかし、近年の新型車両では車両の角を削ぎ落とすなどして急カーブにも対応し20m車両に置き換わっています。理由は乗り入れ各社のホームドアの位置に合わせるのが主目的。このため今までの8両編成は7両に短縮されました。東横線は中目黒での相互乗り入れを休止して以来、日比谷線
には乗り入れていません。なので日比谷線車両は現在メトロと東武の2種類のみです。

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