追悼鈴木修元会長
ホンダだ日産だと業界がざわつく中、師走も押し詰まって大きな訃報が飛び込んできた。鈴木修スズキ元会長が亡くなったのだ。
思えば今の形でスズキが存在するのはこの人の功績だと言っていい。昨今のニュースでは日本の乗用車市場は二つだと見られてれているが、どっこいスズキをお忘れではないかい?トヨタとの協業はあくまで協力関係であり、その資本下に降ったわけではない
この40年来、ダイハツと軽四輪ナンバーワンを巡る熾烈な争いを繰り広げ、インドの乗用車市場を席巻するまでの勢いを見せたのも氏の功績。それは概ね80年代に結実されたと言ってもいい。
アルト麻美スペシャルを覚えている人ももう少数派だろうが、スズキ・アルトは今の軽四輪の屋台骨を作った存在だった。70年代末、重く高額になりすぎていた軽乗用車に4ナンバー商用車登録で47万円という破格値を提示したのだ。乗用車に課せられた15%の物品税を回避し助手席ドアの鍵穴までも省略するという徹底した合理化はセカンドカー需要のニーズに見事にハマり空前の軽四輪ブームの火付け役となった。これにすぐさま応戦したのがダイハツでMAXクオーレのモデルチェンジに際し、2ドア版ミラ・クオーレを商用登録車として用意。しかもノーズを短く、急にスラントさせて車室を大きくとった1・5ボックスカーを標榜しての登場である。(これにホンダシティ、シビック・シャトル等が続く)以後数十年にわたって両社のライバル関係は続いていくことになる。
このスズキ・アルトを企画、提案したのが修元会長だった。その10年ほど前には四輪駆動の軽四輪のパテントを他社から引き継ぎ、ジムニーの名前を冠して360時代から現在まで続くロングセラーに成長させた。
まだある。アルトに遅れること十数年、アルトよりも背高のっぽの巨大な室内空間を誇るワゴンRを企画した。今に至るハイト系ワゴンの系譜はここからスタートしているのだ。
スズキという静岡の企業が日本でトップクラスの販売台数を競う基礎は修元会長の時代に作られたと言って間違いない。
そんな巨人の訃報である。
2ストローク3気筒のパワフルなエンジンでスターリング・モスが太陽の道を疾走したフロンテLC10、ジウジアーロのスケッチがベースの美しいフロンテ・クーペ、マカロニ刑事が七曲署に乗りつけた時の愛車ジムニ−360・・・・・マニュアルミッション搭載がマニアを惹きつけてやまないスイフトRSに至るまでスズキのクルマは個性にあふれ商品力の高いものが多かった。巨星墜つともこの社風はいつの世も続いて欲しいものと思う。
合掌