ハードなトップ?
旧車と呼ばれる日本車の中でもおそらく一〜二を争うほどの人気車種がハコスカのGT−Rこと=三世代目・日産スカイライン2000GTにレーシングカーR380のエンジンを移植した、当時国産車最強のマシンでしょう。これには4ドアセダンともうひとつ、2ドア・ハードトップの2種類が存在しました。
ハードトップ、半世紀も前の日本車では右も左も人気のカタログ・モデルがこれでした。2ドアの背の低いルーフと前後の窓を下まで降ろせば大きなひと繋がりの広い視野が生まれる・・・・・構造的にいえば前後のドア間にあるセンター(B)ピラーという柱を無くして解放感を高めた車種の総称です。コロナにもクラウンにも、ダイハツのフェローMAXやホンダZといった軽自動車にまでも広く普及した流行のファッションでした。
元々アメリカから伝来した手法で、日本で初採用したのは1965年のコロナ・ハードトップでした。その頃のコロナは日産ブルーバードと激しい販売競争を繰り広げていて,今でいえばノア/VOXYとセレナの様なライバル関係.4ドアセダンのみだったコロナに魅力的な2ドア・バージョンとして追加されたのがアメリカで流行中のハードトップでした。
ハードなトップ=固い屋根と言ってもピンと来ませんが語源はハードトップ・コンバーチブルに由来するもので,屋根を開け閉めできるコンバーチブル・トップに折りたたみ式のソフト・トップではない,スチール製のルーフを載せた様な形態になるところがその名前の由来です。だから屋根が開閉できるわけではありません。
実際にオープンのボディにハードなトップを乗せた日本車も存在していて、大衆車のパブリカ800コンバーチブルに取外し可能なスチール製の(ハードトップ)ルーフをのせたパブリカ800デタッチャブル・トップいう車種がありました.これぞ文字通りハードトップを名乗るにふさわしいクルマです。トヨタスポーツ800(ヨタハチ)にも取り外せるルーフがありましたが、こちらはリアにロールバー風の屋根の一部が残る、タルガ・トップと呼ぶ形式、ガラス製のリア・ウィンドウ、センター・ピラーは固定されたままでした。
実際には前から2番目の太いセンター・ピラーを無くすためには床下をはじめ、ボディ下半分の強化が不可欠で、ハードなのはトップでなくボトムの方だともいえそうです。ハードトップの流行は瞬く間に日本車に浸透、クラウンにもマークⅡにも三菱ギャランにも日産ローレルにもマツダ・ルーチェ・ロータリークーペにもハードトップが採用され,テールランプが横に長い四角なハコスカ時代のスカイラインにもハードトップ・モデルが誕生!、屋根が低いだけじゃなく車体の長さも少しカットされGT-Rモデルもこの時HTに刷新されました。
ハードトップが流行りだすと,ルーフの部分にビニール製のレザー模様を貼付けて,あたかもソフト・トップをかぶせたコンバーチブル風に見せるアクセサリーが併せて大流行しました。アメリカでは90年代を迎えてもこの流行は廃れず、リムジンや4ドア車でさえもレザー・トップを施したお洒落なクルマを見かけたものでした。
2ドア・ハードトップでは出遅れた日産でしたがトヨタにさきがけて4ドア版のハードトップを商品化.セドリックと兄弟車のグロリアに初採用して販売成績でもライバルのクラウンを打ち負かします。以後ローレルにもブルーバードにも、スカイラインにまで4ドアHTが採用され,ついにはトヨタもカリーナEDというお洒落な4ドアHTの投入に踏み切り大成功をおさめました。
トヨタは当初センター・ピラーが残ったたままでドアのガラス枠だけを無くしたピラード・ハードトップという用語を開発してしばらくお茶を濁していたものです。見た目は4ドアHT並みにスッキリと見えますが、内部にはしっかりと太いピラーが存在しています。他方で2ドアHTのブームはやがて縮小し、スカイラインでは西部警察時代のマシンXことDR30系のニューマン・スカイライン(〜1985)までが2ドアHT。7thスカイライン以降はセンター・ピラーのあるクーペの形態をとっています。
4ドアHTのブームもバブルと共に忘れ去られ,ミニバンがブームになる頃にはハードトップの文言もカタログから消えました。SUVのルーフが次第になだらかな傾斜を持つ様になり,クーペに近づいているのは昔の名残でしょうか?