衝撃吸収バンパーが変えた顔

旧いアルファロメオやスカイラインGTーBなどがレースに出る時は重く頑丈なバンパーを取り外すだけでスポーティーな速そうな佇まいに変身しました。が、今のクルマで真似することは出来ません。

1970年代,ポルシェ911の顔立ちが大きく変わったのを覚えている人はどのくらいいるでしょう?ポンティアック・ファイアーバードもシボレー・カマロもバンパー・レスの彫りの深かったフロントグリルがバンパーで上下に分割された全然違うデザインに刷新されました。

アメリカが国産や輸入車を問わず生産車に義務付けたのが通称5マイル・バンパー。
軽微な接触事故の修理に膨大な保険金が使われるのに音を上げた業界が要望したとも伝えられ、日本車の顔立ちも大きく変える結果になります。

オイルショックの第一波を受けたこともあり日本車の対米輸出が急増していた時期にも重なります。大きな重い衝撃吸収システムを追加した重量増は小さく軽い日本車には大きな商品力低下にもなりかねませんでした。

それ迄にも柔らかな素材でバンパーを作る試みが無かった訳ではありません。初代セリカGTのオプションにはエラストマと言う素材でボディーカラーと揃えたオシャレなバンパーが用意されました。が,クルマの自重を支える程の衝撃には耐えられず、精々縦列駐車でヘマしても大丈夫。程度のものでした。

そのセリカが対米用に追加した5マイル・バンパーは一対のオイル・ダンパーを内蔵した太くて重そうなメッキの無骨なものでした。とはいえ如何にも安全そうで、人によってはカッコ良くも見えたものです。両端に分厚いゴムのカバーが付く様になったのもこの頃からで、これが将来的にバンパーの全面を覆う存在になっていきます。

80年代には板金に代わって黒い樹脂が前後を飾る様になりボディとも一体化したデザインになりました。(メッキで装飾されるパーツも激減します)衝撃を受け止めるのは内側に仕込まれたフレームでオイルダンパーはやがて衝撃吸収力の高いウレタン素材などが用いられます。

昭和も残り少なくなると昔ながらのメッキのバンパーは姿を消しボディと同色に塗られたバンパーが主流となりました。同じ樹脂素材をドアガードとして両サイドに貼り付けるのもこの時代のお約束。これと同時にドアやフェンダーの下半分をグレーに塗り分けるクラッディングが流行りました。


シビックのモデルチェンジで派生した新車種バラードスポーツCRーXではフロントフェンダーにもこの樹脂パネルを採用しましたが、鉄板をプレスして簡単に成形できる鉄のフェンダーを凌駕するには至りませんでした。


大型トラックのバンパーには基準の変更以来ヘッドライトが埋め込まれる様になりましたが、国内の路線バスでは昔ながらの鋼の頑丈なバンパーに守られていて、昭和の名残を感じ取ることが出来ます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?